不治の病に冒された7歳男児、母親に腎臓を提供―中國(guó)

Record China    2014年4月4日(金) 18時(shí)17分

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4日、「お母さん、もっと強(qiáng)く生きて」―湖北省荊州市に住む、脳のがんに侵された7歳の男の子?天天くんは、いよいよお?jiǎng)eれというその時(shí)、尿毒癥の母親に自分の腎臓を提供し、母の命を救った。

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2014年4月4日、「お母さん、もっと強(qiáng)く生きて」―湖北省荊州市に住む、脳のがんに侵された7歳の男の子?天天(ティエンティエン)くんは、いよいよお?jiǎng)eれというその時(shí)、尿毒癥の母親に自分の腎臓を提供し、母の命を救った。2日未明、天天くんは武漢の病院で靜かに息を引き取った。左腎は母親に、右腎と肝臓は2人の若い患者にそれぞれ提供され、3人の命が救われた。新華社が伝えた。

その他の寫真

▼天天くんの遺言:「僕はお母さんを助けたい」

周●(ジョウ?ルー、●は王偏に路)さんは湖北省荊州市出身の30代。2011年11月、體調(diào)を崩した周さんは、病院で検査を受け、両腎臓の機(jī)能がかなり弱っていることが分かった。

災(zāi)いは重なるもの。その半年後、周さんの息子?陳孝天(チェン?シャオティエン、天天)くんに、脳腫瘍(脳のがん)が見つかった。天天くんは武漢の病院で腫瘍摘出手術(shù)を受けたが、數(shù)カ月後に再発した。

3月27日、天天君は治療のため、武漢161病院神経外科病棟に移った。同院に移った後、一時(shí)、昏睡狀態(tài)に陥った。神経外科の程新富(チョン?シンフー)科長(zhǎng)は、「天天くんがこちらに移って來た時(shí)、がん細(xì)胞はすでに大脳に転移しており、摘出手術(shù)は不可能な狀態(tài)だった」と述べた。

天天くんの病狀が悪化するのと同時(shí)に、母親の周さんの病狀も悪くなった。武漢同済病院の擔(dān)當(dāng)醫(yī)師は、「周さんの命を救うには、腎臓移植手術(shù)以外に方法はない。だが、ドナーが見つからない狀態(tài)が続いている」と話した。

天天くんの祖母?陸元秀(ルー?ユエンシウ)さん(54)は、「天天の腎臓を移植して、母親の命を救うことはできないのでしょうか」と醫(yī)師に尋ね、「その場(chǎng)合、回復(fù)する見込みはかなり高い」との返事を得た。

お姑さんの意見に、周さんは猛反対した。しかし陸さんは、「天天の腎臓があなたに移植されたら、あなたは彼の命を引き継いで、一緒に生き続けることができるのよ」と、粘り強(qiáng)く嫁の周さんに言い聞かせ、周さんの実家の家族も巻き込んで説得にあたった。

すべてを分かっている天天くんも、「僕はお母さんの命を救いたい!お母さんを守りたい!」と訴えた。

周さんはとうとう、眼に涙を浮かべて納得した。子供から母親への臓器提供は見事成功した。

▼母親:「私は息子の腎臓とともに、しっかりと生きていく」

2日午前4時(shí)ごろ、陳孝天くんは武漢161病院で靜かに息を引き取った。享年7歳。痛みにのたうち回ることはなく、苦しみに泣き叫ぶこともなく、ただ彼の手が、祖母の手から靜かに離れた。

一方、母親は、同済病院の病室で、まんじりともせず夜を明かした。前日、「天天くんは今夜が峠だ」と醫(yī)師から聞かされ、「その時(shí)」を迎える心の準(zhǔn)備をしていた。

午前5時(shí)、周さんは息子の訃報(bào)を受け取った。すなわち、醫(yī)師のオフィスで移植手術(shù)について事前説明を受けたのだ。醫(yī)師によると、周さんは聲を上げて泣くようなことはなかったが、一言も話さなかったという。

同済病院器官移植所の陳剛(チェン?ガン)教授は、「病院側(cè)は、手術(shù)を行うことを彼女に話した。それは、息子さんが旅立ったことを告知したのと同じことだ」と語った。

「天天は行ってしまった。最期の時(shí)に、息子のそばについていてやれなかった」―病室に戻った周さんは、ついに堪え切れなくなり號(hào)泣した。

午前6時(shí)、周さんは手術(shù)室に入った。手術(shù)臺(tái)に橫たわった彼女の頬を、涙がつたった。

手術(shù)は成功だった。天天くんの腎臓は、母親の身體の中で正常に機(jī)能し始めた。周さんは、「これから、私は自分の身體をできる限り大切にして生きていきます。息子の腎臓と一緒に、しっかりと生きて行くつもりです」と語った。

天天くんは、3人の命を救った。2日晝、他の2人の移植手術(shù)も無事成功した。天天くんの右腎の移植手術(shù)を受けたのは、襄陽に住む21歳の女性。2年あまり前から尿毒癥を患っており、ずっとドナーを待っていた。また、天天くんから肝臓の提供を受けたのは、武漢に住む27歳の男性で、B型肝炎による重い肝硬変を患っていた。

▼ネットユーザからのコメント

天天くんは、あまりにも物事が分かり過ぎていた。お母さんの心痛は私たちの想像を絶するものに違いない。

彼らの親子関係は、7年間という短い期間だったが、この世で最も貴い愛に満ち溢れた関係だ。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/KM?編集/武藤)

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