舛添要一新東京都知事に中國も注目=昨年訪中し日中改善を協(xié)議した「獨(dú)立獨(dú)歩の政治家」―中國メディア

Record China    2014年2月10日(月) 7時52分

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9日、東京都知事選挙において、與黨の自民黨、公明黨の推薦を受けた舛添要一元厚生労働大臣が當(dāng)選した。中國メディアもこの結(jié)果を速報で報じている。寫真は東京。

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2014年2月9日、東京都知事選挙において、與黨の自民黨、公明黨の推薦を受けた舛添要一元厚生労働大臣が當(dāng)選した。中國メディアもこの結(jié)果を速報で報じている。財新網(wǎng)が伝えた。

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舛添氏は國際政治學(xué)者から評論家に転身、その後政界で注目を集め、獨(dú)自の意見が大きな支持を集めている。1989年、東京大學(xué)を批判して學(xué)者の肩書を捨て、自身の名を冠する研究所を立ち上げた。その後、母親が認(rèn)知癥になり、毎週末は故郷である北九州で過ごすことになる。このことがきっかけで出版された『母に襁褓(むつき)をあてるとき』の中で、介護(hù)の経験や社會保障システムの問題を詳細(xì)に描き、高齢化時代を予見してみせた。

2007年、歯に衣著せることなく安倍內(nèi)閣を批判していた舛添氏は、當(dāng)の安部首相本人から厚生労働大臣に任命される。その後は消えた年金問題、醫(yī)師不足、インフルエンザ、薬害肝炎問題への対処で実務(wù)能力の高さを認(rèn)められ、福田內(nèi)閣、麻生內(nèi)閣でも厚労相に留任された。2010年の世論調(diào)査では、「次の首相に最もふさわしい人物」に選ばれる。舛添氏は參議院議員時代に憲法改正を主張していたが、日中関係においては石原元都知事、豬瀬前都知事に比べ穏健派だとされている。昨年4月、中國を訪問し、唐家[王旋](タン?ジアシュエン)氏と硬直狀態(tài)に陥った日中関係の改善について話し合った。

2011年、東日本大震災(zāi)発生の日、舛添氏は上海復(fù)旦大學(xué)孫文をテーマにした講演會を開催していた。舛添氏は『孫文―その指導(dǎo)者の資質(zhì)』と題した著書で、日中関係の不調(diào)は孫文のような広い視野を持った人物がいないためだという見方を披露し、両國民はもう一度四書五経を始めとする中國古典によって文化、価値観、哲學(xué)を共有する必要があると述べている。(翻訳?編集/岡本悠馬)

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