Record China 2020年10月26日(月) 13時40分
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サッカーの世界的な名將で、中國でも指揮を執(zhí)ったイタリア人監(jiān)督マルチェロ?リッピ氏が22日、監(jiān)督業(yè)引退を発表した。中國のサッカーファンからは自國代表に対する痛烈な批判や皮肉が寄せられた。
サッカーの世界的な名將で、中國でも指揮を執(zhí)ったイタリア人監(jiān)督マルチェロ?リッピ氏(72)が22日、出演した母國のラジオ番組で監(jiān)督業(yè)引退を発表した。これを受け、中國メディアの中新體育は23日付で「彼はワールドカップ(W杯)、歐州チャンピオンズリーグ(CL)を手中に収めたが、それでも中國サッカーの救世主にはなれなかった」と題する記事を掲載した。
リッピ氏は1982年に指導(dǎo)者としてのキャリアを歩み始めた。94年に名門ユベントスを率いてリーグ優(yōu)勝を果たすと、翌年には世界最高峰と言われる歐州CLを制した。また、2004年にはイタリア代表の監(jiān)督に就任。06年のW杯ドイツ大會で母國を24年ぶりの優(yōu)勝に導(dǎo)いた。12年からは中國スーパーリーグの広州恒大の監(jiān)督を務(wù)め、リーグ優(yōu)勝の他、13年のAFCチャンピオンズリーグも制した。16年から中國代表の監(jiān)督に就任。19年1月に退任を発表したが、4カ月後に復(fù)帰。しかし、同年11月に再び退任を発表した。
記事は、監(jiān)督としてのキャリアの最後に中國代表を率いたことから、一部のサポーターからは「中國代表が名將を引退に追いやった」との自嘲気味の聲が聞かれたと伝えている。
実際、リッピ氏は広州恒大では輝かしい成績を殘したものの、中國代表では苦しんだ印象がある。最初の退任のきっかけとなったとされる19年1月のアジアカップ対イラン戦では、チームが同じようなミスから3失點(diǎn)を喫したことについて「こんな負(fù)け方をするとは思わなかった」「非常に怒りを感じた。(選手に)責(zé)任感や誇りはまったく感じられなかった」などと切り捨てた。また、同年4月には母國のインタビューに対し「彼らにはサッカーの伝統(tǒng)というものがない。みんな卓球をやっている」とも漏らした。
記事は、リッピ氏のラストマッチとなった19年11月14日のFIFAワールドカップ?アジア2次予選のシリア戦(1-2)で、ミスが絡(luò)んだ失點(diǎn)とオウンゴールで破れたことが「リッピ氏が中國代表を率いた期間の縮図である」とし、「選手自身の問題は一貫して存在していた」と指摘。ただ、監(jiān)督としてチームを勝利に導(dǎo)けなかったのも事実だとし、「いずれにしても、この結(jié)果に彼は一定の責(zé)任を負(fù)わなければならないだろう」とした。
中國のサッカーファンからは、「もう十分に力を盡くしてくれたよ」「中國代表は名將の墓場」「ポイントは、誰が來ても救世主にはなれないってこと」「彼の人生で最大の失敗は中國代表監(jiān)督になったこと」「中國代表はある意味で伝説」「リッピはすでに証明してくれた。中國サッカーの問題點(diǎn)は監(jiān)督ではなく、體制にあるということをね。中國人はサッカーに向いていない。身體能力は劣り、皆で力を合わせる能力も低い」など、中國代表で結(jié)果を殘せなかったのはリッピ氏の責(zé)任ではないとの聲が多數(shù)寄せられた。(翻訳?編集/北田)
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