人民網(wǎng)日本語版 2021年3月3日(水) 19時50分
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中國福建省が寄贈した「世界平和の鐘」の設(shè)置が2月26日に無事終了し、興福寺の鐘鼓樓に吊るされた。
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中國福建省が長崎県の興福寺に寄贈した「世界平和の鐘」の設(shè)置が2月26日に無事終了し、興福寺の鐘鼓樓に吊るされた。同寺の松尾法道住職は、「梵鐘(釣鐘)は、平和のシンボルであり、殷々と響く鐘の音は、まるで日中友好のように、子々孫々に伝えられる」と話した。新華社が伝えた。
興福寺は、16世紀(jì)に建造された長崎四大唐寺の一つであり、悠久の歴史を誇る日中両國の文化交流史の生き証人といえる。同寺にはかつて、第2代目住職である黙子如定(もくすにょじょう)禪師の誓願によって、清朝初期に華僑から寄付を募って鋳造された梵鐘があった。1820年に再鋳造されたが、第二次世界大戦中の1940年に破壊された。2019年11月、當(dāng)時の福建省委員會書記を務(wù)めた于偉國氏を団長とする訪日団が長崎を訪れ、興福寺を見學(xué)。興福寺の梵鐘がなくなったこと経緯を聞いた于偉國氏は、長崎県の中村法道知事に會見した際に、福建省から新しい梵鐘を鋳造して興福寺に寄贈して、雙方の友好の証としたいと申し出た。
「世界平和の鐘」は、直徑約1.2メートル、高さ約2メートル、重さ約2.5トン。各方面の協(xié)力により、設(shè)置工事は2月26日午後、無事完了した。
松尾法道住職は、「第二次大戦中に興福寺は原爆の影響でほぼ損壊してしまった。先代住職が數(shù)十年の月日を費やして、少しずつ境內(nèi)の建物を修復(fù)したが、梵鐘は失われたままだった。梵鐘が戻って來た今、私の中には、ようやく戦爭が終わったという感覚がある」と語った。
長崎県文化観光國際部國際課の永橋勝巳課長は、「梵鐘を寄贈するという中國の行為そのものが、日中両國の友好の証である。長崎市民は、この鐘の音を聞くたびに、中國と現(xiàn)地の友好の歴史を想い返すだろう」とコメントした。
興福寺は、中國の高僧?隠元禪師が東方への仏教普及のために住持した最初の寺で、境內(nèi)には今もなお、隠元禪師が自らしたためた扁額や対聯(lián)などの作品が殘っている。1654年、長崎の崇福寺や興福寺から住職になって欲しいとの要請を受け、63歳という高齢の隠元禪師が弟子を連れて日本に渡り長崎に上陸、興福寺の住職となった。その後、天皇や徳川幕府の將軍による保護?支援を受け、隠元禪師が京都宇治で黃檗宗を開いた。黃檗宗は、日本禪宗三大宗派の一つとなった。
隠元禪師が日本にやってきて伝えたものは、仏法に限らず、中國の建築物?彫塑?書道?印刷?書畫?彫刻?音楽?醫(yī)學(xué)?料理?茶道など多岐にわたり、世界的にも有名な黃檗文化が形成され、日中文化交流史に多大なる貢獻(xiàn)を果たした。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KM)
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