「南京大虐殺」、中國の教科書に登場したのは80年代に入ってから、それまでは授業(yè)でも教えられず―中國紙

Record China    2013年12月19日(木) 11時32分

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18日、中國が日本の戦爭犯罪として主張する「南京大虐殺」は、建國後の中國では長い間、教科書や書籍に取り上げられることもなく、學(xué)校の授業(yè)でも教えられることはなかった。寫真は南京大虐殺記念館。

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2013年12月18日、南方都市報によると、中國が日本の戦爭犯罪として主張する「南京大虐殺」は、建國後の中國では長い間、教科書や書籍に取り上げられることもなく、學(xué)校の授業(yè)でも教えられることはなかったという。

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南京師範(fàn)大學(xué)で中國史を教える経盛鴻(ジン?ションホン)教授は、「ここ南京でずっと學(xué)んでいるが、私が學(xué)生の頃は南京大虐殺を教える教師などおらず、教科書にも中國近現(xiàn)代史の本にも南京大虐殺に関する記述はなかった」と話す。

南京大虐殺の翌年、1938年1月に創(chuàng)刊された新華日報は、南京大虐殺に関する記事をたびたび掲載した。1948年11月に光華書店が発行した「中國抗戦史講話」も南京大虐殺を紹介しているが、舊日本軍の行為よりも國民黨の軍が何も抵抗せずに南京から逃げ出した事実を重點的に取り上げている。だが、その後に出版された歴史書はいずれも南京大虐殺に觸れていないという。

この事実について経教授は「文革時代に提唱された『3つの世界論』では、日本は第二世界に屬し、中國にとって団結(jié)できる相手とみなされていた。當(dāng)時は米國の中國侵略を非難することはあっても、舊日本軍の侵略や南京大虐殺の罪悪について深く追求することはなかった」と説明する。

転機(jī)は1982年7月に訪れた。日本の舊文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進(jìn)出」に、「南京大虐殺」を「南京占領(lǐng)」に変えさせたとの報道(訳者注:後に日本政府がこれを誤報だと認(rèn)めている)があったことだ。中國政府は激しく抗議し、中國の各メディアもこの問題を大きく報道した。1983年、中國は南京大虐殺に関する資料の編纂、記念館の設(shè)立などを決定。翌1984年2月から6月までの期間中、中國政府初となる大規(guī)模な調(diào)査を?qū)g施し、生存者や目撃者、被害者1756人からの証言を集めた。抗日戦爭勝利40周年記念の1985年8月15日、正式名稱「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀(jì)念館」がオープンしている。(翻訳?編集/本郷)

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