<コラム>逃げろ!コロナに襲われる都市集中 1

石川希理    2020年7月7日(火) 23時20分

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日本では、大都市、特に東京一極集中は拙いと言われ出している。ソーシャル?ディスタンスとかいう英語は、三密を避ける社會的距離のことだ。

今回の新型コロナは、中國武漢発生だと言われる。武漢は東京に匹敵する大都市である。6月に入って、日本も、中韓も落ち著いた。ただ東京は感染が少し続いているし、中國でも、韓國でも都市に再発生している。

今回の疫病は、アメリカ、ヨーロッパでは、ニューヨークやロンドン。アフリカでも南米でも大都市が標的になった。コロナは自分では動けないし、人の細胞の中でしか増殖できないから、人が都市集中する場所で大爆発する。そして、衛(wèi)生狀態(tài)や、栄養(yǎng)狀態(tài)の悪い貧困層の多いところで、あるいは、身體の弱った高齢者などの集団生活場所を攻撃する。

「まるで、コロナが意志を持ってやっているようでんな」

「まあ、本能と違う意図的な心は、人間しか…、あ、失禮」

吾輩は、少し抽象的すぎた言い方をしたので、ワンを見た。キリッとした柴犬の顔だ。本當は雑種だろうが、男前だ。いや男犬、いや雄犬か。

「わてを、男犬やて、まあ雄犬よりいいわなあ。雄犬なら、動物差別や。オスなんて人間には使わんやろ」

吾輩はゴクリと喉を鳴らした。意図的な意志もっているし、どうも吾輩の思考まで読まれている気がしないでもない。まあ、いいか…。

さて、元に戻って、日本では、大都市、特に東京一極集中は拙いと言われ出している。ソーシャル?ディスタンスとかいう英語は、三密を避ける社會的距離のことだ。今後コロナと共生していくとしたら、三密は確かに拙い。それで、田舎に移るという人も出てきた。この田舎へと言うのは、Uターン、Jターン、Iターンの3種類あるが、特にIターンを目指す人もいるという。

U:田舎→都會→元の田舎

J:田舎→都會→手近な田舎

I:都會→田舎


「なんかややこしいでっせ」

「ああ、元々、田舎生まれの人が、都會へ出てきて、元の故郷へ帰るのをUターンと言っていたんだよ」

「それにJターンが加わったのでっか?」

「そう。この場合は元の故郷に戻らないで、近場、或いは気に入った田舎に戻る」

「なるほど、次第にそういう人が増えてきたんですな」

「ワン、えらい!」

「照れまんなあ、ほめられると」

吾輩など団塊の世代は、Uターンが多かった。時代が下がると、故郷に帰っても父母はいない。都會も飽きたから、何処かのんびりした田園地帯に戻ろうというJターンになった。そして、既に東京などでは過半數(shù)が東京生まれで、故郷は東京だ。この大都會が嫌だとか、或いはコロナで住みづらいので、田舎に行こうというのがIターン。このパターンが「三密生活」を避けるのにいいらしいから、大都市脫出騒動となった。

「大都市から、フィジカル?ディスタンスの為に脫出するのでんな」

「ゲッ!ワン!お前そんなこと何処で習った?ソーシャル?ディスタンスなら有名やけれど…」

食卓機の橫の椅子に座って、キーボードを叩く吾輩を見つめているワンをぎょろりと見た。

ワンはニヤリとして、口を開いた。

「フィジカルというのはでんな、肉體的?身體的なことでっしゃろ。コロナで三密を避けるのには、重要なのは、まず、これでんな。それからソーシャル?ディスタンス。身體の接觸を避けるために大きく距離を取ってつきあいましょうでんな。そして、やり始めたら気がついたんでっせ」

「何に?」

「ちまちませず、常に距離を取っておおらかに生活しましょう。それが人間の生活やということにでんな。箱庭みたいな一戸建て、薄い鉄筋コンクリートのアパートを、マンションや、レジデンスと名前だけごまかして、身を縮めてする生活が、コロナの住処であり、非人間的なものであると。そういうことでんな」

「ゲゲゲゲゲ…」

吾輩はワンを見て、そしてホッと小さな息を吐き、時間を置いて、ニヤリと笑った。

「何処で聞いた?」

「あ、かなワンなあ…、この間、ご主人様がなんや別の文書で書いてはりましたで」

吾輩のニタリがワンの、食卓に載せた前足にぽたりと落ちた。

「やっぱりな!」言葉が、ワンの頭に突き刺さった。

「ワワーン…」

そういうことで、日本ではIターンまで始まっている。都市生まれの者が都市から田舎へ移住するのだ。テレワークもある。車もある。ネット通販もある。

だが、これはよほど條件に恵まれない限り最早、不可能である。前に少し觸れたことがある。コンパクトシティ、つまり役所も、銀行、商業(yè)施設、郵便局、交番、學校も、そして自宅も、できる限り街の真ん中に集めてしまう。これが未來の日本である。高齢化と人口減少では昔日のような生活は不可能だ。

1965年からの高度成長期、人口も増え、鉱工業(yè)は盛んになり、サービス業(yè)も拡大。働き手は農(nóng)村から都市へ大移動した。戦前6割の農(nóng)家は、1割どころか、その半分にも満たなくなった。

この半世紀前の高度成長に伴う人口移動を可能にしたのは、地方への手厚い補償政策だ。例えば、機械化の進展などで米の生産は相當競爭力がついてきた。それでも2014年の、アメリカの米の生産コストは、60キロあたり2千2百円。対する日本は1萬5千4百円。日本の米は、アメリカの7倍の価格である。


それは、國土の広さにも起因して、生産者の努力だけではもちろん埋められない。下の図のように、なにせ日本では、1haが農(nóng)地の平均の広さ。ココで農(nóng)業(yè)機械を自家保有して米を作ると、當然高くなる。中國の平均も10ha、これでは競爭にならない。


しかし、そこに補助金をつぎ込んで、価格を維持して農(nóng)村が食べられるようにした。なぜか。農(nóng)村の若者を都市の労働者にするには、農(nóng)村にいる父母、祖父母が安心して食べられないといけない。安心して生きられないといけない。

かくして米の価格の高止まりはもちろん、農(nóng)村にも、役場も、銀行も郵便局も、マーケットも、病院も學校も整備された。山の上の田んぼまでの道路は完全舗裝された。

かく言う吾輩の父方の祖父は、大阪府能勢の農(nóng)家出身だし、祖母は和歌山の農(nóng)家出身である。若者は安心して都市で働き、盆暮れには帰省した。

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學校?飛松中學校?星陵高校?神戸學院大學?仏教大學卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中學教員から県や市の教育行政職、大學の準教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學のアンソロジー単行本數(shù)冊。小説の自家版文庫本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想?仏教」などの講演會をしてきました。

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