<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>習(xí)近平政権の対日シグナルを読み解く―胡耀邦元総書記の息子?胡徳平が安倍首相と會談

Record China    2014年4月16日(水) 5時(shí)56分

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天安門事件(1989年6月4日)前の中國の最高指導(dǎo)者(中共中央委員會総書記)だった胡耀邦の息子?胡徳平が來日していたが、安倍首相と會っていた。胡徳平の來日と、安倍首相との面會が何を意味しているのかを分析する。寫真は胡徳平。

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天安門事件(1989年6月4日)前の中國の最高指導(dǎo)者(中共中央委員會総書記)だった胡耀邦(1915年?89年)の息子?胡徳平(1943年?)が來日していたが、安倍首相と會っていたことが15日に分かった。訪日期間は4月6日から13日で、安倍首相と極秘面會したのは4月8日。

その他の寫真

今回のコラムでは、胡徳平の來日と、安倍首相との面會が何を意味しているのかを分析する。

習(xí)近平と非常に仲がいい胡徳平

來日した胡徳平の父親である胡耀邦は、改革開放の総設(shè)計(jì)師と言われたトウ小平が、かつて「この人さえいれば、天が落ちてきても支えてくれるので怖くない」とまで高く評価した改革開明派の指導(dǎo)者だった。

胡耀邦は文化大革命(1966?76年)が終わると、牢獄にいた薄熙來(元重慶市書記)の父親?薄一波を救い出して高い職位に就け、また親ソ連派として冷遇されていた李鵬に手を差し伸べて電力部の部長(大臣)に據(jù)え、厚遇した。

 

ところが首相になった李鵬と高位に就いた薄一波は、胡耀邦があまりに民主開明的であり、あまりに親日であるとして攻撃し始め、トウ小平を巻き込んで失腳させる。失意のあまり、胡耀邦は1989年4月15日に憤死するが、失腳前にトウ小平にまで逆らって胡耀邦を擁護(hù)した人間が一人だけいた。

それが現(xiàn)在の國家主席である習(xí)近平の父親、習(xí)仲●[員力](しゅう?ちゅうくん)である。

 

そのため胡耀邦の息子?胡徳平は、習(xí)仲●[員力]に感謝し、尊敬していた。その子供である習(xí)近平とも非常に仲が良く、今でも胡徳平が習(xí)近平に會おうと思えば、(都合さえつけば)いつでも會える関係にある。

その胡徳平が來日し、安倍首相にまで會った背景には、習(xí)近平のいかなる思惑があったのだろうか。

◆本當(dāng)は日中経済交流を進(jìn)めたい中國

昨年10月24日と25日、習(xí)近平をトップとするチャイナ?セブン(中共中央委員會政治局常務(wù)委員會委員7名)は、周辺國の関係者をも招いて「周辺外交工作座談會」を開催した。その座談會で習(xí)近平は「領(lǐng)土問題に関しては一歩たりとも譲歩しないが、経済文化に関しては促進(jìn)していくべき」と基本外交方針を語った。この周辺國の中には、もちろん日本も入っている。

 

この外交方針は座談會開催前から政治局會議で出されており、その方針に沿って広東省は企業(yè)団を日本に派遣し、日本企業(yè)の誘致を図っている。このとき日本の経済界は「このような誘致など、何年ぶりのことだろう」と喜んだ。

 

広東省には次期國家主席と目されている胡春華がいる。胡春華は中國共産黨広東省委員會書記で、中共中央委員會政治局委員でもある。いち早く日中関係の先取りをしようとした胡春華の動きは、中共中央の(內(nèi)部的な)方針を表していた。

 

中國は経済発展しているように見えるが、実は各地方人民政府は巨額な債務(wù)とシャドーバンキングがうごめく綱渡りのような財(cái)務(wù)狀況にある。実のある日本の資金と技術(shù)は、喉から手が出るほど欲しい(この詳細(xì)は拙著『中國人が選んだワースト中國人番付 やはり紅い中國は腐敗で滅ぶ』に)。

しかしこの流れは、昨年12月26日の安倍総理の靖國神社參拝で一気に冷え込んだ。

同じ日の午後3時(shí)に劉延?xùn)|?國務(wù)院副総理(女性)に會うことになっていた自民黨の小渕優(yōu)子議員(元小渕首相の娘)は、北京でいきなり會見をキャンセルされ、劉延?xùn)|との會見後、行くことになっていた広東省への視察も、その場でドタキャンされている。

それなら、今般の胡徳平訪日と安倍首相との極秘會見を、どう読み解けばいいのか?

中國政府関係者を取材してみた。

それによれば、安倍首相が靖國神社の春季大祭に參拝しないであろうことを見込んで、「それならば、こちらにも“用意”があるという、ある種のシグナルと見ていいだろう」という回答が戻ってきた。

だからと言って、あたかも背後に習(xí)近平の指示があったような形での、それと分かる人物による訪日をさせることはできない。習(xí)近平の立場と、対日強(qiáng)硬路線を走らせている「面子(メンツ)」もあるのだろう。

胡徳平ならば、日中関係が冷え込んでいた2004年11月に來日し、日本の経済人や胡耀邦と仲が良かった中曾根康弘元首相とも會っている。それに何と言っても親日であったことが失腳の一因にもなった胡耀邦の息子だ。

その訪日を、チャイナ?セブンは「黙認(rèn)」する形で見ていたはずだ。

 

今年10月に北京で開かれるAPEC首脳會談に向けての薄氷を踏むような一歩と、「周辺外交工作座談會」で決まった基本方針を本當(dāng)は遂行したいという習(xí)近平の心の內(nèi)が垣間見える。

「面子」と「腹蕓」の、綱渡りといったところか。

 中國が次に青少年代表団を日本に送りこめば、この方向性が、より鮮明に見えてくるだろう。

<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>第30回)

遠(yuǎn)藤譽(yù)(えんどう?ほまれ)

筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國際交流センター長。1941年に中國で生まれ、53年、日本帰國。著書に『ネット大國中國―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國を動 かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子(チャーズ)―中國建國の殘火』『完全解読「中國外交戦略」の狙い』、『中國人が選んだワースト中國人番付』など多數(shù)。

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