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レスリー?チャンの命日、コロナ禍の追悼ライブ配信に7萬人

野上和月    2021年4月9日(金) 20時(shí)20分

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香港が生んだ大スター、レスリー?チャンの18回目の命日だった1日夜、追悼コンサートの無料ライブが世界に向けて配信された。

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香港が生んだ大スター、レスリー?チャン(張國栄、享年46)の18回目の命日だった4月1日夜、追悼コンサートの無料ライブが世界に向けて配信された。新型コロナ対策で、5人以上の集會(huì)が禁じられているだけでなく、追悼をしにやって來たくても入境規(guī)制で來港できない海外のファンを意識(shí)して開催された粋なイベントで、7萬4000人以上のファンが熱狂。今なお多くのファンに愛され続けていることを改めて印象づけた。

その他の寫真

レスリーは歌手や俳優(yōu)、音楽プロデューサーとして、多方面で才能を発揮した。吉川晃司のヒット曲「モニカ」のカバー曲が大ヒットし、一気にスターダムにのし上がった。「哥哥(お兄ちゃん)」の愛稱で親しまれ、日本を始めアジアを中心に多くのファンがいる。

その死はあまりにも衝撃的で、今も香港市民の脳裏に焼き付いている。當(dāng)時(shí)は、香港でSARS(重癥急性呼吸器癥候群)の感染が拡大していた時(shí)期。連日、新たな感染者數(shù)や死者數(shù)が発表され、皆が不安と緊張の日々を送っていた。その中で飛び込んできた現(xiàn)役大スターの訃報(bào)。最初は誰もがエイプリルフールの悪い冗談だと思った。彼の死は香港中を一層重い空気に包み込んだのだった。

レスリーが今も根強(qiáng)い人気があると感じるのは、毎年命日になると、彼が飛び降りて死亡した香港島セントラルのマンダリン?オリエンタルホテル脇に、彼をしのんで、大勢のファンがやってきて、花束で埋め盡くすことだ。男女を問わず、若者から年配者まで幅広い。添えられたメッセージを見ると、香港はもちろん、中國本土や日本、韓國、臺(tái)灣、シンガポールなど、ファンは様々な國?地域にわたる。

私は以前この場で、「亡くなった時(shí)はSARSが流行していて家族に香港行きを反対されて來ることができなかったけど、やっと來ることができた」という日本人女性や、「彼ほど多彩な大スターはアジアにはそういない。毎年、命日と誕生日の頃になると香港に來たくなる」というシンガポールの女性などに出會(huì)った。

中國本土のファンに至っては、北京や上海重慶、貴州、昆明など津々浦々からやってくる。しかもここ數(shù)年は「レスリーが亡くなった後に映畫や歌を聴き、大ファンになった。彼は歌も演技もうまかった。曲も作った。最高にカッコいい憧れのスターだ」(重慶から來た青年)というように、彼の死後にファンになったという若者が少なくないのだ。

そんなレスリーの魅力について、香港のファンの一人は、「レスリーと同世代の香港のアイドルたちは、貧しい生活から這い上がってスターにのし上がった。でも、彼の場合は、裕福な家庭に生まれ、英國留學(xué)も経験したからか、醸し出すセンスが他のスターたちとは違っていた。他の香港スターは、サービス精神を遺憾なく発揮してファンのハートをつかんでいったが、レスリーは彼自身の個(gè)性とセンスで我々ファンを魅了した」と説明する。

今回の追悼ライブは、ファン組織がコロナ禍で集會(huì)ができないことを理由にイベントを中止するという中、健康関連商品を売る組織が主體となって、ネット配信という形で開催。國境を越えてレスリーをしのび、ともにコロナと闘っていこうという趣旨で行った。ビクトリア灣の夜景を背景にした屋外で、オーケストラの演奏にのって、レスリーにゆかりのある歌手らが彼の名曲を熱唱した。在りし日のレスリーの映像や歌聲も配信され、7萬4000人以上がライブに酔いしれた。

一方、毎年沢山のファンや獻(xiàn)花で埋め盡くされるホテル脇は、さすがに今年は少なかった。しかし、そんな中、目を引いたのは、攜帯電話を手に普通話(標(biāo)準(zhǔn)中國語)で、現(xiàn)場の様子を中継している若者たちだった。中國本土のファンたちにレポートし、交流していたのだった?;ㄊ颂恧à椁欷亢嗴w字(中國本土で使われている字體)で書かれたメッセージには、「あなたの時(shí)代にはまだ生まれていなかったけど、あなたを知ってから大好きになりました。試験が終わったら、必ず香港に會(huì)いに行きます」と書かれたものも。きっと、香港にいる知り合いに託して獻(xiàn)花したのだろう。時(shí)空を超えて、今なお多くのファンの心を引き付けてやまない大スターの偉大な足跡を感ぜずにはいられなかった。

死後10年となった2013年は、命日を挾んで様々な大規(guī)模な追悼イベントが行われた。20年にあたる2年後も、さぞかし多種多様な追悼イベントが大々的に開催されることだろう。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時(shí)間
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