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7日、人民論壇網(wǎng)は、戦後における日本人の対中観の変遷について考察する記事を掲載した。寫真は上海。
2021年4月7日、人民論壇網(wǎng)は、戦後における日本人の対中観の変遷について考察する記事を掲載した。
記事は、「異なる歴史の段階において、國際環(huán)境の変化と日中両國の実力差により、日本社會や日本人の中國に対する考え方は、時に緊密、時に疎遠(yuǎn)になり、さまざまな対中観を呈してきた」として、戦後の日本人による対中観は大まかに3つの時期、段階に分けることができるとした。
まず、1950年代から70年代中期にかけては、冷戦の影響もあり外交的に隔絶、敵対する中で民間の日中交流が展開され、日本の民間人が政府による阻止を破って中國を訪問し、その情報により日本社會の新たな対中観が形成されていったとした。そしてこの時期は、日本人がもともと持っていた中國文化に対するイメージと、敗戦による自虐観が合わさって、中國に対する神秘感、親近感、贖罪意識、崇拝意識が交錯していたと伝えている。
次に、日中國交正?;瑢g現(xiàn)した70年代中期から90年代中期にかけては、両國の外交関係樹立に伴って両國の交流が一気に広がり、訪中する日本人が増えたことで従來の対中観に変化が生じたと説明。中國に対する「謎めいた國」というイメージは消えていき、日本社會では日中友好をテーマにした「中國ブーム」が起こる一方で、なおも中國に対して殘る贖罪(しょくざい)の意識や、経済格差の大きさなどから、中國に対する同情の意識が強まり、中國の発展を手助けしたいという思いが日本人の間にあったと伝えた。
そして、90年代中期から現(xiàn)在にかけては、冷戦の終結(jié)など國際情勢の変化に伴い日中関係にも大きな変化が見られ、90年代には友好を基調(diào)としつつも、日本國內(nèi)では中國に対する憂慮や嫌悪を含む報道が増え始めたと主張。東シナ海の排他的経済圏や尖閣諸島の問題がクローズアップされるようになり、中國の軍事力強化による「中國脅威論」が出回るようになったとした。
また、中國が急速な経済成長期に入った一方で日本はバブル崩壊後の慢性的な経済停滯に陥り、21世紀(jì)に入ると日中間の経済格差はどんどん縮まり、2010年には経済規(guī)模で中國が日本を抜くに至ったと解説。この狀況変化が日本社會と日本人の心理に大きなダメージを與え、かつて抱いていた中國に対する優(yōu)越感、同情の意識が消え、その代わりに中國に対する圧迫感、恐怖感を抱くようになっていき、メディアが中國人のモラル問題などのネガティブな報道に焦點を當(dāng)てる中で、日本人の中國に対するネガティブな意識、さらには嫌悪感、敵対意識が高まっていったと論じている。
記事は最後に「現(xiàn)在、日中関係は新たな改善のプロセスにある。両國には確かに共通利益が存在し、特に経済、文化領(lǐng)域の共通利益は広範(fàn)だ。しかも、東アジアの大國同士として地域の平和、安定、発展に対してもお互いに責(zé)任を持っている。それゆえ、両國が手を取り合って協(xié)力し、さらに多くの共通利益を見いだし、さらに多くの共通の責(zé)任を擔(dān)うようになれば、両國國民の互いのイメージは改善するだろうし、日本人も中國ともっと親密になりたいと望むようになるはずだ」と結(jié)んでいる。(翻訳?編集/川尻)
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