魏晉南北朝時(shí)代の日常を描いた彩色畫像磚の特別展、中國(guó)國(guó)家博物館で開(kāi)幕

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2021年6月4日(金) 19時(shí)50分

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特別展「図畫衆(zhòng)生――畫像磚に描かれた古代の河西の人々の生活」がこのほど、中國(guó)國(guó)家博物館で開(kāi)幕した。

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下絵に煉瓦の型板を作り、粘土で造形し、そして彫刻、裝飾してから、窯で焼成させた畫像磚(がぞうせん)。そこには古代の人が馬に乗って狩りをする様子や宴會(huì)で楽器の演奏を楽しむ様子、かごを持ってクワの実を取る様子などが描かれている。どの彩色畫像磚にも、古代の人々の多彩な生活の様子が生き生きと描かれている。中國(guó)國(guó)家博物館が甘粛省文物局、甘粛省博物館と共同で開(kāi)催する特別展「図畫衆(zhòng)生――畫像磚に描かれた古代の河西の人々の生活」がこのほど、中國(guó)國(guó)家博物館で開(kāi)幕した。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

「塢堡射鳥(niǎo)畫像磚」特別展のプロデューサーである陳克雙(チェン?コーシュアン)氏によると、この畫像磚は、クワの実の収穫を描いた畫像磚と、畑を耕す牛を描いた畫像磚の間にあった。クワの実の収穫や牛を使った耕作は、農(nóng)家にとって春の重要な農(nóng)作業(yè)で、その間に鳥(niǎo)を弓で射ようとしている様子が描かれた畫像磚があるということは、クワの木にいる鳥(niǎo)を追い払おうとしているか、春の訪れを祝うための儀式として鳥(niǎo)を射ようとしているかのどちらかではないかと分析されている(畫像提供?中國(guó)國(guó)家博物館)。

「青龍畫像磚」青龍は、天の四方の方角を司る霊?yīng)?四神の一つ。漢(前漢紀(jì)元前206-8年、後漢25-220年)の時(shí)代以降の古墳には「四神」が描かれていることが多く、それは當(dāng)時(shí)の死ぬと「仙」になるという思想と関係がある(畫像提供?中國(guó)國(guó)家博物館)。

考古學(xué)的発掘調(diào)査では、畫像磚は長(zhǎng)い歴史を誇り、戦國(guó)時(shí)代から(紀(jì)元前403‐紀(jì)元前221年)、宋?元の時(shí)代(960—1368年)まで、約15世紀(jì)続いたことが分かっている。職人は畫像磚を作る時(shí)、その當(dāng)時(shí)の実際の生活の様子をベースに、豊かな想像力を働かせて、その時(shí)代の人々の精神や物質(zhì)生活の幅広い面を巧みな技術(shù)で描いた。時(shí)代によって、畫像磚の特徴も異なり、なかでも最も一見(jiàn)に値するのが河西地區(qū)の彩色畫像磚だ。

「羌女送行畫像磚」ある學(xué)者によると、女性は羌(チャン)族であるため、河西地區(qū)の民族融合や異民族間での婚姻関係の様子を描いているのではないかと分析している(畫像提供?中國(guó)國(guó)家博物館)。

內(nèi)陸部の天山山脈?崑崙山脈山麓のオアシスルートに連なる重要な通路である河西回廊は、シルクロードの重要な一部分で、長(zhǎng)い歴史、深みある文化を誇る。東は永昌、高臺(tái)から始まり、西の酒泉、嘉峪関、敦煌まで、約100キロ伸びる広大な大地に、魏晉南北朝時(shí)代(220年—589年)の壁畫磚墓が大量にあり、考古學(xué)者らは大量の彩色畫像磚を発見(jiàn)してきた。それら畫像磚のスタイル、內(nèi)容はバラエティーに富んでおり、神仙?異獣、クワの栽培、カイコの養(yǎng)殖、狩猟、宴會(huì)?日常生活、蕓能?娯楽、服?乗り物、建築物?住居など、テーマも多種多様だ。レンガによって描かれている物や景色は、ほぼすべて異なり、作風(fēng)はアグレッシブで鮮明だ。また、巧みな構(gòu)図、自由なラインが特徴で、強(qiáng)い時(shí)代の雰囲気、多民族融合が描き出されている。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集/KN)

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