Record China 2014年1月27日(月) 13時(shí)40分
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22日、中國のネット掲示板に「中國人よ、『抗日』は一體何のためだ?」と題した記事が掲載され、話題となっている。資料寫真。
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2014年1月22日、中國のネット掲示板?天涯社區(qū)に「中國人よ、『抗日』は一體何のためだ?」と題した記事が掲載され、話題となっている。以下はその內(nèi)容。
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今の中國は日本を敵視していて、「抗日」を叫ぶ聲で満ちあふれている。日本といえばすぐに「恨み骨髄!」の若者よ、日本と中國の関係が本當(dāng)はどうだったのか、君たちは知っているのか?中國の改革開放から30數(shù)年、日本が中國に何をしてきたか教えてあげよう。
日中の貿(mào)易関係は1950年代に半官半民の形で始まった。60年代になって中ソ関係が悪化すると、中國はソ連や東歐諸國から技術(shù)設(shè)備などの導(dǎo)入の道を絶たれ、日本に活路を見出すことに。1972年の日中國交正?;帷I國は貿(mào)易協(xié)定を締結(jié)。1966年から1980年代中期までの20年間、日本は中國にとって最大の貿(mào)易相手國であり、80年代後期から90年代初期の香港に代わり、1993年から2002年まで日本は再び最大の貿(mào)易相手國に返り咲いた。
日本企業(yè)は1979年から中國への直接投資をスタートさせた。90年代前半には対中直接投資は急上昇。たとえば日本の製造業(yè)の対中直接投資額は、1990年は1億6400萬ドルだったが、1995年には35億8000萬ドルと爆発的に増加している。90年代後半には、日中両國の政治的影響やアジア金融危機(jī)などで、日本の対中直接投資は4年連続で大幅減少したが、2000年から再び増加に転じた。日本は対中直接投資累計(jì)額で1位であり、日中貿(mào)易の発展に直接的な作用を及ぼしてきた。
そして日本はどの國よりも早く、改革開放後の中國に援助を差し伸べた國だ。日本の政府開発援助(ODA)は、1982年から1984年まで中國が最多受け入れ國だった。1979年から1984年まで、経済協(xié)力開発機(jī)構(gòu)(OECD)下部組織?開発援助委員會(huì)(DAC)の加盟國及び國際機(jī)関の対中経済援助総額の45%を日本のODAが占め、世界1位に。1989年、中國が受けた外國からの援助のうち、日本の援助がその70%近くを占めた。2000年には、日本の対中ODAは各國政府からの対中ODA総額の61.2%を占め、日本のODAだけで他のODA総額を上回った。
ODAには円借款と無償援助、技術(shù)協(xié)力の3種類がある。1979年から2006年までに日本政府が提供を約束した対中円借款の総額は3兆2000億円に上った。2007年度の460億円を最後に、日本の対中円借款の歴史は終わりを告げた。だが、無償援助と技術(shù)協(xié)力は継続中だ。
今日に至るまで、中國の現(xiàn)代工業(yè)は基本的に日本の技術(shù)によって発展してきた。われわれがよく知っている家電メーカーも、日本の技術(shù)なくして発展はありえなかった。われわれが使っている日用品もほとんどが日本製品のコピーだ。中國の重工業(yè)、製鉄、自動(dòng)車、エネルギーなどの産業(yè)も日本の技術(shù)を?qū)?、もしくは日中合弁という形式を採用している??陀Q的事実からいって、われわれのすべての工業(yè)に日本の影が映っている。では、なにをボイコットするのか。
消費(fèi)とは自分の生活を豊かにするためのもので、何かの島のためでもなく、何かの政治のためでもない。自分を大切にし、家族を愛し、法律を守り仕事に勵(lì)むことが愛國だ?!笎蹏工趣いσ卵bをまとい、同胞を傷つけるような行為を行うのは愛國ではない。家族の幸せこそが最大の幸せなのだから。(翻訳?編集/本郷)
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