〈一帯一路実踐談45〉最も不思議な外國人

小島康譽(yù)    2020年11月28日(土) 16時20分

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今回は記念誌『大愛無疆』の日本語版『大きな愛に境界はない』から疑問にお答えしたい。寫真:1997年筆者が芝浦工業(yè)大學(xué)を新疆工學(xué)院へ紹介、後列左3が焦健氏。

レコチャとの不思議な縁で始まった「一帯一路実踐談」も終わりが近づいた。一庶民の國際協(xié)力、「この人どんな人?」と思われる方もおられよう。當(dāng)然の疑問である。普段の生活からかけ離れた國際協(xié)力、しかも中國の奧地で40年近く。中國でも不思議に思われている。

そこで今回は新疆政府「小島氏新疆訪問30周年記念大會」の一環(huán)で出版された記念誌『大愛無疆』(韓子勇新疆文化庁書記編2011)の日本語版『大きな愛に境界はない』(趙新利早稲田大學(xué)博士訳?日本僑報社2013)から疑問にお答えしたい。その中の焦健氏(新疆大學(xué)國際文化交流學(xué)院院長など歴任)が記した「最も不思議な外國人」から「変人」ぶりを抜粋。

「私と小島さんとは數(shù)十年の老朋友である。仕事の関係で外國友人も多いが、先生のように不思議な外國人は少ない。どうして新疆に貢獻(xiàn)するのかと聞くと『人のために生きることを人生と言う。人が幸せになるのが自分の最高の幸せだ』と。どうして中國人にとっても馴染みの少ない、そして日本からはるか離れた新疆を貢獻(xiàn)する場所として選んだのかと問うと『新疆各族の人々の情熱と素樸な心、數(shù)多くの世界的文化遺産に魅せられた』と答えた。文化遺産の調(diào)査保護(hù)研究や新疆大學(xué)奨學(xué)金などに大量の資金を提供した。訊ねると『お金が無いとは言えないが、有るとも言えない。給料?退職金?銀行借入金だ』と。生活は慎ましく、公園でホームレスから食料をもらったこともあるとか」

(奨學(xué)金授與式で補(bǔ)修した頭陀袋で「小島精神」を呼びかける新疆大學(xué)長)

「大金を寄付できる人なのに、ビジネスクラスでなくエコノミーで新疆へ來る。名古屋にいた頃は借家に住んでいた。新疆政府外事弁公室の劉宇生副主任が家を訪ねたら窓も閉まらず冷たい風(fēng)がビュービューと吹き込んできて驚いたそうだ。小島奨學(xué)金の毎年の授與式で、學(xué)長が小島さんの補(bǔ)修だらけの頭陀袋を持ち上げ、節(jié)約する『小島精神』を?qū)Wぶように呼びかけている。學(xué)生たちは感激し、授與式が終わると先を爭って証書にサインをいただく。受賞できなかった學(xué)生は自分の本を持ってきてサインを頼む感動的な場面だ」

(筆者新疆大學(xué)名譽(yù)博士就任祝宴で筆者左が王桐書記、後ろが焦健氏)

「新疆にこれほど貢獻(xiàn)してきた小島さんだが、皆と列に並んで搭乗手続きをする。自治區(qū)政府文化顧問であるが、『自分は指導(dǎo)者でも幹部でもない。一庶民』と言う。沙漠で1カ月調(diào)査する時も手荷物ひとつだけ。中國語は度々新疆へ來るので、耳で覚えた。宴會ではいつも中國語で雰囲気を盛り上げる。朗らかでユーモラスな人だからだ。義理と人情を重視し、頭陀袋には『誠』のストラップがついている。武士道の『義?勇?仁?禮?誠』の一部という」

「24歳で起業(yè)した會社をどのようにして上場企業(yè)に育てたのか? どうして54歳で退任したのか? どうして僧侶になったのか? どうして新疆に30年も貢獻(xiàn)してきたのか?」など不思議と思われている事項が続いているが、スペースの関係でこの辺で。

■筆者プロフィール:小島康譽(yù)


浄土宗僧侶?佛教大學(xué)內(nèi)ニヤ遺跡學(xué)術(shù)研究機(jī)構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。
ブログ「國獻(xiàn)男子ほんわか日記」
<新疆は良いところ>小島康譽(yù) 挨拶―<新疆是個好地方>
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