<コラム>撮影所の廃墟!「釣魚臺(tái)影視基地」レポート!!

関上武司    2020年11月23日(月) 16時(shí)10分

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釣魚臺(tái)のすぐ近くには撮影所の釣魚臺(tái)影視基地がある。

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陝西省寶鶏市岐山県は周王朝発祥の地として知られ、『三國志』の五丈原もあり、岐阜の地名の由來にもなっている。周辺には太公望呂尚(中國では一般的に姜子牙と稱されている)が釣りをしていた際に周の文王にスカウトされた釣魚臺(tái)という観光地もある。太公望といえば、古典の『封神演義』の主役級の登場人物だが、筆者は釣魚臺(tái)に1998年、2012年、2018年と3回訪問してみても観光客は非常に少なかったのが印象的だった。

その他の寫真

釣魚臺(tái)のすぐ近くには撮影所の釣魚臺(tái)影視基地があり、こちらも筆者は同じく3回訪問している。1998年の時(shí)點(diǎn)では一部、建設(shè)中で入れず、フィルムをケチってろくに撮影していなかったのが悔やまれる。漢の時(shí)代の建物を再現(xiàn)した同影視基地では『封神演義』『西遊記後伝』や『大秦腔』といった時(shí)代劇が撮影されていた。2012年の時(shí)點(diǎn)では入園しようとすると、犬に吠えられ、周辺の農(nóng)民らしき中年男性に入場料金10元(約160円)を徴収された。しかし入園してみると、建物の崩落している部分が目立ち、現(xiàn)役の観光施設(shè)とは信じられないレベルで雑草が生い茂っていた。寫真の男性はこの日のタクシードライバーで、當(dāng)然ながら我々の他に來園者はいなかった。ドライバーは同影視基地の外観を見て、「最初は農(nóng)家の集落だと思った」と感想を述べていたが、住民が生活している集落がさすがにここまでボロくはないだろう。今回紹介する同影視基地の內(nèi)部の寫真は2012年に撮影したものだ。

寶鶏は古代中國の伝説的な帝王である炎帝ゆかりの地でもあることから、市內(nèi)に2012年に寶鶏炎帝影視基地という撮影所兼テーマパークが竣工。これまでに『英雄時(shí)代』といった時(shí)代劇の撮影も行われ、2013年9月には運(yùn)営開始、翌年末にはすでに10萬人以上の來園者があった。岐山県には2013年に高速鉄道が開通してアクセスは便利になったものの、釣魚臺(tái)影視基地の衰退は止まらなかった。

2018年に同影視基地へ再々訪すると、以前よりも建物の崩壊が更に進(jìn)行し、入口は閉ざされていた。外観の寫真は2018年に撮影したものだ。工夫次第では例えば、爆撃後の街並みのロケ地として撮影することも可能なのかもしれないが、すでに閉鎖されている模様。日本でも高度成長期やバブルの時(shí)期に建設(shè)された娯楽施設(shè)が來園者の減少やメンテナンス不足による老朽化、廃墟化するケースと同様に、哀愁を感じる。中國には前回紹介した襄陽唐城影視基地のような圧倒される規(guī)模の撮影所もあれば、釣魚臺(tái)影視基地のように廃墟化する例もある。

■筆者プロフィール:関上武司

1977年の愛知県生まれ。愛知大學(xué)経営學(xué)部卒。中國で留學(xué)や駐在員としての勤務(wù)経験あり。日本や中國のB級スポットを紹介するブログ?軟體レポートの管理人。中國遊園地の取材で中國の全省、全自治區(qū)、全直轄市へ訪問。會(huì)社員の傍ら、「中國遊園地大図鑑」シリーズを執(zhí)筆し、メールマガジンのロードサイダーズ?ウィークリーにて「ROADSIDE CHINA 中國珍奇遊園地紀(jì)行」を連載中。このほかイベントも開催している。

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