〈一帯一路実踐談49〉なぜ新疆の沙漠に?法隆寺金堂壁畫源流

小島康譽(yù)    2020年12月26日(土) 16時20分

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なぜ奈良から遠(yuǎn)く離れたタクラマカン沙漠の古代都市に法隆寺壁畫の源流実物資料が埋もれていたのか?寫真は鉄線描と屈鉄線の畫法は同じとする筆者PPTを報じる天津TV畫面。

今年7~8月NHKは「シルクロード」を再放送した。40年前に人民解放軍の複葉機(jī)で、タクラマカン沙漠ダンダンウイリク遺跡をスタインの殘した略地図をたよりに、上空から探す様子も放送された。「2時間にわたり探すもスタインの寺院遺跡は見つけることが出來なかった」と。ご覧になられた方もおられよう。

1988年キジル千仏洞修復(fù)協(xié)力の過程で、新疆文化庁の韓翔処長の「新疆には三大遺跡がある。樓蘭?キジル?ニヤだ。樓蘭は基本調(diào)査がおわり、キジルは日本からの資金協(xié)力で修復(fù)中、ニヤ遺跡は大規(guī)模で本格的調(diào)査が行われていない」との一言に、筆者は即座に共同調(diào)査を提案し、同年「日中共同ニヤ遺跡學(xué)術(shù)調(diào)査」を開始??鄤氦蛑丐亭莆饔?6國「精絶國」の全容を明らかにした。これらの結(jié)果、新疆文化方面から絶大な信頼を得たことが「日中共同ダンダンウイリク遺跡學(xué)術(shù)調(diào)査」許可取得へとつながった。

(NHK「新シルクロード」第4集「タクラマカン西域のモナリザ」より)

NHKとCCTVの「シルクロード」共同取材から約20年後の2002年、筆者ら日中共同調(diào)査隊はラクダにゆられて3日、ダンダンウイリク遺跡東端に到達(dá)した。そして壁畫を発見した。焼損した法隆寺金堂壁畫は「鉄線描」と言われ、中國から伝わったとされてきたが、古の戦亂などにより西安(當(dāng)時は長安)などにも殘っていなかった。我々がダンダンウイリク遺跡で発掘した壁畫は法隆寺壁畫と同じ手法で描かれ、唐代の『歴代名畫記』に「屈鉄盤絲の如し」(屈鉄線)と記されている壁畫であった。ダンダンウイリク遺跡南のホータンの尉遅一派が描いたと推測されている。

なぜ奈良から遠(yuǎn)く離れたタクラマカン沙漠の古代都市に法隆寺壁畫の源流実物資料が埋もれていたのか?21世紀(jì)はインターネットで世界中が結(jié)ばれているが、大昔はすべてを人が運(yùn)んだ。運(yùn)んだ道のひとつが「シルクロード」であり、日本へ伝來した文明文化の多くはこの道と関係している。遣唐使一行に畫工もふくまれていたのか?留學(xué)僧が帰國後に描いたのか?長安に至り壁畫を描いた尉遅派の誰かが奈良まで來て描いたのか?…ロマンあふれる謎である。研究が待たれる。

(ダンダンウイリク遺跡発掘壁畫保護(hù)完了を報じる「中國文物報」)

研究は注目されやすく、保護(hù)は目立たない。しかし保護(hù)こそ重要、研究は後世ほど進(jìn)歩するが、失われた文化財は二度を戻らない。文化財に関與する者の常識である。筆者は特に保護(hù)を重視してきた。キジル千仏洞修復(fù)保存への協(xié)力、ニヤ遺跡調(diào)査では保護(hù)協(xié)力費(fèi)提供や保護(hù)巡視用の小型沙漠車寄贈、ダンダンウイリク遺跡調(diào)査では日本の國寶級文化財の保護(hù)処置を擔(dān)當(dāng)する専門家を組織して壁畫保護(hù)…などを?qū)g踐してきた。それらと中國側(cè)対応によりキジル千仏洞は世界文化遺産となった、ニヤ遺跡などもやがて登録されるであろう。

■筆者プロフィール:小島康譽(yù)


浄土宗僧侶?佛教大學(xué)內(nèi)ニヤ遺跡學(xué)術(shù)研究機(jī)構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。
ブログ「國獻(xiàn)男子ほんわか日記」
<新疆は良いところ>小島康譽(yù) 挨拶―<新疆是個好地方>
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