<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>「新公民運(yùn)動」に怯える習(xí)近平政権ーー提唱者に懲役刑

Record China    2014年1月27日(月) 7時(shí)50分

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26日、「新公民運(yùn)動」の提唱者?許志永の懲役刑判決が出た?!刚吖伽涔伯b黨幹部の資産公開」などを要望しただけで悪事は働いていないが、支援者が増えたことから「公共秩序騒亂罪」で逮捕された。寫真は「自由、民主、法治、憲政」を目指す孫文の直筆「公民」。

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2013年1月26日、「新公民運(yùn)動」の提唱者?許志永の判決が出た。4年の懲役刑だ。

その他の寫真

彼はただ単に「政府高官や共産黨幹部の資産公開」などを、ネットを通じて要望しただけで、悪事は働いていない。しかし支援者が増えたことから「公共秩序騒亂罪(社會の秩序を亂すという違法行為)」で逮捕されたのである。

「新公民運(yùn)動」とは、2010年6月に、許志永、滕彪、黎雄兵、李方平、徐友漁および張世和らが起草した「公民承諾」に端を発する?!缸杂?公義?愛」を標(biāo)語とし、「自由、民主、法治、憲政」を目指す孫文が書いた文字「公民」(寫真)をロゴマークとして、ネットで呼びかけたのが始まりだ。

 

習(xí)近平が総書記となった2012年11月15日以降の同年末から2013年明けにかけて、新公民運(yùn)動の支持者が深センや北京等で「政府や黨幹部の個(gè)人資産公開」を呼びかけてデモ行進(jìn)をしたところ、少なからぬ參加者が拘束された。

 

習(xí)近平が國家主席に選出され、習(xí)近平政権が正式に誕生した2013年3月14日以降の同31日から4月17日の間に、ネットで「資産公開」を求めた袁冬、張寶成、馬新立ら10名がつぎつぎと逮捕された。彼らは「財(cái)産公示十君子」と呼ばれて、網(wǎng)民(ネットユーザー)に讃えられている。

「財(cái)産公示十君子」とは「政府や黨幹部の個(gè)人資産を公開せよと叫んだ、10名の君子たち」という意味だ。

その後、新公民運(yùn)動などの民主活動家、張向忠や李剛ら數(shù)名が北京で拘留され、4月27日から30日にかけては江西省で資産公開要求運(yùn)動をしていた劉萍(女性)、魏忠平、李思華らが逮捕された。

5月25日には湖北省赤壁の5人の「新公民運(yùn)動」活動家が逮捕されている。

許志永が拘束されたのは2013年4月12日?!笇O志剛事件10周年シンポジウム」に參加するため香港に行き、空港で拘束され、7月16日に「公共秩序騒亂罪(群衆(zhòng)を焚き付けて公共秩序を亂した罪)」で正式に刑事拘留された。

「孫志剛事件」というのは2003年に起きた事件で、大學(xué)を卒業(yè)して就職のために広州に行っていた孫志剛が暫住証(臨時(shí)居住証明)を攜帯していなかったために収容所に収監(jiān)され、當(dāng)局職員に暴行を受け死亡した。當(dāng)局は孫志剛に持病があったとしたが、遺族は納得せず検死を要求。しかし當(dāng)局が拒否したことからネットが炎上し、それがリアル空間に飛び出して大規(guī)模な抗議運(yùn)動へと発展した。事態(tài)を重く見た當(dāng)時(shí)の國家主席?胡錦濤はすぐに命令を出して當(dāng)局者を逮捕、死刑にまで追い込んだことがある。

◆許志永は「ネット元年」の英雄

この事件はネットパワーが勝利した年として、2003年を「ネット元年」と呼ぶほど注目された(詳細(xì)は拙著『ネット大國中國―言論をめぐる攻防』、2011年)。

 このとき弱者をいじめる「収容法」(都市流浪物乞いの収容移送規(guī)則)に対して敢然と立ちあがり、同規(guī)則の撤廃を求めた、俗稱「三博士?上申書」を全人代(日本の國會に相當(dāng))に提出した三博士の一人が弁護(hù)士?許志永(北京大學(xué)、法學(xué)博士)だ。三博士の上申書は全人代で取り上げられ、悪名高き収容法を遂に撤廃に追いやることに成功した。

許志永は「ネット元年」の英雄として庶民に讃えられ、その後、中國人民の「公民」としての當(dāng)然の権利を訴える「新公民運(yùn)動」をネットを通して展開していったのである。

許志永の初公判が、今年1月22日、北京地裁(北京市第一中級人民法院)で開かれた。

 裁判所の周りは多くの新公民運(yùn)動支持者によって囲まれたが、それを警戒して2000人から成る警官が出動し、當(dāng)局は厳戒態(tài)勢を取った。

 

2014年の中國の春節(jié)は1月31日だ。

 1月22日を選んだのは、春節(jié)で交通機(jī)関が込んでおり、また中國政府や共産黨に不満を持つ地方の陳情者らが北京に來るのは困難だからだ。北京にいる出稼ぎ労働者たちも、春節(jié)にはみな故郷に帰る。だから地方からの陳情者が北京に集まりにくい。

當(dāng)局はもう一つ、卑怯な手を選んだ。

それは許志永の釈放をネットで呼び掛け、3000人近くの署名を集めた王功権の存在を「薬味」に利用したことである。王功権は「新公民運(yùn)動」推進(jìn)者の一人だが、彼は実業(yè)家として人権派弁護(hù)士や知識人を支援していた。そのため王功権自身も70日間にわたって拘束されていたのだが、許志永の初公判があった同じ日に、北京地裁は裁判所の中國版ツイッター微博(ウェイボー、マイクロブログ)で、王功権が「罪を認(rèn)めた」旨の情報(bào)を流したのだ。

春節(jié)で一刻も早く家に帰りたいと思ったのだろうか、王功権は當(dāng)局に「私は間違いなく、許志永とともに社會の秩序を亂すという違法行為(公共秩序騒亂罪)を策動し、扇動した罪を犯したことを認(rèn)める。出所したら、今後は許志永らとの関係を斷絶する」と供述したというのだ。その結(jié)果、保釈金を積んで保釈されたという。

こうして、新公民運(yùn)動を展開する者同士を分?jǐn)啶?、橫につながることを阻止した。

◆習(xí)近平は「ボトムアップ」の力を恐れている

それなら中國政府は資産公開に著手していないのかというと、そうではない。

実は中國政府は2010年7月11日に「指導(dǎo)幹部の個(gè)人的事項(xiàng)の報(bào)告に関して」という文書を発布している。これは基本的には各機(jī)関の副処長以上の職にある者に対して個(gè)人資産や家族に関する実態(tài)を申告させるという規(guī)定である。それを內(nèi)部で実行しながら、一方では新公民運(yùn)動提唱者たちを逮捕する。

それは政府が指示する「トップダウン」の改善は促進(jìn)するが、民の中から立ち上がってくる「ボトムアップ」の運(yùn)動はすべて抑えるということなのである。

「ボトムアップ」は、政府への多くの不満を巻き込みながら橫につながり、政府転覆に転換していく可能性を秘めているからだ。いまや網(wǎng)民の數(shù)は6億を越えた。パソコンを買うお金はなく攜帯でネットにアクセスする網(wǎng)民の數(shù)は5億。橫につながるのは簡単だ。

習(xí)近平が恐れているのは、この動きであって、政府に対する人民の不満が爆発寸前であることを自覚している、何よりの証拠と言えよう。

10年前に胡錦濤がその主張を認(rèn)めた許志永が、習(xí)近平政権では罪人になったというのは、それだけ「民主の聲」が閉ざされたことを意味し、それだけ人民の不満が激化していることを示しているのである。

?。ǎ歼h(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>第16回)

遠(yuǎn)藤譽(yù)(えんどう?ほまれ)

筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國際交流センター長。1941年に中國で生まれ、53年、日本帰國。著書に『ネット大國中國―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國を動 かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子(チャーズ)―中國建國の殘火』『完全解読「中國外交戦略」の狙い』など多數(shù)。

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