Record China 2014年2月10日(月) 15時(shí)41分
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7日、タイの英字紙バンコクポストによれば、タイ東北部の伝統(tǒng)蕓能モーラムの歌い手バンイェン?ラーケンさんが、王室から「國(guó)家的蕓術(shù)家」の稱(chēng)號(hào)を與えられることが決まった。
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2014年2月7日、タイの英字紙バンコクポストによれば、タイ東北部の伝統(tǒng)蕓能モーラムの歌い手バンイェン?ラーケンさんが、王室から「國(guó)家的蕓術(shù)家」の稱(chēng)號(hào)を與えられることが決まった。
【その他の寫(xiě)真】
バンイェン?ラーケンさんは、1952年ウボンラチャタニー県出身。貧しい農(nóng)家に生まれたが、モーラムの師範(fàn)をしていた叔父の教えもあり、14歳で初ステージに上がった。當(dāng)時(shí)から叔父は、「彼女の聲には獨(dú)特の響きがあった。いい歌い手になると思っていた」と語(yǔ)っている。
「初めてステージに上げられた時(shí)、手も口も震えて、どうやって歌い終わったかもわかりませんでした。でも、お客さんが次々とチップを持って來(lái)てくれて、うまくやれたと思って、落ち著きました」と當(dāng)時(shí)を振り返るバンイェンさん。
今回の稱(chēng)號(hào)授與にあたっては、「知らせを聞いたとき、あまりのショックに夢(mèng)を見(jiàn)ているのかと思いました。言葉も出ないほどに興奮しましたよ。私の人生において、ほかの何にも代えがたい最高に栄譽(yù)あることです」と語(yǔ)った。
古くから伝わる伝統(tǒng)的なスタイルで歌い続けた彼女は、もっと若い人たちや都會(huì)の人にもモーラムを聞いてほしいとの思いから、他の作家たちと協(xié)業(yè)してポップスやルークトゥンのスタイルを取り入れた新しいスタイルを作り上げた。中でも「ランバダ」など歐米のヒット曲にタイ語(yǔ)の歌詞を載せてカバーするなど意欲的な挑戦は、保守的なところからの反発もあったものの、當(dāng)時(shí)の彼女を有名にする原動(dòng)力になった?,F(xiàn)代に伝わる歌謡曲としてのモーラム。あるいはモーラム風(fēng)の曲調(diào)は、彼女を含む意欲的な作家たちが作り上げたスタイルであると言っても過(guò)言ではない。
今に至っても、ルークトゥンやモーラムのファンの間では彼女の名前はすでにその代名詞的な存在となっている。また、人気俳優(yōu)である息子トニー?ラーケンの母親として都會(huì)派の人々にも知名度は高い。そして、DJでもある娘のキャンディー?ラーケンと、伝統(tǒng)とポップ、ロックの融合に今でもチャレンジしている。
なお、モーラム歌手としてはチャウィーワン?ダムヌンさんとアンカナン?クンチャイさんが同じ稱(chēng)號(hào)を授與されている。(提供/Global News Asia?翻訳?編集:そむちゃい吉田)
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