<ボイス>日本で生活する中國(guó)人、「わが青春の池袋マルイ」閉店に特別な感慨

Record China    2020年10月7日(水) 20時(shí)20分

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「池袋マルイ」などの閉店を受け、日本で生活する中國(guó)人からも、自らの記憶と絡(luò)めて「特別な感慨」を投稿する動(dòng)きが出ている。寫真は「池袋マルイ」の外観。

丸井グループが2日、「池袋マルイ」などの閉店を発表した。長(zhǎng)期にわたって親しまれていた店舗が消えてしまう現(xiàn)実に直面することで、多くの日本人が時(shí)代の流れを感じさせられることになった?!干蓼欷繃?guó)」は違っても、日本生活が長(zhǎng)い中國(guó)人にも同様に、いや、日本人以上に深く感じるところがあるようだ。

1990年代ごろまでに日本での生活を始めた中國(guó)人にとって、日本は経済大國(guó)、技術(shù)強(qiáng)國(guó)であると同時(shí)に「ファッション先進(jìn)國(guó)」でもあった。そんな「きらめく日本のファッション」のシンボルの一つであった店舗が時(shí)代の流れについていけなくなり、閉店のやむなきに至った。

日本生活歴30年というある中國(guó)人は、フェイスブックに“丸井と私の歴史”をつづった。彼は投稿の前半で「丸井の黃金時(shí)代」について、山本寛斎や三宅一生など、ファッションの本場(chǎng)とされるパリでも高い評(píng)価を得た日本人ファッションデザイナーの作品が店頭に並べられて無(wú)數(shù)の若者を魅了したと紹介した。

「1970年代に日本のDCブランドが臺(tái)頭」とも書いているので、彼が日本にやってくる前の時(shí)期についての紹介と考えてよいだろう。彼の心の中では、自分が実際に見(jiàn)たことのない情景を含めて「黃金の丸井像」が形成されたことになる。

経済的に厳しい留學(xué)生時(shí)代の彼にとって、丸井にあこがれたとは言え、ファッション関連の出費(fèi)は厳しかったようだ。三日にあげず「丸井通い」をして、気になった服を眺めては自分の財(cái)布と相談していたという。やっと買えたのはほとんど、1年に1度か2度のバーゲンの際だったようだ。彼によると、周囲の中國(guó)人留學(xué)生も同様の狀況だったという。

そんな彼も就職したことで、金銭面には余裕が出た。ところが今度は、池袋マルイに置いている服は主に若者向けなので、年齢を重ねたことで、寸法からしても自分に合う服は見(jiàn)當(dāng)たらず、子どものために服を買ってやるだけになってしまった。

それでも彼の心の中には、「青春時(shí)代に果たせなかった夢(mèng)の実現(xiàn)」「自分があこがれた服を子に與えることができる親としての満足感」「経済的にゆとりある生活を?qū)g現(xiàn)できた充実感」が同居しているに違いない。

そんな彼にとって、青春時(shí)代の、そして長(zhǎng)い日本生活を通じてファッションのシンボル的存在だった池袋マルイが消えてしまうことは、やはり大きなショックだったようだ。「心に大きな空白が殘った」とつづって、投稿を締めくくった。(翻訳?編集/如月隼人

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