<コラム>返還23周年、転換期迎えた香港、自由都市から“中國の香港”へ

野上和月    2020年7月10日(金) 22時0分

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香港の空気が5月21日を境にガラリと変わった。翌日から開催される全人代で、反體制活動を禁じる「香港國家安全維持法」の法制化が審議されるという香港市民にとって思いもよらぬ大ニュースが飛び込んできたのだ。

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香港の空気が5月21日を境にガラリと変わった。翌日から開催される全國人民代表大會(全人代=國會に相當)で、反體制活動を禁じる「香港國家安全維持法(國安法)」の法制化が審議されるという、香港市民にとって思いもよらぬ大ニュースが飛び込んできたのだ。この日を境に、政府と民主派勢力の形勢は逆転。ピリピリしたムードが続く中、目にするものや聞くものが大きく変わった。

その他の寫真

國安法は、全人代常務(wù)委員會の2回に及ぶ審議を経て、6月30日に可決。即日香港で施行された。(1)國家の分裂(2)政権転覆(3)テロ活動(4)外國勢力と結(jié)託して國家の安全に危害を及ぼす行為—を犯罪として取り締まる。刑期は最低でも禁錮3年。最高は終身刑だ。中國の治安當局の出先機関「國家安全維持公署」が新設(shè)され、香港當局を通さず直接、取り締まり活動ができる。容疑者の中國本土への移送も可能という。概要だけでも相當厳しいものだ。

しかも法案は、1か月余りのスピード可決になる見通しだというのに、全容が明らかにされず、市民はピリピリムード。メディアに登場するのは、「國安法は社會の安定につながる」と、意義を説く政府高官や審議に関わる親中派の重鎮(zhèn)たちか、漏れ伝わる情報から法の解釈や分析をする弁護士や法學(xué)者だった。林鄭月娥?行政長官自らが、國安法について語る約1分の政府広告もテレビで頻繁に流れた。

逆に、これまで何かあれば真っ先に聲をあげて政府を批判してきた民主活動家はピタリと口を閉ざしてしまった。市民は反対の聲を上げたくても、新型コロナ対策を理由にデモは許されない狀態(tài)だった。違法デモが起きれば、警察はこれまでになく強硬な態(tài)度で封じ込めるようになり、參加者は少ないのに多くの逮捕者が出るようになった。

反政府活動の息の根を止める強権的なこの法案。本來、香港政府は、「基本法(香港の憲法に相當)」に基づき、國家分裂や政権転覆の動きを禁じる「國家安全條例」を制定しなければならない。2003年に試みたが、市民50萬人によるデモ行進で法案は撤回に追い込まれた。その後も自由を尊ぶ市民らによる反発が強く、香港が英國から祖國に復(fù)帰して23年になろうというのに、一向に成立しない。それどころか、昨年6月以降続く反政府デモで、過激なデモ隊が、公共施設(shè)や特定の飲食店、中國系銀行などを狙って破壊活動を繰り返した。デモがエスカレートする中で、「香港獨立」と聲高に叫んだり、米國國歌を歌いながら星條旗を振り回したりする若者らが増えていった。海外組織と通じる活動家もいて、もはやデモの域を超えて主権にかかわる事態(tài)になった。中國は過去の歴史から見て取れるように、主権問題となれば絶対に譲らない。五星紅旗や國章を汚されても我慢してきたが、さすがに「獨立」は看過できなかったようで、この國安法が登場したというわけだ。中國政府は、香港が返還後50年間約束されている「一國二制度」は、 「一國あっての二制度だ」と強調(diào)した。

法案可決が近づくと、民主活動を推進していた政界の重鎮(zhèn)や評論家が相次ぎ引退宣言し、香港を離れる活動家も出てきた。2014年に起きた「雨傘運動」のリーダーだった黃之鋒(ジョシュア?ウォン)氏や周庭(アグネス?チョウ)氏らが組織した「香港衆(zhòng)志」は解散。「香港獨立」を唱えていた政治団體ら少なくとも7団體が香港本部を解散。民主派勢力は潮が引くように大きく後退した。

國安法が施行された翌7月1日は23回目の返還記念日だった。この日もデモは認められず違法を承知で街に繰り出した市民は、國安法施行について、「中國政府は、返還後50年不変の約束を反故にした」(70歳男性)、「一國二制度は一國一制度になった」(31歳女性)、「自由がなくなり、香港は中國本土と変わらない都市になり下がってしまう」(19歳男性)と不満をあらわにした。このデモで、約370人が逮捕された。

ただ、反対ばかりではない?!钙茐残袨椁摔蓼羌挨?、行き過ぎた自由は制限されるべきだ」(58歳男性)とか、「政治活動には興味がないから、國安法は怖くない」(43歳女性)というように、社會の安定につながると前向きにとらえて歓迎する市民も少なくない。「中國政府が主導(dǎo)することに恐怖を感じるが、法律の必要性は理解できる」(47歳女性)という聲もある。

返還記念日の逮捕者のうち、「香港を取り戻せ 時代革命」「香港獨立」と書かれたスローガンを手にしていた市民ら10人が國安法に違反した疑いで逮捕された。このスローガンが書かれた旗を所持していただけでも違反と判定されたことで、デモ活動を応援する飲食店に張られていた、同様のスローガンは一斉にはがされた。公立図書館では黃之鋒氏など民主活動家の書籍は早速、閲覧できなくなった。市民の目の前で起こりだしたのは、言論や表現(xiàn)の自由への厳しい統(tǒng)制だ。

返還直前から今まで、私が知る香港は、なんといっても、英植民地時代からの中洋折衷のエキゾチックさと、自由放任主義(レッセフェール)のもと、なんでもありの破茶滅茶さがある、ユニークで活力ある自由都市だ。中國経済への依存度が高まり、中國化が進んでいるとはいえ、まだ自由を謳歌する香港らしさは殘っていた。

どのような言動が國安法に觸れるかは、依然として手探り狀態(tài)だが、これまでのように中國共産黨や政府に批判的な政治活動や言論活動には相當ブレーキがかかりそうだ。これまでのような痛烈な批判や風(fēng)刺はご法度になるだろう。

反政府運動のムードを盛り上げた、各地の「レノンの壁」に貼り付けられたメッセージやポスターは、ほぼ跡形もなくはがされた。代わって、街中では國安法のポスターを見かけるようになった。中國政府高官は、香港で暴力行為がなくなり、社會に安定をもたらすことになるこの國安法は、返還記念日のプレゼントだといった。そのプレゼントの先にあるのは、學(xué)校教育や外國籍裁判官、公務(wù)員など、さまざまな制度の見直しだろう。

今後しばらくは、混亂は避けられないと思う。わかっていることは、國安法の施行を境に、“自由都市?香港”は去り、香港は“中國の香港”として再スタートしたということだ。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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