人民網(wǎng)日本語版 2021年1月26日(火) 16時10分
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中國日報のベテラン記者?米國人エリック?二ルソンさん(中國語名?聶子瑞さん)が登場する報道動畫が近年、各種ニューメディアのプラットフォームで話題となり、クリック回數(shù)が1億回に上っている。
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中國日報のベテラン記者?米國人エリック?二ルソンさん(中國語名?聶子瑞さん)が登場する報道動畫が近年、各種ニューメディアのプラットフォームで話題となり、クリック回數(shù)が1億回に上っている。そして、中國のネットユーザーから、親しみを込めて「アメリカ人のお兄さん」と呼ばれている。中國日報が伝えた。
【その他の寫真】
2016年、當(dāng)時33歳だったエリックさんは、史上最も若い「中國政府友誼賞」の受賞者となった。同賞は、中國政府が中國の社會や経済発展に多大な貢獻(xiàn)をした外國人専門家を表彰する最高の賞となっている。
「2006年當(dāng)時、本當(dāng)は中國には1年しか滯在しない予定だったが、意外にもずっと中國を離れることなくここにいる」と話すエリックさんは、この十?dāng)?shù)年にわたり、第一線で、中國で起きていることを伝えてきた。また、中國というこの土地に馴染み、暮らしている。
そんな、エリックさんはこのほど、自身が中國で経験したことを濃縮した一冊の本「CLOSER TO HEAVEN ——A global nomad’s journey through China’s poverty alleviation」を刊行した。
エリックさんはハンセン病の村に足を運んだだけでなく、地球上で最も標(biāo)高が高く「第三極」と呼ばれるチベット高原で、牧畜民と寢食を共にし、その過程で、ダチョウに乗り、ヤクの乳搾りをし、さらに、ヤクのフンを回収する作業(yè)も體験した。
エリックさんの旅は四川省から始まった。2008年の四川大地震の死者と行方不明者は約9萬人に上った。被災(zāi)地に15回にわたり足を運んで取材する過程で、エリックさんは、地理的環(huán)境と貧困がもたらした悲劇を乗り越えて、救援と復(fù)興活動が行われていき、多くの人の命が失われたこの地で、人々が希望を見いだす様子を目にした。
続いて、エリックさんはチベット高原に足を運んだ。そして、そこで、中國が非常に厳しい自然環(huán)境などの不利な要素を克服し、わずか數(shù)年間で想像できないほどの繁栄をもたらした様子を目撃した。そして、ボランティア活動を始め、電気の通っていない高原の學(xué)校にソーラーパネルを設(shè)置した。その後、パソコンや図書館、薬品、石炭、衣料品、さまざまな設(shè)備なども寄贈したほか、身體障礙者の子供が手術(shù)を受けることができるよう支援したり、義足や車いすを提供したり、貧しい牧畜民の家庭で育つ子供が大學(xué)に通えるよう援助したりもした。
次に、エリックさんは中國の各省を巡り、貴州の農(nóng)村地域のバーチャル?リアリティテーマパークや內(nèi)モンゴル自治區(qū)の牧畜民のエミュー農(nóng)場など、多種多様な貧困者支援プロジェクトを調(diào)査した。
そして、最後に、改革開放が、どのように、中國の貧困者支援の奇跡を?qū)g現(xiàn)したかを、しみじみと感じることのできる旅を経験した。例えば、天秤棒で荷物を擔(dān)ぎ、徒歩で運ぶ荷擔(dān)ぎの「棒棒軍」を體験したり、高齢者の「バイククラブ」に參加して、バイクの旅を経験したり、5週間かけて長江経済ベルト沿岸數(shù)千キロの11都市を訪問したりした。
同書の中國版の翻訳者?劉浚さんは、エリックさんと長年の交友があり、「翻訳者の言葉」の中で、「中國について內(nèi)容の濃い報道をしながら、彼は中國語をマスターしたほか、たくさんの友たちもできた。エリックさん自身が語るように、彼は、単なる傍観者、記述者としてではなく、貧しい人に向けて何かしらの行動をするために、重要な一歩を踏み出している。そのため、この本は特に読む人を感動させ、強(qiáng)いインパクトを與えてくれる」とつづっている。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)
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