Record China 2014年3月29日(土) 20時(shí)13分
拡大
28日、BWCHINESE中國(guó)語(yǔ)サイトはシンガポールのリー?クアンユー元首相の記事「日本はなぜ凡庸な國(guó)に変わったのか?」を掲載した。寫真は日本の高齢者。
(1 / 2 枚)
2014年3月28日、BWCHINESE中國(guó)語(yǔ)サイトはシンガポールのリー?クアンユー(李光耀)元首相の記事「日本はなぜ凡庸な國(guó)に変わったのか?」を掲載した。
【その他の寫真】
日本は現(xiàn)在、人口減少という最も厳しい試練を迎えている。日本社會(huì)の高齢化は深刻であり、若年層の人口も減少している。これと比較すると、経済停滯や強(qiáng)いリーダーシップを持つ政治指導(dǎo)者の欠如といった諸問(wèn)題は、大きな問(wèn)題ではない。人口問(wèn)題が解決できない限り、日本の未來(lái)は暗いと言わざるを得ない。
數(shù)字で見(jiàn)ればその事実は明らかだ。日本における出生率は女性1人當(dāng)たり1.39人で、人口置換水準(zhǔn)の2.1人を大幅に下回る。このように低い出生率のため、今や日本社會(huì)は2.8人で高齢者1人を扶養(yǎng)しなければならなくなった。1950年代の日本は10人で高齢者1人を扶養(yǎng)していたことを考えると、変化のスピードは極めて速い。
予測(cè)データによると、この比率は將來(lái)さらに低下し、2022年には2人で高齢者1人を扶養(yǎng)することになり、2060年には1.3人で高齢者1人を扶養(yǎng)しなければならなくなる。1.3人で高齢者1人を扶養(yǎng)する頃、多くの若者は重圧に耐え切れず、日本を離れることを選択することになるかもしれない。
非常に長(zhǎng)い間、日本の女性は日本社會(huì)における女性の役割と職務(wù)を素直に受け入れてきた。いわゆる、夫に従って子育てし、親を扶養(yǎng)しながら子供の面倒を見(jiàn)るという専業(yè)主婦の役割を、長(zhǎng)きにわたって喜んで務(wù)めてきた。
しかし、新しい世代の日本女性は世界各地へ旅行に行くようになり、異なる人種や異なる考え方に觸れるようになった。仕事をし、経済的な自立と個(gè)人の自由がもたらす開(kāi)放的な感覚を?qū)g際に體験してしまうと、日本の女性の考え方は世界の変化とともに大きく変わり、2度と元に戻らなくなった。
シンガポール航空會(huì)社に勤める日本國(guó)籍のフライトアテンダントでシンガポール人の同僚男性と結(jié)婚した何人かの女性を知っている。これらの日本人女性たちはシンガポールの女性が結(jié)婚後どのように生活しているかを?qū)g際に目の當(dāng)たりにしている。シンガポールの女性は姑や舅と一緒に暮らす必要もなく、夫は男尊女卑的な上から目線で女性に接することもない。
日本社會(huì)はこのような時(shí)代の流れを食い止めようとあがいてきた。男性たちはあらゆる手段を使って、女性の自立した思想を押さえ込もうとし、経済的に夫に依存させるように仕向けたが、最終的にはすべて失敗に終わった。
日本の女性たちは約1、2世代という長(zhǎng)い時(shí)間を使って新しい時(shí)代の女性の心理や役割への変換を?qū)g現(xiàn)してきた。女性たちの権利や利益は今では自分のために使われるようになった。日本の女性たちは以前の日本女性の負(fù)擔(dān)はあまりにも大きく、2度とこのようになりたくないと考えている。そして、子供を生むことで、子供が自分の足かせになることを嫌がっている。このような考え方が多くの日本女性に一生獨(dú)身でいることを選択させている。また、ある日本人女性は結(jié)婚はしても、子供を生むことを躊躇する。多くの日本企業(yè)が保守的で改革を行わないこともこれに拍車をかけている。
スウェーデン企業(yè)は女性がフルタイムの正社員として産休から戻ってくることを奨勵(lì)している。しかし、日本の多くの企業(yè)では、女性が産休を取った途端、自動(dòng)的に社員から契約社員にさせられてしまう。
このように、フルタイムの女性社員と同じような収入を欲しいと思っている女性を含め、仕事をしたいと考える多くの女性にとって、子供を生むことはキャリアにとってマイナスになるかもしれないという懸念を抱かせる。このため、多くの日本の女性は子供を生みたいと思っても、最終的に決斷できずにいる。
シンガポールも日本同様に出生率が低いという問(wèn)題を抱えている。シンガポールの出生率は日本と比べていいどころか、さらに低い。しかし、この二つの國(guó)には本質(zhì)的な違いがある。シンガポールは移民でこの問(wèn)題を解決している。
しかし、日本は移民を排除する國(guó)として有名だ。大和民族の血筋の純潔性にこだわることは、日本人にとって「絶対に正しい道理」であり、この考え方は日本人の身に深く染み付いている。このため、外國(guó)の移民を受け入れて出生率の問(wèn)題を解決するという問(wèn)題を正面から取り上げて議論する人もいない。移民受け入れによる解決法は基本的に選択肢の1つにも入っていない。それは、一般的な日本人であろうと、政治を動(dòng)かすエリート層であろうと同じだ。
人々の潛在意識(shí)に「我が民族は神聖で、他民族は劣っている」とする考え方がある場(chǎng)合、多くの物事は非常に難しくなる。
たとえば、移民によって人口構(gòu)造問(wèn)題を解決するという常識(shí)的な政策がこれまでずっと選択肢に上がらず、しかもタブー視されていることからも見(jiàn)て取れる。もし私が日本の政治指導(dǎo)者であれば、例えば中國(guó)人や韓國(guó)人、ベトナム人といった日本人と外見(jiàn)が似ている民族を引き入れようとするだろう。
実のところ、日本國(guó)內(nèi)にはある程度の中國(guó)人、韓國(guó)人、ベトナム人、その他國(guó)の人々が住んでいる。あるデータによると、韓國(guó)人56萬(wàn)6000人、中國(guó)人68萬(wàn)7000人が日本に住んでいるという。
これらの人々の日本語(yǔ)は非常に流暢で、ライフスタイルや行儀作法もすでに日本人と何ら大差はない。これらの日本に住む外國(guó)人は日本社會(huì)に完全に溶け込んで暮らすことを心から望んでいる。しかし、日本社會(huì)は実際、これらの日本で生まれ、あるいは育った外國(guó)籍の人々を完全には受け入れていない。なぜなら、日本人はこれらの人々のことを日本民族ではないと見(jiàn)ているからだ。
現(xiàn)在、日本に住む外國(guó)籍の人々は、日本の全人口の1.2%を占める。ちなみに英國(guó)は6%、ドイツは8%、スペインは10%だ。日本社會(huì)の単一性は、日本で學(xué)んだ後、さまざまな理由により外國(guó)にある一定期間滯在した後に帰國(guó)した日本人でさえ適応するのが難しいと感じるほどだ。
言葉の交流はもちろんのこと、他の日本人と同じようにボディーランゲージや聲で表現(xiàn)する微妙な気持ちや意思表示などを察しなければならない。日本社會(huì)は少なくともさらに長(zhǎng)い年月を使って、完全に考えが変わるのを待った上でしか、移民受け入れによる最適化や高齢化による人口構(gòu)成問(wèn)題の解決を成功させることはないだろう。
問(wèn)題は、果たして日本に待つ時(shí)間があるのかということだ。これは非常に大きな疑問(wèn)だ。このような狀況をあと10年放置し、15年たっても解決できなければ、日本はもう元に戻れないほど衰退する可能性がある。その時(shí)に解決しようとしても、すでに手遅れだ。
日本はすでに1990年から「失われた10年」を2回経験している。しかもすでに3回目の「失われた10年」に入っている。1960年から1990年までの30年間、日本の平均実質(zhì)GDP成長(zhǎng)率は約6.2%だった。戦後の廃墟の中から、日本人は恥を忍んで重責(zé)を擔(dān)い、懸命に仕事にまい進(jìn)してきた。そして、米國(guó)に迫り、英國(guó)を追い越して、この40年間日本は世界第2の経済大國(guó)として君臨してきた。もちろん、これは米國(guó)の支援のもとに実現(xiàn)されたものだが。
日本の経済大國(guó)としての臺(tái)頭に伴って、多くの日本企業(yè)は歐米に進(jìn)出し、不動(dòng)産を買い占めた。その頃、多くの歐米のアナリストが日本人が歐米の先進(jìn)諸國(guó)の利益を奪いに來(lái)たと警告した。現(xiàn)在多くの人が中國(guó)のことを同じように論じているのを見(jiàn)ると、かつてのことが思い出される。
世に浮き沈みはつきもので、30年もたてば、物事は変化する。1991年、日本のバブル経済が崩壊し、日本経済全體が長(zhǎng)い低迷期に入った。1991年から現(xiàn)在までの日本の年平均のGDP成長(zhǎng)率はわずか1%だ。この原稿を書いている頃、日本は3回目の「失われた10年」に入った。長(zhǎng)期的な視點(diǎn)に立って、大膽な政策を採(cǎi)れる人が人口問(wèn)題を解決しなければ、再び経済を復(fù)興させるどころか、過(guò)去のGDP成長(zhǎng)率に達(dá)することさえ夢(mèng)となるだろう。
人口の數(shù)と構(gòu)造は非常に深刻な問(wèn)題だ。なぜなら、これは國(guó)の運(yùn)命を決めるものだからだ。もし國(guó)の人口が減少し、全體的に高齢化すれば、それは國(guó)が衰えていっていることを意味している。高齢者は消費(fèi)しないし、車を買い換えることもない。逆に古いテレビを見(jiàn)るのをいいことだと考える。高齢者の人生はすでに固定されており、生活必需品はすでに持っており、新しく買い換える必要はない。高齢者は高級(jí)レストランに行って食事をすることもない。人口の減少化?高齢化という問(wèn)題に関し、私は日本の未來(lái)を非常に悲観的に見(jiàn)ている。
10年の間に、日本の國(guó)內(nèi)消費(fèi)はさらに萎縮するだろう。しかも、もう元の水準(zhǔn)に戻ることはないと考えられる。おそらくこのことが、日本がこれだけ多くの経済刺激対策を施行してもどれひとつとして予想以上の効果を上げられていないことを説明しているかもしれない。
今日の日本の技術(shù)力は今なお米國(guó)に次いで2位を維持し、革新的な専売特許數(shù)も世界第2となっている。しかし、最終的に革新や特許數(shù)を決定するのはやはり若者であり、高齢者ではない。數(shù)學(xué)の分野では、1人の數(shù)學(xué)者のピークは21歳だという。それ以上の年齢を超えた數(shù)學(xué)者が偉大な業(yè)績(jī)を殘すことは非常に少ない。
2012年5月に日本で開(kāi)催された「アジアの未來(lái)」というフォーラムに出席した。この期間、多くの日本の政治家と會(huì)談した中で、特に日本がどのように人口の減少化?高齢化という問(wèn)題を解決しようとしているかについて注目していた。日本人の本當(dāng)の考え方を知りたかったからだ。
しかし、きつく聞こえないように配慮して、直接的に「外國(guó)籍移民の受け入れを考えているか?」とは聞かなかった。単に「どのように解決しようとしているのか?」と聞いたところ、ほとんどの人の回答は「より長(zhǎng)期の産休と子供手當(dāng)てを考えている」というものだった。
これらの答えを聞いて、非常に失望した。子供手當(dāng)てで、この問(wèn)題をいったいどの程度解決できるというのか?似たような政策を?qū)g施している國(guó)の中で、これらの出生?育児を奨勵(lì)する政策が結(jié)果的に得られた効果は非常に限られている。なぜなら、これは単純なお金の問(wèn)題ではないからだ。それは、ライフスタイルの変化であり、考え方の変化である。これらの社會(huì)的要素が総合的に結(jié)びついて起きた現(xiàn)象なのだ。このような出生?育児奨勵(lì)政策を採(cǎi)って最終的に効果が出たフランスやスウェーデンといった國(guó)も、これらの結(jié)果が出るまでの過(guò)程は非常に緩やかで、しかもコストもかかっている。
日本人という民族は非常に素晴らしい特質(zhì)を持っている。2011年に東日本大震災(zāi)が発生した際、日本人がどのように対応したのか我々は目撃している。パニックにならず、混亂もせず、あらゆる人がプライドを保ちながら、突然襲った災(zāi)難に対して尊厳をもって対応していた。日本人はお互いに助け合い、困難をともに共有した。これに対して世界中が驚きと尊敬の念を抱いた。
世界で、こんなにも恐ろしい破壊力に直面し、こんなにも悲慘な巨大震災(zāi)によってもたらされた被害に対し、これほどまで落ち著いて、冷靜さや秩序を保てる民族は他のどの國(guó)もないだろう。
また、日本人が仕事をする際に完璧さを追求する姿勢(shì)。これも世界のどの國(guó)もかなわない部分だ。日本人が製造した極めて精巧なテレビ、自動(dòng)車、日本料理の中の王様と言える壽司なども人々に深い印象を殘す。日本人の集団を重んじる精神もまた右に出る民族はいない。
個(gè)人の場(chǎng)合、中國(guó)人や韓國(guó)人も日本人とほぼ同じレベルのことはできる。しかし、集団となれば、中國(guó)人や韓國(guó)人も日本人には及ばない。おそらく、これこそが日本民族の強(qiáng)みであり、以前は私に日本人が人口問(wèn)題の厳しさに気づきさえすれば、すぐに手を打って解決するだろうと誤解させたところだ。日本の隣國(guó)である中國(guó)が大きく発展しつつある中、日本だけが自ら何ら有効な対策を採(cǎi)ることもなく、ゆっくりと萎縮しつつある。このことが、本當(dāng)に理解できない。
私はすでに日本社會(huì)が人口問(wèn)題をめぐる困難を突破し、勇敢に解決することに対し、何ら希望がないと考えている。しかも、こんなに長(zhǎng)い時(shí)間が経過(guò)しても、日本人はいまだに何もせず手をこまねいている。
私は、日本はすでに凡庸な國(guó)になりつつあるという見(jiàn)方をしている。もちろん、一般の日本の人々の生活水準(zhǔn)は今後もしばらくの間、明らかに低下することはない。一部の歐米の先進(jìn)諸國(guó)とは異なり、日本政府の外債は非常に少ない。日本の科學(xué)技術(shù)は以前同様進(jìn)んでおり、國(guó)民の教育レベルも非常に高い。
これらすべての要素は日本にある猶予期間を與えることはできる。しかし、人口問(wèn)題が最終的にもたらす影響からは避けようがない。もし私が若い日本人であれば、おそらく外國(guó)に移民することを選ぶだろう。なぜなら、日本にいても、未來(lái)が見(jiàn)えないからだ。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?翻訳/MZ?編集/TF)
この記事のコメントを見(jiàn)る
Record China
2014/3/12
2013/12/10
2014/2/19
2014/1/1
2014/2/13
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問(wèn)い合わせ
Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら
この記事のコメントを見(jiàn)る