トウ小平時代の外交“鉄則”を打破した習(xí)近平體制、対日反撃で積極路線(下)―米華字メディア

Record China    2014年1月14日(火) 13時18分

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11日、米華字ニュースサイト?多維新聞は記事「積極的な対日反撃、トウ小平時代の外交鉄則を打破した習(xí)近平主席の積極路線」を掲載した。寫真は日本の政治家の靖國參拝。

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2014年1月11日、米華字ニュースサイト?多維新聞は記事「積極的な対日反撃、トウ小平時代の外交鉄則を打破した習(xí)近平主席の積極路線」を掲載した。以下はその概要。

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日本への報復(fù)行為において、中國をより積極的にさせた理由は何か。習(xí)近平(シー?ジンピン)國家主席が外交路線を転換させたことを挙げる聲がある。かつてトウ小平國家主席が掲げた「目立たずに力を蓄える」という外交方針が積極姿勢に変わってきているというものだ。

昨年10月24日から25日まで開催された周辺外交活動座談會で、習(xí)主席は「周辺外交活動への取り組みは『二つの百年』の奮闘目標(biāo)の実現(xiàn)および中華民族の偉大な復(fù)興に必要なことであり、一層発奮して効果的に周辺外交を推し進め、周辺諸國との経済的きずなをより強固にすべきだ」と強調(diào)した。

こうした外交政策の変化は、重大な「質(zhì)」の変化といえるだろう。習(xí)主席は世界各國を訪問し、北朝鮮の核問題解決に向けた六者會合を推進するなど、従來の「攻撃を受ける」局面を転換させてきた。インドとの國境紛爭でも進展が見られた。

米ソによる冷戦期にあったトウ小平時代の「目立たずに力を蓄える」という姿勢は、中國が米ソに対抗する実力を持たなかったことを示すものだ。しかしながら今日の中國は、米國に匹敵する実力を備え、米中「G2論」はもはやメディアによる煽りではなく現(xiàn)実のものとなっている。かつての中國では「大國外交」とは米ロや歐米諸國との関係をいかに発展させるかを指すものであった。しかし王毅外交部長の言葉を借りれば、「中國獨自の大國外交」へと変化を遂げている。中國と世界の関係はすでに大きく変わっている。つまり、弱小國の立場で捉えていた外交方針は、現(xiàn)在の中國には適さないものになっているのだ。(翻訳?編集/NY)

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