私が恨むべき日本はいったいどこに? 日本を訪れて“妄想”がなくなった―中國ネットユーザー

Record China    2014年1月29日(水) 8時40分

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28日、あるネットユーザーによる「私が恨むべき日本はいったいどこに?」と題するコラムが、中國のインターネット上で話題となっている。資料寫真。

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2014年1月28日、あるネットユーザーによる「私が恨むべき日本はいったいどこに?」と題するコラムが、中國のインターネット上で話題となっている。以下はその概要。

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仙臺の東北大學(xué)にいた時、私は日本の子どもたちと交流する機(jī)會を持った。心にわだかまりがなかったわけではない。「彼らは日本人だ」という意識は常にあった。しかし実際、彼らは清潔で禮儀正しく、とても純粋で嫌いになれるような人物ではなかった。私が憎むべき「日本」は仙臺にはない。私が憎むべき「日本人」は彼らであろうはずがない。しかし、“あの”日本はいったいどこにあるのか?

よく「日本に行ったことがある中國人は、日本への印象が変わる」といわれるが、私にとってはまさにその通りだった。彼らの禮儀正しさなどはもちろんそうだが、私が気付いた最も重要なことは、彼らも「人」であるということだ。

おかしな話かもしれないが、私は日本を訪れる前、日本には変態(tài)侵略者のキャンプがいたる所にあると思っていた。しかし、実際は我々と同じように靜かに暮らす人々がいるだけだった。彼らも私たちと同じように、両親がいるし、子どもがいる。戀愛もするし、失戀もする。喜んだり悲しんだりもする。

當(dāng)然のことだ。しかし、小さい子どもが泣きながら母親に甘えていたり、女學(xué)生が手をつないで歩いていたり、サラリーマンが険しい顔でたばこを吸っていたりする姿を見ていると、「自分たちと何ら違いがない」という実感に包まれる。彼らの祖先が中國に悪いことをしたからといって、彼らがその罪をかぶらなければならないのか?彼らの幸せは奪われるべきなのか?そんな道理はあるはずもない。

中國では日本について、まるで奇怪な場所であり、宇宙人が住む街であるかのように紹介されている。彼らは日本に行ったことがないと思われる。彼らにとっての日本は地図の上の1ピース、ニュースの中のたった2文字に過ぎない。

たとえ誰かから批判されても、これだけは言いたい。私が出會った日本人はみな素晴らしかった。日本社會には文明と秩序が根付いている。私はそこで溫かい援助を受け、心からの笑顔を見た。私は日本でばかにされたと感じたことはなかった。自分の生活がしっかりしていれば、他人を恨む必要はないのだ。自分が他人を尊重すれば、他人も自分を尊重してくれる。日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった。(翻訳?編集/北田

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