Record China 2014年1月28日(火) 8時(shí)40分
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昨年末の12月30日、中共中央政治局會議が開催された。三中全會(同年11月9日?12日)で打ち出した「中央全面深化改革領(lǐng)導(dǎo)小組(全面的に改革を深化させる中央指導(dǎo)グループ)」のトップリーダー(組長)として、習(xí)近平が選出された。寫真は北京?天安門。
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◆「國家安全委員會」の前に、突然「中央」を付けた
【その他の寫真】
昨年末の12月30日、中共中央政治局會議が開催された。三中全會(同年11月9日?12日)で打ち出した「中央全面深化改革領(lǐng)導(dǎo)小組(全面的に改革を深化させる中央指導(dǎo)グループ)」のトップリーダー(組長)として、習(xí)近平が選出された。
この指導(dǎo)グループの先頭には「中央」という文字が付いており、これは中共中央の組織だということを意味するので、中共中央総書記である習(xí)近平が就任するのは、まあ、自然の流れだろう。
問題は、三中全會で提起した「國家安全委員會」の位置づけと、そのトップリーダーを決定した時(shí)期だ。
筆者は昨年11月16日の本コラム第10回「<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>中國「三中全會」を解読!―習(xí)近平政権の両輪、中央全面深化改革領(lǐng)導(dǎo)小組と國家安全委員會」で、「中央全面深化改革領(lǐng)導(dǎo)小組」と「國家安全委員會」は、今後の習(xí)近平政権の車の両輪となるだろうと書いた。そのことに変化はない。
ただ筆者はそのときに、「國家安全委員會」に関して、“これには「國家」という枕詞があるのでこれは國務(wù)院(政府)側(cè)に設(shè)けた組織であることを意味する”と書いている。それも、本來は正しいのだ。
ところが、である――。
習(xí)近平は今年1月24日に、突然、中共中央政治局會議を開催して、これまでの「國家安全委員會」の前に、「中央」という文字を「新たに」付け加えて、「中央國家安全員會」としてしまった。
この瞬間、何が変わったかというと、「國家安全委員會」は國務(wù)院の組織ではなく、したがって3月5日に開かれる全人代の決議を待つ必要がなく、しかも、そのトップには自動的に「習(xí)近平総書記」が就くということになる。
全人代の討議と決議を通したとしても、どっちみち「すべては黨の指導(dǎo)下」にあるのだから、習(xí)近平がトップに立つためなら、「國家主席」としてトップリーダーに就けばいい。
あるいは最初から「中央」を付けておけばよかっただろう。
しかし、そうは、しなかった。
突然の変化があり、習(xí)近平が「総書記」として、「中央國家安全委員會」の主席に就任したのである。
これにより、習(xí)近平は「中共中央総書記、中共中央軍事委員會(=國家軍事委員會)主席、國家主席、全面深化改革領(lǐng)導(dǎo)小組?組長、中央國家安全委員會?首席」の五大権力を一手に掌握した形になる。
◆背景には何があるのか――?
まず客観的事実として言えることは、全人代を通すことをスタートラインとすれば、二つのデメリットがあるということだ。一つは時(shí)期的に3月5日まで待たなければならないということと、仮に待つだけの時(shí)間的ゆとりがあったとしても、法案を通してからでないと動けない。いちいち法律に則らなければならなくなるのだ。となると、迅速に対応するという俊敏性が無くなるために、他の國の國家安全會議NSC(National Security Council)のような機(jī)動性を失う。だから先に全人代を通す形を取らず、その結(jié)果「中共中央」を意味する「中央」を付けた。
これが一つの理由だろう。そのため春節(jié)(1月31日)前の慌ただしい時(shí)期であるにもかかわらず、全人代開催前を選んだと考えられる。全人代では別途「中央」を付けない「國家安全委員會」が「二つの看板」で決議される可能性も否定はできない。
このような奇々怪々な現(xiàn)象の背景には、もっと深い事情があることを見逃してはならない。
実は中國には「中央國家安全工作領(lǐng)導(dǎo)小組」というものが2000年に設(shè)立されている。今は「中央外交工作領(lǐng)導(dǎo)小組」(中共中央外交問題指導(dǎo)グループ)と抱き合わせで「二つの看板、同じ組織」として存在する?!钢醒雵野踩ぷ黝I(lǐng)導(dǎo)小組」は、江沢民が1999年6月10日に設(shè)立した「610弁公室」に対応して作られたもので、胡錦濤も溫家寶も、法輪功弾圧に積極的ではなかったので、ほとんど表に出ていない。
昨年12月21日の本コラム第14回「周永康の外堀いよいよ狹まる――中共中央、公安部副部長?李東生の調(diào)査を始める」で「610弁公室」の主任である李東生が捕まったことを書いた。その李東生は周永康の腹心。周永康は江沢民の子飼い中の子飼いだ。
「中央國家安全」までが同じで、末尾の「委員會」と「工作領(lǐng)導(dǎo)小組」が異なるだけのものを新設(shè)するのは、いかなる目的か。
1月21日、國際調(diào)査ジャーナリスト連合ICIJ(International Consortium of Investigative Journalists)が、習(xí)近平や胡錦濤あるいは溫家寶など、中國の指導(dǎo)層(&元指導(dǎo)層)の隠し財(cái)産に関してスクープしたことは、皆さんご存知のことと思う。オフショア銀行と言われる、いわゆるタックス?ヘイブン(租稅回避地)に巨萬の不正蓄財(cái)を貯めているという情報(bào)だ。
不思議なことにこの「スクープ」の中には、朱鎔基?元首相が「中國第一貪(中國の第一汚職王)」という綽名をつけた江沢民の息子?江綿恒の名前もなく、汚職の頂點(diǎn)に立つ江沢民自身の名前もなければ、汚職金額が1000億元(約1兆7000億円)と言われている、かの周永康(元「610弁公室」のボス)の名前もない。
となると、この情報(bào)発信に當(dāng)たって、何らかの操作があったことは、容易に想像がつく。誰が背後にいるかも、指摘するまでもないだろう。ICIJ情報(bào)に書かれていない「腐敗のメッカ」を形成している連中だ。それは「中央國家安全工作領(lǐng)導(dǎo)小組」と関係しているのである。
溫家寶が「自分も、自分の親族も潔癖だ」と主張する直筆の書簡を香港の「明報(bào)」に掲載したのは1月18日である。手紙を書いたのは2013年の12月27日。ということは、溫家寶は事前にICIJがスクープすることを知っていたことになる。もっとも、2012年10月、「ニューヨーク?タイムズ」が溫家寶の息子が巨額の不正蓄財(cái)をしていると報(bào)じたことがある。これは明らかに薄熙來がかつて雇用していたジャーナリストが発信したものであった。ここに來てこのような前代未聞の書信を國務(wù)院総理となった人物が公開するのは、よほどの情報(bào)をつかんでいたからに違いない。
「國家安全委員會」は國內(nèi)外の諜報(bào)活動に関しても統(tǒng)括し、國境を越えた経済犯罪やネット情報(bào)に関しても対応する。こういった流れを受けて、委員會の設(shè)立を早め、先頭に「中央」を付け、機(jī)動性を高めたものと思われる。そして交錯(cuò)している「安全」系列を統(tǒng)合した。
二つの車輪のトップリーダーに習(xí)近平が就いたことで、李克強(qiáng)外しとか指導(dǎo)層における內(nèi)部の権力爭いといった分析をしたがるメディアが未だにあるが、中國には今そのようなゆとりはもうない。黨そのものが崩壊の危機(jī)にさらされているからだ。
その敵は「利益集団」。腐敗が限度を超えてしまっている。だから習(xí)近平に強(qiáng)力な権力を集中させ、李克強(qiáng)と連攜しながら利益集団に立ち向かうしかない。
二つの車輪の「副」のポジションには、両方とも李克強(qiáng)が就いている。反腐敗は、いかにして「利益集団」と戦うかの問題であり、いかにして墮落しきった黨員の精神を是正するかの問題なのである。もう、待ったなしのところに、中國は追い込まれている。
(<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>第18回)
遠(yuǎn)藤譽(yù)(えんどう?ほまれ)
筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國際交流センター長。1941年に中國で生まれ、53年、日本帰國。著書に『ネット大國中國―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國を動かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子(チャーズ)―中國建國の殘火』『完全解読「中國外交戦略」の狙い』など多數(shù)。
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Record China
2014/1/27
2013/12/2
八牧浩行
2014/1/1
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