蕭文彬 2021年6月13日(日) 8時10分
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臺灣南部の臺南市にある臺南山上花園水道博物館では、この地の水道事業(yè)に貢獻(xiàn)した日本人、浜野彌四郎の像が見學(xué)者を出迎えている。
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【その他の寫真】
2019年10月オープンの同博物館は日本統(tǒng)治時代の水道施設(shè)、臺南水道を整備したものだ。1897年、臺灣総督府の衛(wèi)生工程顧問だったW.K.Burtonと教え子で助手の浜野彌四郎は清潔な水を提供して衛(wèi)生環(huán)境を改善するため、臺南地域で水源、水質(zhì)調(diào)査を?qū)g施。そして1912年に臺南水道の建設(shè)が始まった。
臺南を拠點(diǎn)とするカメラマンの蕭文彬(シャオ?ウェンビン)は「水道施設(shè)は日本統(tǒng)治時代における衛(wèi)生工程の一部分。臺南水道は當(dāng)時の臺南の飲用水需要に基づいて整備されたもので、1912年から10萬人の需要を満たす現(xiàn)代的な水道インフラの建設(shè)が進(jìn)められた。舊事務(wù)室や発電室などが殘っている他、水源地の門のそばには臺南水道の設(shè)計(jì)者、浜野彌四郎を記念する像がある」と紹介する。蕭はまた、「1922年に竣工した臺南水道は1982年まで使われ続けた。日本統(tǒng)治時代の衛(wèi)生工程現(xiàn)代化の目撃者であり、臺灣の水道事業(yè)が進(jìn)化するプロセスの目撃者でもある。文化史において深い意義を持っている」とも指摘。臺南水道の関連施設(shè)は地域の経済発展にも貢獻(xiàn)を果たし、現(xiàn)在は郷土教育の見學(xué)スポットであるだけでなく、重要な文化資産にもなっているという。(翻訳?編集/野谷)
●蕭文彬(シャオ?ウェンビン)
1956年生まれ。臺灣臺南市出身。幼少時代は貧しい家庭に育つ。父の「家族寫真を撮るためカメラを借りたい」との申し出を親戚が斷ったことが、プロのカメラマンを目指すきっかけとなった。初めて手に入れたカメラは中古のペンタックス。ここから本格的な撮影技術(shù)の學(xué)習(xí)をスタートさせる?,F(xiàn)在は臺灣南部を代表するカメラマンとして中華南群撮影學(xué)會理事長や臺南市撮影學(xué)會の副理事長を務(wù)める。2015年12月には臺南市の新光三越で個展を開催した。
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