<寫真特集>日本統(tǒng)治時代の衛(wèi)生工程発展の歴史を見てきた臺南水道

蕭文彬    2021年5月16日(日) 8時10分

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臺灣南部の臺南市を拠點に活動するカメラマン、蕭文彬が臺南山上花園水道博物館を?qū)懻妞任恼陇墙B介する。

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臺灣南部の臺南市を拠點に活動するカメラマン、蕭文彬(シャオ?ウェンビン)が臺南山上花園水道博物館を?qū)懻妞任恼陇墙B介する。

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2019年10月10日にオープンした臺南山上花園水道博物館は臺南市山上區(qū)にあり、かつて「臺南水道水源地」と呼ばれた博物館區(qū)と浄水池區(qū)を含む。

1897年、臺灣総督府の衛(wèi)生工程顧問だったW.K.Burtonと教え子で助手の浜野彌四郎は清潔な水を提供して衛(wèi)生環(huán)境を改善するため、臺南地域で水源、水質(zhì)調(diào)査を行い、1912年に臺南水道の建設(shè)が始まった??⒐い?922年。供用開始後は清潔な水が家々に屆き、臺灣の公衆(zhòng)衛(wèi)生の質(zhì)は効果的に上昇して人々の健康が保障された。

日本統(tǒng)治時代の衛(wèi)生工程発展の歴史を見てきた臺南水道は烏山頭ダム、曽文ダム、潭頂浄水場が完成したことで1982年に引退したが、全體的な建築と空間は際立つ特色を持っている。臺南市は2011年から古跡修復(fù)計畫を進め、2019年に「臺南山上花園水道博物館」として正式に開放した。博物館區(qū)には「急速ろ過池室」などの他、浜野彌四郎の像や豊かな林が、浄水池區(qū)には浄水池、量水器室、浄水池歩道などがある。また、臺南水道は2010年に日本の土木學(xué)會選奨土木遺産に認(rèn)定された。(翻訳?編集/野谷

●蕭文彬(シャオ?ウェンビン)

1956年生まれ。臺灣臺南市出身。幼少時代は貧しい家庭に育つ。父の「家族寫真を撮るためカメラを借りたい」との申し出を親戚が斷ったことが、プロのカメラマンを目指すきっかけとなった。初めて手に入れたカメラは中古のペンタックス。ここから本格的な撮影技術(shù)の學(xué)習(xí)をスタートさせる?,F(xiàn)在は臺灣南部を代表するカメラマンとして中華南群撮影學(xué)會理事長や臺南市撮影學(xué)會の副理事長を務(wù)める。2015年12月には臺南市の新光三越で個展を開催した。

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