Record China 2014年4月12日(土) 7時40分
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筆者はさきごろ、來日中のチベット仏教の最高指導(dǎo)者ダライ?ラマ14世と滯在先の京都で単獨(dú)インタビューを行った。寫真は筆者のインタビューに応じるダライ?ラマ14世。
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筆者はさきごろ、來日中のチベット仏教の最高指導(dǎo)者ダライ?ラマ14世と滯在先の京都で単獨(dú)インタビューを行った。ダライ?ラマは新疆ウイグル自治區(qū)やチベット自治區(qū)における中國當(dāng)局の弾圧は宗教的、民族的差別に基づくものであると強(qiáng)く批判する一方で、自身の非暴力主義や中道主義、中國におけるチベット人による高度な自治といった考え方が徐々に中國の知識人らを中心に広く浸透しており、チベット仏教やチベットの伝統(tǒng)、文化、慈悲の思想などについて中國人の理解が深まっていると強(qiáng)調(diào)した。
【その他の寫真】
▼ダライ?ラマ14世インタビュー
われわれチベット人が難民になって以來、自然に新疆ウイグル自治區(qū)から逃れたウイグル人難民と知り合いになり、1990年ごろ、インドのデリーで初めて両者の會議が開催された。その後、わたし(ダライ?ラマ)は米國や歐州各國でウイグル人難民と會うようになり、ここ數(shù)年、中央チベット政府(チベット亡命政府)と亡命ウイグル人グループの代表が連絡(luò)を取り合っている。
彼らのなかには完全に暴力を肯定するグループと、暴力を否定する2つのグループがあり、世界ウイグル會議のラディア?カーディル議長は後者だ。わたしはこれまで彼女と數(shù)回會って話をした。彼女は最終的に私と同じく、非暴力は最高の方法であり、中國からの分離獨(dú)立を目指さず、中國に留まって自治を享受することに賛成し、我々の立場は完全に一致した。
しかし、わたしは新疆の狀況は非常に厳しいと思っている。漢族(中國人)はイスラム教やイスラムの伝統(tǒng)、文化、考え方に偏見を持っており、ウイグル人を差別している。これは政治的、宗教的な問題で、自治區(qū)政府や民衆(zhòng)はウイグル人の立場を尊重しなければならないのだが、現(xiàn)実はそうではなく、弾圧している。さらに、ウイグル人のグラスルーツ的な(暴力的)行動は多くの問題を生んでいる。これは中國人にとって居心地の良い狀態(tài)ではない。本來ならば、支配階層である中國人がウイグル人に寛容な態(tài)度を臨むべきだ。例えば、われわれチベット人の場合、中國人を兄弟姉妹と思って尊敬しており、チベット人が中國人を否定するような態(tài)度や行動をとらないように気をつけている。
わたしは非暴力的なアプローチが多くの中國人の兄弟姉妹の共感と支持を得られていると感じている。特に、中國の知識人は全面的に我々と一體であると思っている。一方、新疆ウイグル自治區(qū)では數(shù)年來、多くの暴力的な事件が起きており、狀況はチベット自治區(qū)よりも悪化している。もし、暴力が有効な手段ならば、新疆の狀況は改善されているはずだが、そうなってはいない。新疆のウイグル人は極めて悲劇的な狀況に直面している。
だからこそ、我々は非暴力の原則を貫き、中道路線で、高度な自治を獲得すべきなのだ。我々は絶対に獨(dú)立しないし、チベット民族の旗幟を鮮明に掲げることは毛沢東主席も保証してくれたことだ。ただ、現(xiàn)在の中國共産黨指導(dǎo)部のなかには、われわれを中國とチベットの分離獨(dú)立を図る分裂主義者だと言う者もいるが、われわれは決して分裂主義思想の持ち主ではない。
そもそも共産主義システムとはマルクス主義だとわたしは思っている。少なくとも社會や経済はマルクスの考え方に則っていかければならない。マルクス経済の基本的な考え方は富の公平な分配である。これは資本主義経済よりも現(xiàn)実的な考え方だ。資本主義はそのようには考えず、個人や企業(yè)の利益を追求するからだ。
わたしが初めて見た共産主義者は中國人民解放軍だった。彼らは毛沢東主席の下で「解放」というスローガンを掲げていた。わたしは當(dāng)時、毛主席こそが真のマルクス主義の理想を?qū)g現(xiàn)する人物だと思っていた。わたしは1954年に10カ月間、北京をはじめ地方都市を訪問したが、粗衣粗食で素樸な毛主席のライフスタイルに共感した。他の地方指導(dǎo)者の態(tài)度も非常に洗練されており、直接的な物言いであり、素樸な人々ばかりだった。彼らは全國民が平等で、階級のない理想の社會を作ろうとしていた。彼らの経済に関する基本的な考え方は富の分配であり、マルクス主義を信奉していた。彼らは魅力的であり、わたしはいまでも彼らの考え方や言動に共感を持っている。
このため、わたしもマルクス主義の理想社會を建設(shè)したいと切望し、黨幹部に「中國共産黨に入黨したい」と申し出たほどだ。しかし、わたしは56年から57年にかけて、毛主席が獨(dú)裁主義的なやり方に毒され始めたと感じ、失望するようになった。
わたしはこれまで60年あまりの間、現(xiàn)代中國の歴史をみてきた。中國共産黨による一黨獨(dú)裁體制は「富の分配」や「労働者階級による統(tǒng)治」の実現(xiàn)を目指したマルクス主義の本質(zhì)からかけ離れており、民衆(zhòng)の支持を得ていない。その証拠にこの60年あまりの毛沢東主席ら5人の最高指導(dǎo)者の主張や政策は、その時々の社會的背景によって変化しており、同じ共産黨でも対応が違うからだ。
毛主席の時代はイデオロギーを強(qiáng)調(diào)し、現(xiàn)実から乖離していった。次のトウ小平時代には現(xiàn)実を直視し中國を開放して、経済の重要性を強(qiáng)調(diào)し、中國に大きな変革をもたらした。江沢民時代には億萬長者や中間層が急速に増加し、資本家も黨員になれるという「3つの代表理論」を打ち出し黨の支持基盤を強(qiáng)固にした。胡錦濤時代には貧富の格差が拡大し、彼が掲げた理想的な「和諧社會」は実現(xiàn)しなかった。和諧には信頼が必要だが、彼は武力で騒亂を鎮(zhèn)圧し、恐怖や悲しみを作りだした。これらは信頼とはまったく相容れないものである。
新指導(dǎo)者である習(xí)近平は腐敗と貧富の格差の是正に真剣に取り組む行動の人だ。わたしが米國などで會った中國人は「習(xí)近平が毛主席を信奉している」と語っていた。わたしは毛主席には直接、數(shù)回會って數(shù)時間話したことがあるが、習(xí)近平に會ったことはない。だが、この二人の指導(dǎo)者には異なる點(diǎn)が多いと思う。毛主席はモスクワを訪問しただけで他の外國に行ったことがなく、教育もろくに受けていない。習(xí)近平は多數(shù)の國々に行き、近代的な現(xiàn)代的な教育を受けている。毛主席は農(nóng)民のバックグランドがあり、彼の話し方はゆっくりだが、その言葉には深い意味が込められている。例えば、毛主席は「チベットは非常に獨(dú)特な文化を持っており、他の省とは違う」と述べて、チベットを重視していた。
わたしが聞いたところでは、習(xí)近平は実務(wù)的で、行動的、現(xiàn)実的な指導(dǎo)者であり、腐敗撲滅ばかりでなく、中國の法體系の改革にも積極的だ。わたしは常々、「中國の司法システムは前近代的であり、國際基準(zhǔn)に合わせるべきだ」と主張してきたが、習(xí)近平が法體系の改革に著手したことは道理にかなっている。習(xí)近平は勇気があり、他の指導(dǎo)者に比べても注目に値する。
◆筆者プロフィール:相馬勝
1956年、青森県生まれ。東京外國語大學(xué)中國學(xué)科卒業(yè)。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大學(xué)東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大學(xué)でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現(xiàn)在ジャーナリスト。
著書に「ダライ?ラマ『語る』」 (小學(xué)館101新書)、「中國共産黨に消された人々」(小學(xué)館刊=小學(xué)館ノンフィクション大賞優(yōu)秀賞受賞作品)、「中國軍300萬人次の戦爭」(講談社)、「ハーバード大學(xué)で日本はこう教えられている」(新潮社刊)など多數(shù)。
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