<コラム>モンゴル人に「チンギス?ハン=源義経説」を話したら、結(jié)局は大喜びしてくれた

如月隼人    2020年10月13日(火) 23時(shí)0分

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いわゆる「チンギス?ハン=源義経説」をモンゴル人に話したらどうなるだろう、と思って試してみたわけです。一時(shí)はとても険悪なことになってしまいました。寫真はチンギス?ハンの銅像。

「チンギス?ハン=源義経説」って聞いたことありますか? 源氏の頭領(lǐng)だった源頼朝の弟で、平家を打ち滅ぼすのに最大の功績があった源義経は、「それまで庇護(hù)者であった藤原泰衡に1189年に討たれた」「泰衡は頼朝の意向を受けて義経を襲撃した」というのが定説です。ところが、「いや、義経は死んでいなかった。奧州から北海道に行ってさらに大陸に渡り、遊牧民を統(tǒng)合して史上最強(qiáng)の軍事集団を築いた。その人物こそチンギス?ハン」という説が発生した。もちろん、學(xué)問の世界では相手にされていません。

さて、この「チンギス?ハン=源義経説」ですけど、モンゴル人に話したらどうなるだろうか、と思って試してみたわけです。われながら、人が悪いなあ。話した相手は內(nèi)モンゴルの出身者でした。「國籍は中國、民族はモンゴル」という人です。

驚きました。彼の顔は一瞬で激変した。完全に憤怒の形相?!溉毡救摔?、そうやって歴史を捏造するんだ」なんて言い出した。あちゃあ。困った。

後で知ったのですが、モンゴル人はチンギス?ハンを「歴史上の大偉人」として崇拝するだけじゃなくて、「信仰の対象」として拝むのですね。そう言えば、內(nèi)モンゴル南部のオルドスには「チンギス?ハン廟」があって、大勢(shì)のモンゴル人が祈りを捧げている。しまった。相手の宗教的感情を傷つけてしまうと分かっていたなら、「チンギス?ハン=源義経説」なんて言い出すんじゃなかった。

でも、もう遅い。口から出てしまった言葉は取り消せない。しかも相手は「日本人は歴史を捏造」なんて言い出した。日本人全體の評(píng)判を下げてしまったのでは、日本男児として同胞に申し訳ない。

ということで、私は懸命の弁解に努めたのでした。とはいえ、噓を言ってごまかしたわけじゃありません。「とにかく私の話を聞いてください」と言って、まずは源義経が平家を打ち滅ぼした狀況を説明した。そして、「源義経の強(qiáng)さの秘訣は、馬の機(jī)動(dòng)力を最大限に生かしたこと」とも説明しました。まあ、このあたりは司馬遼太郎さんの受け売りですけどね。

すると、相手のモンゴル人は少し機(jī)嫌をよくしました。「そうか、馬を使ったのか。モンゴル人の戦法と同じだ」などと言い出した。まあ、モンゴル人の場(chǎng)合には、馬の話題になっただけでうれしくなってしまう人が、結(jié)構(gòu)います。

私はさらに、源義経が兄の怒りを買って、殺されてしまったことを話しました。そして「可哀そうだと思わないか?」と尋ねると、彼も「そりゃあ可哀そうだ」とすっかり同情した様子。

モンゴル人については、「モンゴル帝國の大征服」なんて歴史上の知識(shí)があるので、「勇猛果敢」というイメージがありますよね。たしかに、彼らが馬を駆って大草原を疾走する光景を見ると、そんな感じを強(qiáng)く受けます。こまごまとした策を弄することを嫌う、ある意味で「無骨」な人も多い。でも、彼らに実際に接してみると、日本人以上に同情心に富む人がたくさんいます。

19世紀(jì)の後半にモンゴルを旅した英國人のジェームズ?ギルモアも、そんなことを書いた文章を殘しています。モンゴル人は、自分の血を吸う蚊を叩き潰した時(shí)にも、潰された蚊をしげしげと見て「ホールヒー(可哀そうに)」と言っていたというのです。私もモンゴル人に聞いてみたのですけど、この「ホールヒー」という言葉をしばしば口にするのは、現(xiàn)代のモンゴル人も同じだそうです。

源義経の話に戻ります?!袱证丹螭藲ⅳ丹欷郡螭袱憧砂Г饯Δ坤怼:韦趣婴婴丹护皮浃辘郡盲郡坤怼工妊预Δ?、目の前のモンゴル人はまたも同意。「だから、源義経は生き延びて、兄の手から逃れるために北に向かったという伝説ができたんだよ。あくまでも伝説だよ。でも、そう思った気持ちは分かるだろ?」というと、彼はまたしても「うん。それは分かる」と同意。

そこで私は話を一気に進(jìn)めることにしました。「とはいえ、義経が日本國內(nèi)で生きていた痕跡はない。だから、『義経は大陸に渡ったのだろう』と伝説は発展した。ところが、日本史上でもトップクラスと言われる軍略の天才である源義経が、そのまま埋もれてしまうのはおかしい、と言うことになった。當(dāng)時(shí)のアジアで軍事の天才ということで、日本人がまず思い浮かべるのはチンギス?ハンだ。だからこそ、源義経とチンギス?ハンを結(jié)び付けて考えたわけだ」――。

すると彼は「そうかっ! 日本人はチンギス?ハンの偉大さを認(rèn)めているからこそ、源義経と結(jié)びついた伝説ができたのかっ」と、いきなり喜びはじめました。私が「そうだとも、でなけりゃ、こんなに強(qiáng)引な説は発生しないよ」と言うと、彼はもう、大喜びです。

と、そういうことで、彼との関係も維持することが出來たし、日本人に対する不信感が発生することも、食い止められたわけです。よかった、よかった。

なお、「チンギス?ハン」の「ハン」という稱號(hào)ですが、モンゴルでは「ハン」という稱號(hào)と「ハーン」という稱號(hào)は別です?!弗膝蟆工趣弦欢à晤I(lǐng)民を従える君主で、「ハーン」とは全ての「ハン」に君臨する地上の支配者です。中國の用語を借りれば「ハン」とは「國王」で、「ハーン」は「皇帝」ということになります。

チンギス?ハンの本來の名は「テムジン」で、モンゴルの諸部族を統(tǒng)一したことを受け、1206年に「ハン」に即位しました。彼自身は「ハン」の稱號(hào)を使い続けたのですが、後を継いだオゴデイが「ハーン」と稱したので、チンギス?ハンについてもさかのぼって「チンギス?ハーン」と呼ぶ場(chǎng)合があります。なお、「ハン」の當(dāng)時(shí)の発音は「カン」に近かったとされます。「ハーン」の當(dāng)時(shí)の発音は「カガン」で、そののちに「カーン」、現(xiàn)在では「ハーン」と音が変化しました。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大學(xué)教養(yǎng)學(xué)部基礎(chǔ)科學(xué)科卒。日本では數(shù)學(xué)とその他の科學(xué)分野を勉強(qiáng)し、その後は北京に留學(xué)して民族音楽理論を?qū)煿?。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業(yè)とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する?!钢袊慰諝荨工蛘i者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。中國については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結(jié)局は得」が信條。硬軟取り混ぜて幅広く情報(bào)を発信。

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