<コラム>変わる「香港の6月4日」、天安門追悼集會

野上和月    2020年5月29日(金) 21時50分

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「香港の6月4日」が今年を境に、大きく変わりそうだ。

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「香港の6月4日」が今年を境に、大きく変わりそうだ。香港では、1989年6月4日に中國?北京で起きた天安門事件の翌年から、事件の犠牲者を追悼し、中國の民主化を訴える「6?4集會」が毎年行われている。しかし、今年は香港政府が新型コロナウイルス対策として9人以上の集まりを禁じる措置を6月4日まで延長。30年間続いたこの集會はこれまでのような開催ができなくなった。追い打ちをかけるように、中國政府主導(dǎo)で、香港で「國家安全法制」が整備されることになり、來年以降の集會に影響しかねない事態(tài)に発展したのだ。

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集會は、民主派団體「香港市民支援愛國民主運動聯(lián)合會(支聯(lián)會)」が主催して、毎年午後8時から香港島のビクトリア公園で行われる。事件當時の映像、遺族や関係者のビデオメッセージが流れる中、みなでキャンドルを手に死者を悼み、事件を「反革命動亂」とする中國政府に評価の見直しと中國の民主化を訴える。參加者數(shù)は、3萬5000人から18萬人(支聯(lián)會発表)規(guī)模。直近の10年間は毎年10萬人以上の大規(guī)模集會が続いている。

香港は、事件を封殺して厳戒態(tài)勢を敷く中國本土とは対照的に、中國返還後も「一國二制度」のもとで、この追悼集會を毎年開催しているのだ。オフィスでもこの日になると、「今日は、ロクセイ(64の広東語読み)かぁ」といった聲が漏れるほど、6月4日は多くの市民の心に刻まれている。

英國統(tǒng)治下で最後の集會となった97年は、本當に最後の集會になるのではないかという思いで參加した市民が少なくなかった。02年は、サッカーのワールドカップ(W杯)に初出場した中國チームが破れ、「6?4」が中國のW杯初參加?初勝利という、祝賀の日に塗り替えられなくてよかった、とも言われた。

事件が風(fēng)化することなく集會が続いているのは、支聯(lián)會が節(jié)目節(jié)目で市民を引き付ける努力をしてきたからだ。中國返還を目前に控えた97年は、「(返還日の)7月1日を乗り越えよう」と叫んだ。10年目の2000年には、子供たちを壇上に乗せて、「次代につないでいこう」と呼びかけた。20年目の09年には、スローガンに香港政府への不満を示す言葉も盛り込んだ。場內(nèi)がそれまで見たことがないほどの若者で埋め盡くされたり、支聯(lián)會が集會に足を運ぶ中國人観光客を意識して、広東語だけでなく、普通話(標準中國語)でも語り掛けるようになったりした年でもある。

しかし、14年に若者が中心になって香港の一層の民主化を求めた「雨傘運動」が失敗すると、彼らの間で「中國の民主よりも香港の民主が優(yōu)先だ」との聲が高まり、大學(xué)組織が集會から離脫した。それでも、30回目となった昨年は、09年に並ぶ最多の18萬人が集まった。集會は香港政府への不満をきっかけに參加する人も少なくなく、中國だけでなく香港の「民主」を訴える場としても歳月を重ねていったのだ。

私自身、市民の生の聲を聴きたくて95年から集會に足を運んでいるが、事件當時の話は個々のドラマがあり、言葉を失うこともある。逆に、「事件のことをもっと詳しく知りたい」「事件のことを知ることができる僕たち香港人が、言論統(tǒng)制されて事件をよく知らない本土の若者に事実を伝えていく必要がある」という若者の言葉に胸を打たれたこともある。

ところが今年、香港政府は新型コロナ対策として5月21日まで禁じていた9人以上の集まりを、2週間延長した。香港內(nèi)の感染者ゼロが続く中での延長措置は、新型コロナを口実にこの集會や昨夏以降続く反政府デモを阻止するものだ、と反発する聲もある。支聯(lián)會は、社會的距離を保ちながら集會を行うことを探る一方で、街頭でキャンドルを配り各地で追悼の意を表してもらうことや、午後8時からネット上で集會を開くことも計畫しているという。

さらに懸念されるのは、5月28日に中國の全國人民代表大會(全人代)で採択された「國家安全法制」がこの集會に及ぼす影響だ。今後、中國政府は香港で直接、國家分裂や政権転覆などの反體制活動を取り締まることになる。集會では毎年、「事件を見直せ!」「一黨獨裁を終結(jié)させて、中國の民主を建設(shè)していこう!」とシュプレヒコールを上げているが、これらが取り締まりの対象になるのではないかとの不安の聲があがっているのだ。支聯(lián)會はこのスローガンを堅持していく構(gòu)えだが、今後整備される法制度の內(nèi)容によっては、取り締まりを恐れた市民が參加を控えるかもしれない。

「一國二制度」のもと、本土とは切り離されて「集會と言論の自由」の歴史を刻んできた「香港の6月4日」の民主の燈は、大きく揺らぎだした。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
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