Record China 2021年3月8日(月) 7時(shí)0分
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1日、澎湃新聞は、「韓國はどのように建國されたか」とする記事を掲載した。以下はその概要。
2021年3月1日、澎湃新聞は、「韓國はどのように建國されたか」とする記事を掲載した。以下はその概要。
第2次世界大戦中だった1943年11月のカイロ會(huì)談で、米、英、中の3カ國首脳は日本の敗戦後に朝鮮半島を獨(dú)立させることで意見を一致させた。しかしソ連は自身の東アジア権益を守るため、中國東北部さらには朝鮮半島への出兵を宣言した。米國はソ連が朝鮮半島を獨(dú)占することを防ぐため、北緯38度を境界として米ソ両國による分割統(tǒng)治を提案。ソ連はこの提案に同意した。
終戦後の朝鮮半島の分割統(tǒng)治に際し、米ソは両國を主とする委託管理政府の樹立を想定していたが、朝鮮半島の民衆(zhòng)はこれに反対した。その後米ソ両國はイデオロギーで対立し、冷戦へとエスカレートさせたことで、この案は実現(xiàn)することはなかった。
そして46年5月10日、米國人の畫策により南朝鮮で憲法制定會(huì)議が開かれて李承晩(イ?スンマン)が大統(tǒng)領(lǐng)に選出されると、同8月15日に大韓民國政府樹立が宣言された。これに対し、ソ連側(cè)も同9月9日の金日成(キム?イルソン)による北朝鮮人民共和國設(shè)立を支援することで、朝鮮半島の政治的軍事的バランスを保とうとした。
韓國建國後、中國大陸の內(nèi)戦で國民黨軍が劣勢(shì)に立たされる中、米國は韓國の戦略的地位を重視し始め、韓國を通じてソ連の勢(shì)力拡大を抑え込むことを考えた。そして50年6月25日に北朝鮮軍が韓國に進(jìn)攻して朝鮮戦爭が始まると、米國はこれを第3次世界大戦の開始と考えて朝鮮半島に出兵、攻勢(shì)を仕掛けて一時(shí)失われていた韓國の領(lǐng)地を挽回した上、中國國境付近にまで逆に攻め入った。
すると、米軍が國境付近まで迫ったことに危機(jī)感を覚えた中國が志願(yuàn)軍を結(jié)成して北朝鮮を支援、米軍を38度線にまで撤退させた。その後戦況はこう著し、53年7月27日に休戦協(xié)定が結(jié)ばれた。
このように、韓國の獨(dú)立と解放は他人の力に頼ったものであり、自ら艱難辛苦を経て勝ち取った結(jié)果ではない。もし自ら獨(dú)立を勝ち取った國であれば、自民族の傑出した人物をリーダーとする政治団體が作られるのが普通だ。一方で大國に頼って獨(dú)立した國の政治家は、大國との間に「文句ひとつ言えない、切りたくても切れない利害関係」が必然的に生じる。それでは、真の獨(dú)立自主を得ることは難しいのである。(翻訳?編集/川尻)
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