<コラム>大灣區(qū)構(gòu)想でどう変わる香港と深センの立ち位置

野上和月    2020年11月16日(月) 18時(shí)40分

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香港では最近、広東省とマカオ、香港が一體化した巨大経済圏「粵港澳大灣區(qū)(グレーターベイエリア)」構(gòu)想に関連したニュースを見(jiàn)ない日はない。

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香港では最近、広東省とマカオ、香港が一體化した巨大経済圏「粵港澳大灣區(qū)(グレーターベイエリア)」構(gòu)想に関連したニュースを見(jiàn)ない日はない。習(xí)近平?國(guó)家主席が先月、広東省深セン市を訪れ、深セン経済特區(qū)40周年の記念式典で、同市の目覚ましい発展ぶりを稱(chēng)えるとともに、大灣區(qū)構(gòu)想に強(qiáng)い期待を示したことに起因するが、香港と深センの変遷や、香港が政治だけでなく経済面でも中國(guó)本土に組み込まれていくと感ぜずにはいられない。

その他の寫(xiě)真

大灣區(qū)構(gòu)想は、深センを含む広東省9都市と香港、マカオで構(gòu)成し、東京ベイエリアをしのぐ一大経済圏を目指すものだ。2019年2月に中國(guó)政府が正式に重大発展戦略として発表した?!敢粐?guó)二制度」のもと、中國(guó)本土とは異なる制度を持つ香港とマカオが初めて、中國(guó)の地域発展計(jì)畫(huà)に組み入れられた。最先端のハイテク技術(shù)が集約する深センと、金融と貿(mào)易業(yè)務(wù)にたけ、國(guó)際感覚を持つ香港が中核となるが、同區(qū)開(kāi)発の重要なエンジンと期待されているのは深センだ。

深センはかつて、國(guó)境を挾んだ香港の隣町だった。1980年に経済特區(qū)に指定され、稅金や加工貿(mào)易などで優(yōu)遇措置が施されると、香港企業(yè)を含む多くの外資系企業(yè)が工場(chǎng)を建設(shè)。人口約30萬(wàn)人の小さな漁村が、「世界の工場(chǎng)」として歩み出した。

私が初めて訪れた1992年、羅湖口岸(出入境ビル)前では、真っ黒に日焼けした男性作業(yè)員たちがスコップで土を掘り返していた。香港が中國(guó)返還の祝賀ムードで沸いていた97年は、同口岸一帯のレンガの家が取り壊され始めたところだった。

當(dāng)時(shí)の深センは、香港市民にとって、國(guó)境があっても簡(jiǎn)単に行き來(lái)できる物価が安い町で、日用品の買(mǎi)い出しやマッサージなどをしに行く場(chǎng)所だった。ブランドの偽物商品も沢山売っていた。生活費(fèi)が安いから、愛(ài)人を囲う既婚の香港人男性も少なくなく、騒動(dòng)がよくニュースになったものだ。

返還後も香港ドルが価値ある外貨として歓迎されていたが、2007年1月に人民元と香港ドルの価値が逆転すると狀況は一変。店やタクシーは香港ドルの受け取りを拒否。香港市民は人民元持參で深センに行かねばならなくなった。物価は徐々に上昇し、買(mǎi)い物の魅力は薄れていくが、香港―深セン間の移動(dòng)はどんどん便利になる。すると、家賃が高騰する香港を避けて、深センから香港に通勤する香港市民が増えていった。

今や人口は香港の約2.6倍、2000萬(wàn)人規(guī)模となり、香港を凌ぐ巨大高層ビルが立ち並ぶ。地下鉄も整備されている?!甘澜绀喂?chǎng)」は、約1萬(wàn)7000社のハイテク企業(yè)が集まる、中國(guó)一のハイテクの街に変貌した。2018年にはGDP(域內(nèi)総生産)が2兆4422億人民元(約38兆9000億円)となり、香港を抜いた。

わずか40年で深センがこれほど発展したのは、中國(guó)政府が同市をハイテク産業(yè)の振興都市に位置づけ、優(yōu)遇措置を設(shè)けたからだけではない?!干睽互螗攻冤`ド」と言われる、國(guó)內(nèi)でも飛びぬけて早い速度でこの街が動(dòng)いていることだ。何もなかった場(chǎng)所に工場(chǎng)が建ち、各地から出稼ぎ労働者がやってきたため、「関係(グワンシー)」といわれる人脈(コネ)で物事が動(dòng)く中國(guó)特有のしがらみがない。能力やアイディア、スピードがモノ言う競(jìng)爭(zhēng)社會(huì)で創(chuàng)業(yè)しやすいのだ。ネット會(huì)社の「テンセント」、通信機(jī)器メーカーの「華為技術(shù)(ファーウェイ)」、ドローン(小型無(wú)人機(jī))メーカーの「DJI」、不動(dòng)産開(kāi)発の「萬(wàn)科企業(yè)」、保険會(huì)社の「中國(guó)平安保険」、電気自動(dòng)車(chē)メーカーの「BYD」など、名だたる企業(yè)が深センで誕生したのを見(jiàn)れば一目瞭然だ。

香港の林鄭月娥?行政長(zhǎng)官は、「土地の広さも人口も圧倒的に深センが香港を上回るのだから、抜かれるのは時(shí)間の問(wèn)題だった」と言う。しかし、香港より貧しかった隣町が、世界的なハイテクの街に変貌したことに、香港人は複雑な思いだ。

返還直後、香港政府は香港版シリコンバレーを目指す「サイバーポート計(jì)畫(huà)」を華々しく打ち出したが、あれはどこへ行ったのか?昨年の反政府デモに続き、今年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、香港経済を支える観光業(yè)と貿(mào)易は大打撃を受けている。政治的に中國(guó)政府の圧力が強(qiáng)まる香港に対して、深センは逆に経済政策の権限を委譲され、発展を加速させる勢(shì)いだ。

香港人の友人たちは、「早くからハイテクに目をつけておきながら、新たな産業(yè)の柱に育てられなかったのは、香港政府の怠慢だ」、「あの深センがこんな都市になるとは」、「深センから學(xué)ぶべきものがあるはずだ」など、思いは様々だ。

林鄭長(zhǎng)官は、先月予定していた施政報(bào)告を延期して、北京に赴き中央政府に経済支援を仰いだという。今月末に発表される施政方針は大灣區(qū)に傾斜した?jī)?nèi)容になるとみられている。香港が新たな活路を大灣區(qū)に見(jiàn)出していくことは、中國(guó)政府が主張している「一國(guó)あっての二制度」が経済面でも進(jìn)むことを意味する。大灣區(qū)構(gòu)想で香港が深センや他の都市とどう融和し、どんな立ち位置を築いていくのか、じっくり見(jiàn)ていきたい。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長(zhǎng)を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國(guó)と香港を旅行し、西洋文化と中國(guó)文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國(guó)返還を見(jiàn)たくて來(lái)港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫(xiě)真付きコラムを掲載した。2022年に電子書(shū)籍「香港街角ノート 日常から見(jiàn)つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時(shí)間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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