Record China 2014年1月21日(火) 15時27分
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20日、韓國紙?中央日報は、19日に中國?ハルピン市でオープンした安重根記念館の建設の裏に、日中韓3國の複雑な外交史が隠れていると伝えた。寫真はハルビン駅の安重根記念館。
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2014年1月20日、韓國紙?中央日報中國語版サイトは、中國?黒竜江省ハルピン市に19日オープンした安重根(アン?ジュングン)記念館について、その裏に日中韓3國の複雑な外交史が隠れていると伝えた。
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韓國政府が中國政府に対して初めて安重根の記念碑を建てることを打診したのは、2006年のことだった。中國も韓國も日本帝國主義に侵略された過去を持つが、當時の中國政府は日本との関係を考慮し、韓國側の要求を斷った。経済発展に力を入れたい中國にとって、日本政府の差し出す巨額の政府開発援助(ODA)は魅力的であり、日本の顔色をうかがう必要があった。
このため、安重根の追悼活動は主に韓國の民間人によって行われていた。2006年、韓國人企業(yè)家と安重根義士崇仰會がハルピン市の中心に高さ4.5mの安重根の銅像を建てた。韓國人企業(yè)家が同市に個人で投資したデパートの敷地內に建てた銅像だったが、中國政府は「外國人の銅像を建ててはならない」との理由で、銅像の撤去を命じた。この銅像はその後まもなく同敷地內のデパート內に移され、2009年の安重根義士追悼100周年記念で韓國に戻り、國會で臨時展示された。
日中関係が転機を迎えたのは2009?2010年。この時期、中國経済は急成長を遂げ、日本を追い抜き世界第2位の経済大國となった。同時に、日中間の領土問題が浮上。2010年9月に中國の漁船が尖閣諸島沖で日本の海上保安庁の巡視船に衝突したことから、北東アジアのパワーバランスを保つために中國は韓國に接近する必要があった。さらに米國のアジア重視政策は中國にとって常に大きな圧力になっていたのである。
ハルピン駅構內に安重根の石碑の建設すら拒んでいた中國が、樸槿恵(パク?クネ)大統(tǒng)領の訪中後、わずか7カ月で記念館をオープンさせた理由がここにあるのだ。(翻訳?編集/本郷)
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