「ロマン主義」の若者の貧困村奮闘記

CRI online    2020年7月3日(金) 17時30分

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胡鈞溥さんは3年前に23歳で貴州省威寧イ族ホイ族ミャオ族自治県石門郷団結(jié)村に赴任した若者です。2016年に貴州大學を卒業(yè)しました。北京、上海、広州などの大都市での就職を希望している同級生と異なり、「農(nóng)村部に行くこともある種の選択ではないか」という思いから、この山奧にある村を選び...

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 胡鈞溥さんは3年前に23歳で貴州省威寧イ族ホイ族ミャオ族自治県石門郷団結(jié)村に赴任した若者です。2016年に貴州大學を卒業(yè)しました。北京、上海広州などの大都市での就職を希望している同級生と異なり、「農(nóng)村部に行くこともある種の選択ではないか」という思いから、この山奧にある村を選びました。當時、この村は48%の世帯が貧困世帯で、栽培する農(nóng)作物はジャガイモやとうもろこしなどに限られていました。胡さんは、この時について「若者のロマンが現(xiàn)実にぶつかった」と振り返りました。また、土地は痩せ、交通が不便という現(xiàn)実もありました。

その他の寫真

 胡さんは、「この土地に合った産業(yè)の道を選ばなければならない」と心に決めました。調(diào)査を重ねていくうちに、耐寒性の強いニンニクの種類の栽培に目をつけました。今では、その栽培面積は約13ヘクタールに達し、売り上げは少なくとも120萬元に達します。農(nóng)家の収入はずいぶんと高くなりました。

 翌年の2017年、養(yǎng)蜂の導入を企畫しましたが、農(nóng)家を説得するのに苦労しました。學費も含めて養(yǎng)成先の宿泊費、交通費など一切の費用を提供するという條件にもかかわらず、5人の枠に申し出る農(nóng)家がなく、あれこれと説得した結(jié)果、やっと3人を集めることができました。

 2018年、蜂の巣箱10數(shù)箱で1萬元以上の収入を得られるのを見て、養(yǎng)蜂農(nóng)家が増えました。

 3年間の努力が実りました。村は農(nóng)業(yè)の産業(yè)化の形ができ、道路も整備されています。2019年末、団結(jié)村は貧困村から脫卻しました。

 赴任してから3年半。団結(jié)村を変革するという夢が葉いました。今ではこの村の共産黨支部書記を勤める胡さんは、「大卒當初と比べて、自分はずいぶんと変わり、現(xiàn)実的になった。けれども、依然として若者としてのロマンは薄れていない」とその眼は未來を見據(jù)えています。(提供/CRI

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