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東京五輪での日本選手団の活躍は目覚ましかったが、香港も金メダル1個(gè)、銀メダル2個(gè)、銅メダル3個(gè)と、史上最多のメダルを獲得。予想外の大活躍とメダルラッシュに、香港中がかつてないほど熱狂した。
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東京五輪での日本選手団の活躍は目覚ましかったが、香港も金メダル1個(gè)、銀メダル2個(gè)、銅メダル3個(gè)と、史上最多のメダルを獲得。最終日まで、香港代表選手の予想外の大活躍と“メダルラッシュ”に、香港中がかつてないほど熱狂したスポーツの祭典だった。
【その他の寫真】
香港は1997年に中國(guó)に返還されて香港特別行政區(qū)になってからも、「一國(guó)二制度」の下で、中國(guó)とは別に五輪に參加している。今回は、卓球、バドミントン、水泳、フェンシング、自転車などの競(jìng)技に、返還後最高の46人が出場(chǎng)した。
土地が狹くて練習(xí)場(chǎng)が少ない上に、選手の育成や支援體制が十分でない香港で、スポーツで食べていくのは難しい。健康志向でスポーツ人口は増えているが、前回大會(huì)までで取ったメダルは、88年のソウル五輪のバドミントン混合ダブルスで銅メダル、96年のアトランタ五輪のヨット競(jìng)技で香港初の金メダル、2004年のアテネ五輪の男子卓球ダブルスで銀メダル、12年のロンドン五輪の女子自転車競(jìng)輪で銅メダルだけだ。
それが、今回は1大會(huì)でメダル6つも取る歴史的快挙を成し遂げたのだ。
まず、開幕4日目にフェンシング?男子フルーレ個(gè)人で張家朗選手が優(yōu)勝。中國(guó)返還後初めて、香港史上でも25年ぶりに2つめの金メダルを香港にもたらした。その數(shù)日後に、何詩蓓選手が自由形女子200メートルと100メートルの2種目で、いずれもアジア記録を塗り替えての2位。一人で銀メダルを2つも取る偉業(yè)を達(dá)成した。
続く卓球団體女子では、李皓晴選手、杜凱琴選手、蘇慧音選手のチームが大健闘。準(zhǔn)決勝で日本に敗れたものの、3位決定戦でドイツを破り銅メダルに輝いた。同じ日に行われた空手女子形でも、劉慕裳選手が切れのある形を披露し、銅メダルを獲得。1日で香港選手が銅メダルを2つも取ったことに、香港市民の興奮は頂點(diǎn)に達(dá)する。
しかし、感動(dòng)はそこで終わらなかった。自転車?トラック女子スプリントで、敗者復(fù)活戦から勝ち上がっていったロンドン五輪の銅メダリスト、李慧詩選手が、大會(huì)最終日にメダルをかけて出場(chǎng)。再び銅メダルに輝き、2大會(huì)でメダル獲得という、香港の五輪の歴史に輝かし1ページを添えたのだった。
メダルこそ屆かなかったが、バドミントン混合ダブルスの3位決定戦で、トウ俊文?謝影雪組が、日本ペアと互角に勝負(fù)。大健闘した。
大會(huì)が進(jìn)むにつれ、市民は「香港代表選手がこれほど活躍するとは」「またメダル獲得だ」と驚きと熱狂の連続。香港中が歓喜と興奮の日々だった。試合の様子は、これまでのようにテレビ局1局による獨(dú)占放送ではなく、5局で放送されたから、応援したい競(jìng)技を選んで、生で観戦できた。公立體育館や大規(guī)模ショッピングセンターがパブリックビューイングの會(huì)場(chǎng)となったことで、多くの市民が一體感をもって応援できた。さらに、日本との時(shí)差が1時(shí)間だけで観戦しやすかったことなどが、五輪をより身近なものにした。テレビ局の中には、五輪のテーマ曲まで作り、スポーツの祭典を盛り上げるなど、気が付けば香港中がお祭りモードになっていた。
今回、これほど多くのメダルをもたらすことになった背景について、香港メディアは、香港政府が打ちだしたスポーツ振興策をあげている。
政府は12年に70億香港ドル(約992億円)を投じて優(yōu)れた運(yùn)動(dòng)選手を養(yǎng)成するための基金を設(shè)立。海外や中國(guó)本土で強(qiáng)化訓(xùn)練や経験を積むなどで、選手が育ってきたことが今回の好成績(jī)につながったという。また、メダリストの李靜氏が女子卓球チームの監(jiān)督として指導(dǎo)に當(dāng)たってきたこともメダルへの近道になったかもしれない。
とはいえ、練習(xí)環(huán)境はまだまだ十分とはいえない?!柑R王子」の異名を持つ石偉雄選手の練習(xí)場(chǎng)の一つを5月に見たが、そこは郊外の體育館の一角。しかも、體操競(jìng)技の機(jī)材が隙間なく置かれた倉庫のような空間で、他の運(yùn)動(dòng)員たちと一緒に、譲り合うように練習(xí)していた。2014年アジア競(jìng)技大會(huì)の跳馬で金メダルを取るほどの五輪代表選手の練習(xí)環(huán)境としては気の毒に思えたほどだ。
また、バドミントンの伍家朗選手が、香港旗なしの黒のTシャツを著て試合に出たことで、親中派政黨関係者から政治的意図があるのではと批判されたが、これは、大會(huì)直前にスポンサーから契約を切られ、やむを得ず自分でユニホームを用意したからだった。香港の競(jìng)技団體はこれを認(rèn)めて、2回戦に合わせて急きょ彼の公式ユニホームを用意するドタバタぶり。香港ではスポーツ選手への待遇や配慮にまだまだ改善の余地があることを露呈した。
メダルの話に戻すと、東京五輪は開催が1年ずれたが、香港は8年おきにメダルを獲得している。しかも、それぞれがとても意味深い。
1996年のアトランタ五輪は、英國(guó)統(tǒng)治時(shí)代の最後に行われた大會(huì)だった。ヨット競(jìng)技ミストラル級(jí)で李麗珊選手が香港の初代金メダリストに輝いたが、まるで歴史のために奇跡が起こったようだった。メダル獲得の喜びの中で彼女が「香港の運(yùn)動(dòng)選手はクズじゃない」と発した言葉とともに、市民の脳裏に深く刻み込まれている。
2004年のアテネ五輪では、男子卓球ダブルスで李靜選手と高禮沢選手ペアが中國(guó)選手を相手に銀メダルを獲得。返還後では初めてのメダリストが誕生した。ただ、両選手は、その4年ほど前に中國(guó)本土から香港にやってきて、國(guó)際舞臺(tái)で経験を積みながら実力をつけていった。本土にいたら上位選手の控えで終わった選手生命を、人生の舞臺(tái)を香港に移すことで、スポーツで「香港ドリーム」を?qū)g現(xiàn)してみせたのだ。
2012年のロンドン五輪では、女子自転車競(jìng)輪で李慧詩選手が銅メダルを獲得して表彰臺(tái)に上がった時(shí)に掲げられた3つの旗が、市民に97年の香港の中國(guó)返還式典を思い出させた。金メダリストは英國(guó)選手。銀メダリストは中國(guó)選手だったから、英國(guó)のユニオンジャックを挾んで、香港の區(qū)旗と中國(guó)の五星紅旗が掲揚(yáng)されたからだ。
そしてアトランタ五輪から25年後の東京五輪では、選手は數(shù)々の記録を打ち立て、「香港の運(yùn)動(dòng)選手はクズじゃない」どころか「香港のヒーロー」となったのだ。
東京五輪での香港選手の活躍を受けて、政府は今後、スポーツ振興に更に力を入れるようだ。運(yùn)動(dòng)選手を夢(mèng)見る子供たちも増えるだろう。今回メダルを獲得した選手はほとんどが20代前半だから、次の大會(huì)でも期待が高まる。パリ五輪での香港選手の更なる活躍が楽しみだ。(了)
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長(zhǎng)を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國(guó)と香港を旅行し、西洋文化と中國(guó)文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國(guó)返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。
ブログ:香港時(shí)間
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