Record China 2014年4月29日(火) 0時40分
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28日、北京青年報は「韓國首相の辭職に見る、東アジアの“恥”の文化」と題する記事を掲載した。資料寫真。
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2014年4月28日、北京青年報は「韓國首相の辭職に見る、東アジアの“恥”の文化」と題する記事を掲載した。以下はその概要。
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韓國船セウォル號の沈沒事故を受け、鄭[火共]原(チョン?ホンウォン)首相は27日に辭任を発表した。韓國の政界では、このような方法で悲劇的な事件の決著をつけることが慣例化している。
今回の事故では政府の初期対応、捜索活動などにおいて多くの問題點が明るみに出て、乗客の家族や國民から怒りや不満が噴出した。首相の引責(zé)辭任は政府の最大の誠意の表れともいえる。鄭首相は辭任のあいさつの際、「首相として責(zé)任を負(fù)う」と述べている。
鄭首相の辭任は、東アジアの“恥”の文化を體現(xiàn)している。盧武鉉(ノ?ムヒョン)元大統(tǒng)領(lǐng)は収賄の容疑をかけられ、2009年に自ら命を絶った。2011年9月には韓國で大規(guī)模な停電事故が起き、政府の知識経済部(現(xiàn)産業(yè)通商資源部)のトップが辭任。2012年8月には7歳の女児が暴行された事件について、時の李明博(イ?ミョンバク)大統(tǒng)領(lǐng)が公の場で國民に謝罪した。
韓國の“恥の文化”の背景には、第2次大戦後の経済の急速な発展と、民主化の加速がある。日本と中國という大國に挾まれたなかで生き殘っていかなければならないという狀況は、韓國社會に「敏感さ」や「誇り高さ」のほかに、「危機(jī)感」を形成した。韓國の隣の國、日本でも同様の“恥の文化”がある。2007年、當(dāng)時の農(nóng)水大臣?松岡利勝氏は事務(wù)所費等の不透明な支出について國會で追及され、最終的には自殺している。
振り返って中國では、“恥の文化”はかつて中華文化の一部分であった。春秋時代には監(jiān)獄の事務(wù)長を務(wù)めていた李離(リー?リー)が、誤って別の人物の死刑を執(zhí)行してしまった際、自ら死をもって償うことを申し出た。しかし、現(xiàn)在の役人には“恥の文化”を見ることは少なくなっている。制度は確立したものの、実際には中國の役人の責(zé)任感は日韓に遠(yuǎn)く及ばない。中國の道のりはまだまだ長い。(翻訳?編集/北田)
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