<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>周永康の外堀いよいよ狹まる――中共中央、公安部副部長(zhǎng)?李東生の調(diào)査を始める

Record China    2013年12月21日(土) 8時(shí)34分

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20日19時(shí)40分、中國(guó)共産黨中央(中共中央)紀(jì)律検査委員會(huì)?監(jiān)察部のウェブサイトは、公安部副部長(zhǎng)?李東生の取り調(diào)べに入ったことを正式に公布した。寫(xiě)真は周永康氏と李東生氏。

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2013年12月20日19時(shí)40分、中國(guó)共産黨中央(中共中央)紀(jì)律検査委員會(huì)?監(jiān)察部のウェブサイトは、公安部副部長(zhǎng)?李東生の取り調(diào)べに入ったことを正式に公布した。

その他の寫(xiě)真

李東生は「中央防犯処理邪教問(wèn)題領(lǐng)導(dǎo)小組」の副組長(zhǎng)で、當(dāng)該領(lǐng)導(dǎo)小組(指導(dǎo)グループ)弁公室の主任。この弁公室は1999年「6月10日」に法輪功を取り締るために江沢民が設(shè)立した弁公室だ。設(shè)立された日時(shí)にちなんで「610弁公室」という別名を持つ。公安部は中共中央政法委員會(huì)の管轄下にあって、この委員會(huì)の書(shū)記は胡錦濤政権の時(shí)は中共中央政治局常務(wù)委員會(huì)の9名の常務(wù)委員の中の一人だった。そのときの書(shū)記の名は周永康。

筆者はこの9名の常務(wù)委員に「チャイナ?ナイン」という呼稱を付け、チャイナ?ナインがチャイナ?セブンになるか否かで、周永康の運(yùn)命が決まるだろうことも予言していた。そして2012年3月に薄熙來(lái)の失腳が決まるとすぐに「次のターゲットは周永康」というオンライン記事を書(shū)いたこともある。

そのつながりは、実はこの「610弁公室」にあった。

『チャイナ?ジャッジ 毛沢東になれなかった男』の117頁(yè)に「第三章 1999年」というのがあるが、そこで詳述したように、薄熙來(lái)は江沢民の「610弁公室」を支持したことによって江沢民による後ろ盾をより強(qiáng)固なものにした。江沢民が1999年に「610弁公室」を設(shè)置しようとしたとき、時(shí)の國(guó)務(wù)院総理(首相)だった朱鎔基は反対した。以來(lái)、「610弁公室」の存在は、表に出してはならない內(nèi)部闘爭(zhēng)として激しい権力爭(zhēng)いを展開(kāi)させてきた。

江沢民政権時(shí)代は「チャイナ?セブン」だった政治局常務(wù)委員會(huì)委員を、胡錦濤にバトンタッチするときに江沢民は「2人」増やして「チャイナ?ナイン」にした。それは、公安部を司る中共中央政法委員會(huì)に権限を持たせたかったからだ。だから強(qiáng)引に周永康を常務(wù)委員にねじ込んで、チャイナ?ナインにしたのである。

これは江沢民が自分の正當(dāng)性と権威を持続させるために取った措置である。

◆軍事費(fèi)を上回る治安維持費(fèi)は腐敗に消えている

しかし、「公安、検察、司法」を司る中共中央政法委員會(huì)は、治安維持を名目に長(zhǎng)いこと「腐敗の溫床」となってきた。たとえば2012年4月に北京にあるアメリカ大使館に逃亡した盲目の民主活動(dòng)家?陳光誠(chéng)の場(chǎng)合、彼一人を監(jiān)視するために1年で6000萬(wàn)元(約9億円)の「治安維持費(fèi)」が中央から出るので、「陳光誠(chéng)経済圏」が公安側(cè)に出來(lái)上がるほどだった。もちろんそれらは全て公安のポケットの中に入っていく。

軍事費(fèi)を上回る治安維持費(fèi)は、こうして「腐敗の源流」となって取り締り関係者の財(cái)布を潤(rùn)わせているのである。治安を維持するはずの「公安?検察?司法」による橫暴と腐敗ゆえに、年間18萬(wàn)件もの暴動(dòng)が起きている。本末転倒だ。そしてその暴動(dòng)は中國(guó)共産黨統(tǒng)治の根幹を揺るがせようとしているのである。

だから2012年11月に開(kāi)催された第18回黨大會(huì)で、胡錦濤も習(xí)近平も「腐敗を撲滅しなければ黨が滅び、國(guó)が亡ぶ」として腐敗撲滅が不可避であることを宣言した。一黨支配が無(wú)くならない限り腐敗は無(wú)くならないとしても、チャイナ?ナインをチャイナ?セブンにしたのには、そういう意味が込められていた。

その數(shù)か月前の薄熙來(lái)失腳で、今日の方向性は決まっていたものの、周永康は何と言っても政治局常務(wù)委員だった人物。第18回黨大會(huì)で定年退職したのではあるが、元常務(wù)委員だった者を逮捕することはなかなかできない。

そこで周永康の外堀を徐々に狹めつつあるわけだ。

薄熙來(lái)更迭に関するチャイナ?ナインの會(huì)議で、最後まで薄熙來(lái)を擁護(hù)したのは周永康一人だった。二人とも江沢民の配下であるとともに、「610弁公室」で結(jié)びついている。今般中共中央紀(jì)律検査委員會(huì)の取り調(diào)べを受けることになった李東生(公安部副部長(zhǎng))は周永康直屬の部下だ?!?10弁公室」を通して直接つながっている。

◆「鉄道部」「石油閥」の次は中共中央政法委員會(huì)

一方、周永康には石油閥のボスとしてのもう一つの顔がある。その部下で石油閥の現(xiàn)役ナンバーワンだった蔣潔敏(元國(guó)務(wù)院國(guó)家資産監(jiān)督管理委員會(huì)主任)は、2013年9月1日に中共中央紀(jì)律検査委員會(huì)の取り調(diào)べを受けて、全ての役職を罷免された。このとき多くの石油閥が捕まっている。

2013年3月に、中國(guó)は鉄道部という巨大な腐敗の溫床を解體させ、7月には元鉄道部部長(zhǎng)(鉄道省大臣)に(2年の執(zhí)行猶予つきの)死刑判決を言い渡した。9月になると、もう一つの腐敗の溫床である石油閥にメスを入れたたわけだが、次に斬り込んでいくのは中共中央政法委員會(huì)だ。特にその管轄下で不正を働いている公安部。今般の公安副部長(zhǎng)?李東生の取り調(diào)べは、その予測(cè)が正しかったことを証明してくれている。ターゲットである周永康の外堀は、徐々に狹まっていることを示唆している。

「習(xí)近平?李克強(qiáng)?王岐山(中共中央紀(jì)律検査委員會(huì)書(shū)記)」は人民の間では腐敗撲滅のための「鉄三角」と呼ばれている。

それでも最後にもう一度くり返しておこう。一黨支配をやめない限り、腐敗の溫床は消えない。

(<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>第14回)

遠(yuǎn)藤譽(yù)(えんどう?ほまれ)

筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國(guó)際交流センター長(zhǎng)。1941年に中國(guó)で生まれ、53年、日本帰國(guó)。著書(shū)に『ネット大國(guó)中國(guó)―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國(guó)を動(dòng) かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子チャーズ―中國(guó)建國(guó)の殘火』『完全解読「中國(guó)外交戦略」の狙い』など多數(shù)。

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