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南宋時(shí)代の平江図にある橋は359座であったが、現(xiàn)在でも172座がある。その內(nèi)、平江図以來(lái)同じ場(chǎng)所に存在する橋は85座ある。
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南宋時(shí)代の平江図にある橋は359座であったが、現(xiàn)在でも172座がある。その內(nèi)、平江図以來(lái)同じ場(chǎng)所に存在する橋は85座ある。時(shí)代と供に橋は何度も改修され、名稱も時(shí)代時(shí)代に変更して來(lái)たが、800年間という長(zhǎng)い時(shí)間の中で、その位置が同じであることに驚きを感じる。では、その85座について記載したいと思う。( )內(nèi)は平江図での名稱である。蘇州運(yùn)河の基本「三橫四直」の運(yùn)河に沿って記載したい。
閶門(mén)から入る第一橫河では、至徳(廟)橋?皋橋?張広橋?紅橋?崇真宮(宮)橋?過(guò)軍(南過(guò)軍)橋、その北に桃花橋?日輝(北過(guò)軍)橋?単家橋が並行している。単家橋から北に行けば平門(mén)に至るが、途中教場(chǎng)(曹使)橋がある。報(bào)恩寺の前から香花橋?天後宮(中路)橋を過(guò)ぎて、第三直河の臨頓橋?周通橋?華陽(yáng)橋?張香橋を過(guò)ぎて婁門(mén)に至る。張香橋の北に楚勝(胡家)橋がある。
第二橫河(干將河)は渡子橋から始まり、太平橋?芮橋?市鶴(市曹)橋?楽橋?乗魚(yú)橋?言(閻)橋?草橋?馬津橋?甫橋?白顕(白蜆)橋?興市(盡市)橋?顧亭(顧庭)橋となり相門(mén)に至る。
第三橫河は姑胥橋を越えた孫老橋から始まる。その東に吉利橋?飲馬橋となる。ここで東行する河は現(xiàn)在十梓路になり橋は無(wú)いが、南行して十全街に沿って流れる。烏鵲橋?船場(chǎng)橋?帯城橋?百歩(磚)橋?城(程)橋となって葑門(mén)に至る。
第一直河は閶門(mén)の東、皋橋から始まる。南行するに黃麗(黃牛坊)橋?昇平橋?歌薫(明澤)橋?新橋?梅家橋?程橋?窺(廟)橋となって盤(pán)門(mén)から城外につながる。第二直河は平門(mén)から始まる。教場(chǎng)(曹使)橋?単家橋となるが、過(guò)軍橋以南はすでに埋め立てられ橋は存在せず、第三橫河の金獅(杉板)橋が存在するだけである。
第三直河は斉門(mén)に始まる。北から福星(北新)橋?跨搪橋で第一橫河にぶつかる。そこから臨頓河と稱して南下するに任蔣橋?善耕(寺東)橋?白塔子(東章家)橋?西花(花)橋?忠善(南新)橋?懸(懸東)橋?徐貴子(徐鬼)橋、その東の蘋(píng)花又は蘋(píng)花(定跨橋)?酢坊橋?大郎橋そして顧家橋となる。そこで第二橫河(干將河)となる。その南にかけて春秋時(shí)代には子城を取り囲んだ運(yùn)河があり、多くの小橋があったが、今は痕跡すらまったく見(jiàn)ることが出來(lái)ない。
第四直河は華陽(yáng)橋から始まる。この河は平江路と並行して南下する。現(xiàn)在は観光用に開(kāi)発され、河と橋を同時(shí)に楽しむ事ができる。観光客の目的は橋でなく周囲の店であり、江南風(fēng)の風(fēng)情である。華陽(yáng)橋を過(guò)ぎると渓橋?慶林(慶歴)橋?保吉利(打急路)橋?胡廂使橋?唐橋?通利橋?朱馬交橋?衆(zhòng)安橋?青石(蘇軍)橋?勝利(慶織)橋?雪糕橋?壽安(寺後)橋?思婆(寺東)橋?苑橋に至り第二橫河(干將河)になる(寫(xiě)真1)。週末になれば、多くの観光客でにぎわう街並みである。筆者としてこの平江路の中で國(guó)寶級(jí)なのが、通利橋の石である。南宋平江図にある通利橋、平橋で6枚の平石でできているが、北から2?3番目は南宋時(shí)代の武康石(その他は花崗巖)のままで、宋時(shí)代から千年近くよくぞ殘っていたと感慨深いものがある(寫(xiě)真2)。その南は興市橋から始まり葑門(mén)に至るが、呉王橋?壽星(宮橋)?望星(望信)橋?望門(mén)橋となり葑門(mén)前に城(程)橋となる。
これら三橫四直から外れて城內(nèi)南東部竹輝路周辺に、東焼香(東長(zhǎng))橋?西焼杏(焼香)?紅杏子(西長(zhǎng))橋?竹韻橋とその北の兪(寺西)橋がある。また東北部の倉(cāng)街に沿って、北に徐鯉魚(yú)橋に北開(kāi)明(東開(kāi)明)橋がある。以上85座が現(xiàn)在も同じ位置に確認(rèn)される古橋で、筆者が歩いて確認(rèn)した結(jié)果だ。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問(wèn)として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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