松野豊 2020年12月15日(火) 6時40分
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日本企業(yè)の対中投資は、中國が改革開放路線に舵を切った1980年代から、日中間に生じた様々な政治経済的波動に振り回されつつも、全體としては著実に増加してきた。寫真は南京のユニクロ。
日本企業(yè)の対中投資は、中國が改革開放路線に舵を切った1980年代から、日中間に生じた様々な政治経済的波動に振り回されつつも、全體としては著実に増加してきた。日本銀行の國際収支統(tǒng)計などをもとに日本の対中直接投資の動向をマクロ的に観察してみよう。
日本の対中投資は、過去に5つのブームがみられた(表1)。第1次ブームは1980年代で、中國の改革開放政策による工業(yè)近代化支援としての投資である。その後1989年に天安門事件が起こって一時の空白期間があるが、1990年代に入り再び日本の対中投資が本格化した。これが第2次ブームである。
1980年代の日本は経済の絶頂期にあり、1985年のプラザ合意後の急激な円高や対外貿(mào)易摩擦に対応するために、日本の製造業(yè)は積極的に製造拠點(diǎn)を東アジアに移転し始めていた。最初はNIESと呼ばれた新興工業(yè)國?地域、続いてASEAN、そして90年代に入ると、経済成長が著しく投資環(huán)境も整えられてきていた中國への投資を増加させた。
しかし、90年代後半は、日本のバブル経済崩壊、アジア通貨危機(jī)があり、さらには1998年の江沢民國家主席來日時の歴史問題発言などが重なったため、対中投資は再び落ち込んだ。
2000年代になると、中國が2001年にWTO(世界貿(mào)易機(jī)関)に加入したことで、中國の市場開放や市場経済化に大きな可能性を感じ、日本企業(yè)は再び対外投資を増やし始めた。これが第3次ブームと呼ばれる時期である。中國は、2008年の北京五輪や2010年の上海萬博も控えていて急速な近代化を図っており、海外からの投資誘致にも熱心であった。
2008年、米國のリーマンブラザーズの破綻が日歐米などに波及していわゆるリーマンショックが起こった。世界経済は一時的に大きく収縮し、日本の対中投資の第3次ブームも終焉した。しかし中國は巨大な財政出動で世界経済の下支えを行い、2010年代には世界経済が立ち直りをみせたため再び日本の対中投資が活発化した。これが第4次ブームである。
第4次対中投資ブームは、中國が安価な労働力を背景とした「世界の工場」から、國內(nèi)の市場拡大による「世界の市場」へと遷移していく時期とも重なる。中國の市場拡大は、國內(nèi)消費(fèi)拡大、各種製造業(yè)の発展、公共インフラ整備などが相まって、投資的な魅力が大きくなっていたと言える。
しかし2012年に習(xí)近平政権が誕生し、政治経済的に巨大化した中國が「中國の夢」を掲げ始めてから、日本は対中投資において數(shù)々の修羅場を経験することになる。2010年の中國漁船衝突事件から始まった一連の領(lǐng)土問題の激化で、日本企業(yè)の対中投資はまた冷え込んだ。筆者は2002年から長期間にわたり中國に滯在していたが、2012年に起きた反日暴動を目の前で経験したときは、中國ビジネスの終焉を予期してしまったものであった。
2017年、米國にトランプ政権が成立した。その結(jié)果米中間において、貿(mào)易摩擦からハイテク摩擦、そして政治體制にまで至る壯絶な対立が始まった。
一方で日本企業(yè)の対中投資は2017年から再び増加している。この第5次ブームだとも言えるべき現(xiàn)象で投資額を伸ばしていたのは、自動車関連、業(yè)務(wù)用機(jī)械、電子部品などの製造業(yè)と卸小売業(yè)などのサービス業(yè)である。これらは中國の內(nèi)需に関わるものも多く、この第5次ブームの要因が必ずしも米中摩擦を背景としたものであるとは言い切れない。
しかし第5次ブームが隆起しつつあった最中に、世界秩序を大きく揺るがす事態(tài)が起きてしまった。それが2020年の新型コロナ感染拡大である。中國に関係する多くの國際取引は一旦リセットされてしまい、コロナ後には世界の貿(mào)易構(gòu)造も変化することが想定される。第5次ブームは思わぬところで、あっけなく終焉したことになる。では、次の第6次対中投資ブームはあり得るのだろうか?(続く)
■筆者プロフィール:松野豊
大阪市生まれ。京都大學(xué)大學(xué)院衛(wèi)生工學(xué)課程修了後、1981年野村総合研究所入社。環(huán)境政策研究や企業(yè)の技術(shù)戦略、経営システムのコンサルティングに従事。2002年、同社の中國上海法人を設(shè)立し、05年まで総経理(社長)。07年、北京の清華大學(xué)に同社との共同研究センターを設(shè)立して理事?副センター長。 14年間の中國駐在を終えて18年に帰國、日中産業(yè)研究院を設(shè)立し代表取締役(院長)。清華大學(xué)招請専門家、上海交通大學(xué)客員研究員を兼務(wù)。中國の改革?産業(yè)政策等の研究を行い、日中で講演活動やメディアでの記事執(zhí)筆を行っている。主な著書は、『參考と転換-中日産業(yè)政策比較研究』(清華大學(xué)出版社)、『2020年の中國』(東洋経済新報社)など。
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