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「一帯一路」は中ソ対決克服が起點(diǎn)=ユーラシアを越えた「國(guó)際公共財(cái)」目指す―石井東大名譽(yù)教授

Record China    2021年8月12日(木) 12時(shí)50分

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東アジアの國(guó)際関係に詳しい石井明東京大名譽(yù)教授が「一帯一路構(gòu)想を歴史と新疆問(wèn)題の中で考える」題して講演。中國(guó)とロシア?中央アジア諸國(guó)の地域協(xié)力機(jī)構(gòu)が成長(zhǎng)していくなかで、一帯一路構(gòu)想が提唱されたという。

國(guó)際アジア共同體學(xué)會(huì)が主催する日中シンポジウムがこのほど東京の國(guó)會(huì)議員會(huì)館で開(kāi)催され、有識(shí)者約100人が出席した。第一部の「米中新冷戦の展開(kāi)、一帯一路構(gòu)想と東アジア政治経済秩序の新動(dòng)向」では、東アジアの國(guó)際関係に詳しい石井明東京大名譽(yù)教授が冒頭、「一帯一路構(gòu)想を歴史と新疆問(wèn)題の中で考える」題して講演。新疆地域がソ連解體前に、ソ連と直接國(guó)境を接し、中ソ対決の最前線に位置していたことなど歴史的な経緯と背景を解説。一帯一路構(gòu)想は「長(zhǎng)年にわたる中ソ対決を乗り越え、中國(guó)から中央アジアに至る地域の平和と安定を?qū)g現(xiàn)することを狙った」と指摘した。上海協(xié)力機(jī)構(gòu)という地域協(xié)力機(jī)構(gòu)をつくり、経済貿(mào)易関係を発展させ、中國(guó)とロシア?中央アジア諸國(guó)の地域協(xié)力機(jī)構(gòu)から、周辺諸國(guó)をメンバーに加えた、大きな広がりを持った機(jī)構(gòu)に成長(zhǎng)していくなかで、一帯一路構(gòu)想が提唱されたという。

「一帯一路」構(gòu)想の対象地域はユーラシアに限らず、アジア、歐州、アフリカ、米州に及び、中國(guó)は同構(gòu)想を「國(guó)際協(xié)力のプラットフォームであり、國(guó)際公共財(cái)である」と位置付けている。

◆石井明東大名譽(yù)教授の講演要旨は次の通り。

1.ロシア、モンゴルとの友好関係のなかで具體化

習(xí)近平國(guó)家主席が最初に「シルクロード経済ベルト」(一帯)建設(shè)を提案したのは、2013年9月7日、カザフスタンのナザルバエフ大學(xué)での講演においてであった。続いて、同年10月3日、インドネシア國(guó)會(huì)での演説で、習(xí)近平は、ASEAN諸國(guó)とともに「21世紀(jì)海上シルクロード」(一路)を建設(shè)しようと提案した。

翌年2014年9月11日、習(xí)近平は中國(guó)?ロシア?モンゴル首脳會(huì)談で、シルクロード経済ベルトを、ロシアが提唱してきたユーラシア経済同盟およびモンゴルの「草原の道」構(gòu)想と結(jié)び付け、中國(guó)?モンゴル?ロシア経済回廊を作り上げようと提案した。三國(guó)首脳はこのとき、中國(guó)?モンゴル?ロシア経済回廊建設(shè)計(jì)畫(huà)要綱に署名した。これは、「一帯一路」の枠組みのもとでの最初の多國(guó)間の協(xié)力を約した文書(shū)であった?!敢粠∫宦贰工悉蓼航Oのロシア、モンゴルとの友好関係のなかで具體化が始まったのだ。

2015年3月28日、國(guó)家発展改革委員會(huì)、外交部、商務(wù)部が「シルクロード経済ベルトと21世紀(jì)海上シルクロード共同建設(shè)を推進(jìn)するビジョンと行動(dòng)」を発表し、「一帯一路」共同建設(shè)の原則、協(xié)力の重點(diǎn)、協(xié)力の仕組みなどについて、具體策を明らかにしている。シルクロード経済ベルトの重點(diǎn)協(xié)力方向としては、第1に中央アジア?ロシアを通ってヨーロッパに至るルート、第2に中央アジア?西アジアを通ってペルシャ灣?地中海に至るルート、続いて第3に東南アジア?南アジアを通ってインド洋に至るルートが挙げられている。シルクロード経済ベルトは、まず中國(guó)本土から西北部の新疆、そして中央アジアを通ってヨーロッパ、西アジアに向かって伸びていくことが想定されていた。

「一帯一路」構(gòu)想の提唱を可能にした要因の第1が、中國(guó)経済の発展にあることは疑いない。2010年には中國(guó)は日本を追い抜いて世界第2の経済大國(guó)になっていた。報(bào)告者は、それに加えて、新疆から中央アジアにいたる地域の平和と安定が達(dá)成され、さらにこの地域が平和と発展に向かっていたことが考慮されるべきだと考えている。新疆は、ソ連解體前は、ソ連と直接、國(guó)境を接し、中ソ対決の最前線に位置していた。

2.ソ連?新疆関係(1945-1990)

中國(guó)の北方の領(lǐng)土は、1945年8月の中ソ友好同盟條約締結(jié)交渉の際、基本的に決定されている。ソ連は、米英ソの指導(dǎo)者が集まったヤルタ會(huì)談での了解に基づき、外モンゴルの獨(dú)立承認(rèn)を求めた。蔣介石は外モンゴルの「高度の自治」という妥協(xié)案を示すが、スターリンに拒否され、中國(guó)東北と新疆の確保を條件に外モンゴルの獨(dú)立を認(rèn)めざるを得なかった。當(dāng)時(shí)、新疆には、ウイグル族やカザフ族など少數(shù)民族が、ソ連軍の支援を受けて、「東トルキスタン人民共和國(guó)」を打ち立てていた。

1945年8月14日、ソ連のモロトフ外相から中華民國(guó)の王世傑外相あて書(shū)簡(jiǎn)(交換公文)で、ソ連は新疆において中國(guó)の內(nèi)政に干渉するいかなる意思も有しないことを確認(rèn)する、と述べ、新疆における中國(guó)の主権を認(rèn)めた。その後、ソ連軍は新疆から撤退し、「東トルキスタン人民共和國(guó)」は消滅した。新疆におけるソ連の影響力はその後も殘るのだが。

1949年10月1日、中華人民共和國(guó)が建國(guó)される。新中國(guó)は1955年10月、新疆に新疆ウイグル自治區(qū)を作った。その前年1954年10月12日、中ソ両國(guó)は、蘭州からウルムチを経由して、アルマティ(當(dāng)時(shí)、カザフスタンの首都)に至る鉄道を建設(shè)することを取り決めた。當(dāng)時(shí)は中ソ友好の時(shí)代である。2年後、鉄道建設(shè)ルートは、蘭州からトルクシブ鉄道のアクトガイ駅へと変更されるが、初めは、工事は順調(diào)に進(jìn)んだ。しかし、中國(guó)側(cè)は1961年5月、ウルムチまでで工事を打ち切った(ソ連側(cè)は1960年初めまでに國(guó)境までのレール敷設(shè)工事を完成させていた)。中ソ関係の悪化に加え、大躍進(jìn)政策の後遺癥があり、國(guó)家財(cái)政が窮迫していたため、と考えられる。

翌1962年4月―6月、新疆?ソ連関係を決定的に悪化させる事件がおきた。カザフ族、ウイグル族などが大量の家畜を連れて、カザフスタンに逃亡したのである(ソ連側(cè)の數(shù)字では6萬(wàn)7千人。それに加え、1962年10月から翌年5月までに4萬(wàn)6千人以上)。1962年は3年連続の自然災(zāi)害の最後の年にあたり、全國(guó)的に食糧不足に陥っていた。

中國(guó)側(cè)は、ソ連共産黨指導(dǎo)部が新疆のソ連の機(jī)構(gòu)と要員を通じて、中國(guó)公民をおびき寄せたり、脅迫してソ連領(lǐng)內(nèi)に逃亡させた、と非難した。當(dāng)時(shí)、毛沢東は、新疆の主要な危険はソ連現(xiàn)代修正主義からきている、と指摘している。ウルムチのソ連総領(lǐng)事館は閉鎖された。この事件以降、新疆の住民はカザフスタンの親族を訪問(wèn)する際、わざわざ遠(yuǎn)路、東北の満洲里を経由するルートを使わざるをえなくなった。

1969年8月、新疆の裕民県テレチク地區(qū)で中ソ國(guó)境守備隊(duì)が衝突し、中國(guó)側(cè)はソ連軍の侵攻に備え。9月30日、三北(西北?華北?東北)の全軍に戦闘準(zhǔn)備命令を出した(林彪國(guó)防部長(zhǎng)の1號(hào)命令)。その後、ソ連軍が攻めこんでくることはなかったが、軍事的対決狀況は長(zhǎng)く続いた。

1980年代にはいり、ようやく関係修復(fù)を目指す動(dòng)きが始まった。中央アジア?新疆間の國(guó)境地帯で、両國(guó)公民の往來(lái)が回復(fù)されたのは1981年になってからであった。

同じ1981年12月、中國(guó)政府は、1975年に解消した新疆生産建設(shè)兵団を復(fù)活させる決定を下している。その狙いの一つは、ソ連勢(shì)力の破壊と浸透活動(dòng)に対抗することだった。

1983年11月には中ソ國(guó)境通関港であるホルゴス経由の貨物輸送が再開(kāi)され、新疆経由の中ソ貿(mào)易が再開(kāi)された。

中斷されていたウルムチからソ連國(guó)境間(北疆鉄道)の工事は1985年5月1日、メーデーの日に再開(kāi)された。同年3月、ソ連ではゴルバチョフが書(shū)記長(zhǎng)に就任している。中國(guó)では鄧小平が中ソ関係の正?;违ぅ衰伐ⅴ隶证颏趣盲皮い郡?、ゴルバチョフに登場(chǎng)により。中ソ関係の正?;彼伽诉M(jìn)んでいった。

1985年、それまで外國(guó)人はソ連?新疆の國(guó)境通過(guò)が認(rèn)められていなかったのが緩み始めた。報(bào)告者が中央アジアと新疆の境界を初めて越えたのは1986年だ。日本の旅行社主催の古代シルクロードの跡をめぐる天山北路の旅ツアーに加わり、その途中、10月14日、カザフスタンのアルマティからバスに乗り、國(guó)境を越えた。中ソ両國(guó)が第3國(guó)人の、中央アジア?新疆間の國(guó)境地點(diǎn)ホルゴスの通過(guò)を認(rèn)めたのは、1985年からで、同年10月14日、イギリスの旅行団がホルゴスを越えた。イギリスのサッチャー首相が、ゴルバチョフにイギリス人のシルクロード?ツアーに便宜をはかるよう求めたのだ。1986年も前年同様、10月14日に限り(年間1日だけ)國(guó)境通過(guò)が認(rèn)められ、イギリスの旅行社に加え、日本の旅行社もツアーを組んだのだ。

1989年5月、ゴルバチョフは自ら訪中し、トウ小平との間で中ソ関係が正?;筏郡长趣虼_認(rèn)した。その翌年、1990年9月12日、北疆鉄道とカザフスタンの鉄道の連結(jié)が実現(xiàn)した。中國(guó)側(cè)は、これにより、中國(guó)の太平洋岸の連雲(yún)港からオランダロッテルダムに至る、新たな「亜歐大陸橋」(ユーラシア?ランドブリッジ)ができた、として喜んだ。

3.上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の結(jié)成

ソ連との國(guó)家関係?黨関係を発展させようとしていた中國(guó)にとって思いもよらぬ事態(tài)がおきる。1991年12月、ソ連邦が崩壊し、連邦內(nèi)の各共和國(guó)が獨(dú)立したのである。12月27日、銭其琛外相は、各共和國(guó)の外相に電報(bào)を送り、獨(dú)立承認(rèn)を伝える。新生ロシアとの間では、平和5原則を中國(guó)?ロシア共和國(guó)関係の基礎(chǔ)とすることで合意する。

國(guó)境畫(huà)定問(wèn)題も、舊ソ連を継承したロシアだけでなく、カザフスタン、キルギス、タジキスタンとも交渉しなければならなくなった。その結(jié)果、次々と國(guó)境畫(huà)定條約が結(jié)ばれた。1994年4月26日、中國(guó)?カザフスタン國(guó)境條約、同年9月3日、中ロ西部國(guó)境協(xié)定、1996年7月4日、中國(guó)?キルギス國(guó)境協(xié)定、1999年8月13日、中國(guó)?タジキスタン國(guó)境協(xié)定。

中ロ西部國(guó)境協(xié)定の調(diào)印時(shí)(1994年9月3日)に出された江沢民?エリツィン共同聲明では、武力不行使、とくに核兵器の先制不使用の義務(wù)を負(fù)うことを表明し、雙方が核兵器の照準(zhǔn)を相手から外すことを約した。照準(zhǔn)を外しても、それをもとに戻すことは簡(jiǎn)単だそうだが、中ロが核兵器を擁して、相対峙してきた狀況は去ったのだ。

中國(guó)とロシア?中央アジア諸國(guó)は、國(guó)境畫(huà)定交渉を進(jìn)める過(guò)程で、互いに相手に対する脅威認(rèn)識(shí)を安心へと変化させることを目的とする措置をとることで合意する。こうした措置は信頼醸成措置(CBM)と呼ばれるが、中ロ及び中央アジア諸國(guó)が信頼醸成措置をとることで合意したことを文書(shū)にしたのが、1996年4月26日に調(diào)印された國(guó)境地區(qū)信頼醸成協(xié)定だ(上海で調(diào)印されたことから上海協(xié)定と稱される)。この協(xié)定は、國(guó)境地區(qū)で互いに進(jìn)攻せず、相手に対する軍事演習(xí)を行わず、軍事演習(xí)の規(guī)模、範(fàn)囲、回?cái)?shù)を制限し、また國(guó)境100キロの縦深地區(qū)の重要な軍事行動(dòng)の狀況を相手に通報(bào)し、軍事演習(xí)に相互にオブザーバーを派遣しあって、危険な軍事行動(dòng)を防ぎ、國(guó)境警備隊(duì)の間の友好的な往來(lái)を約していた。

翌1997年4月24日、モスクワで國(guó)境地區(qū)軍事力削減協(xié)定が結(jié)ばれた。その主たる內(nèi)容は、中國(guó)とロシア?カザフスタン?キルギス?タジキスタン雙方が、國(guó)境地區(qū)の軍事力を善隣友好にふさわしい最低水準(zhǔn)にまで削減し、防御的な性質(zhì)のものだけに限定することだった。それに加えて、相互に武力を使用せず、あるいは武力による威嚇をせず、一方的な軍事的優(yōu)勢(shì)を求めず、雙方は國(guó)境地區(qū)に配備した軍事力を互いに進(jìn)攻させず、國(guó)境の両側(cè)それぞれ100キロ縦深に配備した陸軍、空軍、防空軍航空兵力、國(guó)境警備隊(duì)の人員ならびに主要な各種兵器數(shù)量を削減?制限し、保持する最高數(shù)量を確定し、削減方法と期限を確定し、國(guó)境地區(qū)の軍事力に関係する資料を交換し、協(xié)定の執(zhí)行狀況について監(jiān)督することなどを約束していた。

これら5か國(guó)は、「上海5國(guó)」(上海ファイブ)という體制を継続させることを決める?!?國(guó)両方」(中國(guó)対4か國(guó))から、5か國(guó)が対等な立場(chǎng)で協(xié)議する「5國(guó)5方」に変わり、より広範(fàn)な協(xié)力を進(jìn)める方向に変わっていった。

2000年7月5日、タジキスタンの首都ドゥシャンベで第5回上海ファイブ首脳會(huì)議が開(kāi)かれた。この會(huì)議では、地域の安全が主要な議題となり、三悪(民族分裂主義?國(guó)際テロリズム?宗教過(guò)激主義)の危険性が取り上げられた。この會(huì)議で出されたドゥシャンベ聲明は、三悪勢(shì)力が地域の安全と安定と発展にとって主要な脅威である、とみなし、連合して打撃を與える決意を表明している。

上海ファイブの活動(dòng)が活発になると、上海ファイブへの參加を希望する國(guó)が現(xiàn)れた。中國(guó)とは國(guó)境を接していないウズベキスタンである。2001年6月15日、上海ファイブの首脳が、ウズベキスタンの首脳を交えて上海に集まり、6か國(guó)の首脳會(huì)議を開(kāi)き、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の成立宣言と三悪に打撃を與える公約に署名した。

上海協(xié)力機(jī)構(gòu)は中國(guó)語(yǔ)では、上海合作組織である。21世紀(jì)に入って最初にできた地域協(xié)力機(jī)構(gòu)であるが、中國(guó)が積極的に設(shè)立に力を盡くしており、上海という中國(guó)の地名を付けることに、他の國(guó)は、異存はなかった。このとき、発出された宣言は、上海ファイブの設(shè)立と発展は、冷戦終結(jié)後の、人類の平和と発展を求める歴史的潮流に合致していたが、21世紀(jì)、政治多元化、経済と情報(bào)のグローバル化が急速に進(jìn)むなかで、上海ファイブの體制をより高いレベルに引き上げることは、メンバー國(guó)が新たな挑戦と脅威に立ち向かううえで有利である、と指摘している。

新たな上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の趣旨としては、メンバー國(guó)間の相互信頼と善隣友好を強(qiáng)化し、政治、経済貿(mào)易、科學(xué)技術(shù)、文化、教育、エネルギー、交通、環(huán)境保護(hù)などの分野での加盟國(guó)間の有効な協(xié)力を奨勵(lì)し、地域の平和と安全、安定を守り、保障するため共同で努力することをあげている。反テロだけでなく、広範(fàn)囲の協(xié)力をめざす地域協(xié)力機(jī)構(gòu)として発展させていくことを宣言したわけだ。

4.反テロ協(xié)力の推進(jìn)

2001年6月15日、6か國(guó)の首脳が署名した、三悪に打撃を與える公約は、三悪について定義を下している。分裂主義については、國(guó)家領(lǐng)土の保全を破壊することを指す、とし、そのなかには、國(guó)家の領(lǐng)土の一部を分裂させたり、國(guó)家を分割させるため暴力を使う行為、このような活動(dòng)を計(jì)畫(huà)、準(zhǔn)備、共謀、教唆する行為などが含まれる、としている。過(guò)激主義については、暴力を使って政権を奪取したり、政権を掌握したり、國(guó)家の憲法體制を変えたり、あるいは暴力的手段によって公共の安全を侵すことであるとし、そのなかには、このような目的を達(dá)成するため、不法な武裝集団を組織したり、それに參加することも含まれる、としている。これは、メンバー國(guó)が共同で三悪勢(shì)力と戦う際の法的な基礎(chǔ)となるものだった。

アメリカで9?11同時(shí)多発テロ事件が起き、ブッシュ大統(tǒng)領(lǐng)が「これは戦爭(zhēng)だ」と叫ぶ3カ月前、上海に中國(guó)、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの元首が集まり、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)を立ち上げ、反テロ國(guó)際協(xié)力を約した公約に署名していたのだ。

9?11事件の直後、2001年9月1日、カザフスタンのアルマティで上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟國(guó)の首相會(huì)議が開(kāi)かれた。朱鎔基首相は、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の反テロセンターを急ぎ設(shè)立しようと発言している。この會(huì)議は、國(guó)際テロリズムは、人類に対する重大な脅威であるとして、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)はすべての國(guó)家および國(guó)際組織と密接に呼応して、有効な措置をとり、テロリズムが持ち込むグローバルな危険を除去するために非妥協(xié)的な戦いを進(jìn)める、という聲明を出した。

9?11事件の直後、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟國(guó)は相次いでアメリカの反テロ行動(dòng)に支持を表明した。ウズベキスタンなどは自國(guó)內(nèi)に米軍基地を置くのを認(rèn)めた。中國(guó)も2001年10月、アメリカの要求に応じ、90キロの中國(guó)?アフガニスタン國(guó)境を閉鎖し、アフガニスタンにおけるアメリカの軍事行動(dòng)を支持した。アメリカ軍も、アフガニスタンでは「東トルキスタン」テロ組織の基地と訓(xùn)練キャンプをたたき、中國(guó)籍の「東トルキスタン」テロ分子を捕らえ、中國(guó)側(cè)と一緒に尋問(wèn)している。

2002年8月、「東トルキスタン?イスラム運(yùn)動(dòng)」がアメリカの駐キルギス大使館に対するテロを計(jì)畫(huà)しているのが発覚した。アメリカは「東トルキスタン?イスラム運(yùn)動(dòng)」をテロ組織のリストに加えた。同年10月、中國(guó)とキルギスは、テロリスト組織が、國(guó)際テロ組織の支援を受け、暴力テロを引き起こしたという想定で、軍事演習(xí)を行った。これは、中國(guó)が外國(guó)と行った初めての共同軍事演習(xí)であり、そのターゲットは東トルキスタン獨(dú)立を目指すグループであった。

2003年8月には、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟5か國(guó)による反テロ共同軍事演習(xí)が行われている。この演習(xí)はコード?ネーム「連合―2003」と名付けられ、第1段が8月6-8日、カザフスタンの東部國(guó)境地區(qū)で行われた。國(guó)際テロリストが旅客機(jī)を乗っ取って人質(zhì)を取り、カザフスタン上空を侵犯したという想定での演習(xí)であった。第2段は、8月10-12日、新疆のイリ地區(qū)に國(guó)際テロリストが潛入し、武裝拠點(diǎn)をつくり、テロ事件を起こす機(jī)會(huì)をうかがっているという想定であった。中國(guó)軍はこの演習(xí)に降下兵(パラシュート部隊(duì))と人民武裝警察部隊(duì)特殊部隊(duì)を動(dòng)員して、テロリストを制圧した。

その後も反テロ軍事演習(xí)は繰り返されており、2006年に入ると、首都タシケントに反テロ常設(shè)機(jī)構(gòu)が設(shè)置されたウズベキスタンで、3月下旬、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟6か國(guó)がはじめてそろって參加した合同軍事演習(xí)「東方-反テロ2006」が行われた。この演習(xí)は、タシケントの2か所の「重要インフラ」へのテロ攻撃を想定し、特殊部隊(duì)や武裝警官隊(duì)が破壊活動(dòng)の靜止や人質(zhì)救出を目指す作戦を行った。続いて、9月22-23日、タジキスタン南部で、中國(guó)?タジキスタン合同軍事演習(xí)「協(xié)力-2006」が行われた。テロリストが、中國(guó)の支援で建設(shè)中の道路工事現(xiàn)場(chǎng)から両國(guó)民を拉致したとの想定で、空陸から火力を使って包囲し、人質(zhì)を解放するという演習(xí)だった。

5.一輪車(chē)から二輪車(chē)へ――経済貿(mào)易協(xié)力の推進(jìn)

このように、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の活動(dòng)は、反テロ協(xié)力が先行していた。しかし、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)が地域協(xié)力機(jī)構(gòu)として発展していくためには、経済貿(mào)易面での協(xié)力が必要であることは、各國(guó)の指導(dǎo)者は當(dāng)然、気付いていた。

2003年9月23日、北京での上海協(xié)力機(jī)構(gòu)首相會(huì)議で、溫家寶首相は、長(zhǎng)期的地域経済協(xié)力目標(biāo)を定め、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)自由貿(mào)易圏を徐々に建設(shè)することを提案した。2004年5月28日、タシケントでの上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟國(guó)経済?貿(mào)易擔(dān)當(dāng)閣僚の臨時(shí)會(huì)議でも、ウズベキスタンのアジモフ副首相兼経済相が、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)內(nèi)部の経済貿(mào)易協(xié)力の加速は當(dāng)面の急務(wù)であり、共同市場(chǎng)は國(guó)家間の一體化(統(tǒng)合)で最も有効な方法である、と述べていた。もっとも、溫家寶もアジモフも、自由貿(mào)易圏や共同市場(chǎng)の建設(shè)を長(zhǎng)期課題として考えていたのであり、一挙に建設(shè)しようと主張したわけではない。上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟國(guó)は段階を追って経済貿(mào)易関係を強(qiáng)化していくほかないことを認(rèn)識(shí)していた。

2006年6月14日、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)第6回首脳會(huì)議開(kāi)催の前日、同じ上海で上海協(xié)力機(jī)構(gòu)実業(yè)家委員會(huì)が設(shè)立された。この委員會(huì)の任務(wù)は、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の枠內(nèi)での、経済貿(mào)易、銀行貸出、科學(xué)技術(shù)、エネルギー、交通、農(nóng)業(yè)分野の協(xié)力の促進(jìn)であった。中國(guó)と中央アジア諸國(guó)の経済貿(mào)易関係の拡大、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の枠組み內(nèi)での経済貿(mào)易関係の拡大のため、中央アジア側(cè)が最も必要としているのは、やはり資金である。中國(guó)側(cè)はその點(diǎn)を考慮し、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)第6回首脳會(huì)議のコミュニケによれば、中國(guó)は地域協(xié)力の拡大のために9億ドルの信用供與を約束している。

こうして上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の枠組み內(nèi)での経済協(xié)力は、構(gòu)想の段階から、中國(guó)が積極的なイニシアチブをとることにより、実務(wù)的協(xié)力を進(jìn)める段階に進(jìn)んでいった。上海協(xié)力機(jī)構(gòu)は、地域経済協(xié)力が進(jìn)むことにより、反テロ協(xié)力を進(jìn)める一輪車(chē)から、二輪車(chē)になっていった。

この上海協(xié)力機(jī)構(gòu)には多くの國(guó)が関與を希望しており、2004年にはモンゴルが、2005年にはインド、パキスタン、イランがオブザーバーの資格を得た。このうち、インド、パキスタンについては、2015年7月、ロシアのウファでの上海協(xié)力機(jī)構(gòu)の會(huì)議で、正式加盟が認(rèn)められた。2015年には、アルメニア、アゼルバイジャン、スリランカ、ネパールが対話パートナーとなり、ベラルーシは対話パートナーからオブザーバーに昇格した。

6.國(guó)際協(xié)力のプラットフォームに

「一帯一路」構(gòu)想は、長(zhǎng)年にわたる中ソ対決を乗り越え、中國(guó)から中央アジアに至る地域の平和と安定を?qū)g現(xiàn)し、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)という地域協(xié)力機(jī)構(gòu)をつくり、経済貿(mào)易関係を発展させ、この地域の平和と発展をめざし、さらに中國(guó)とロシア?中央アジア諸國(guó)の地域協(xié)力機(jī)構(gòu)から、周辺諸國(guó)をメンバーに加えた、大きな広がりを持った機(jī)構(gòu)に成長(zhǎng)していくなかで、提唱されたのである。

今や中國(guó)が「一帯一路」構(gòu)想の対象とする地域はユーラシアに限らない。2017年5月、第1回「一帯一路」國(guó)際協(xié)力サミットフォーラムで、習(xí)近平は、「『一帯一路』建設(shè)は、シルクロードの歴史的土壌に根ざし、ユーラシア、アフリカ大陸に重點(diǎn)的に目を向け、同時(shí)にすべての友人に開(kāi)放する。アジア、歐州は勿論、アフリカ、米州もみな『一帯一路』建設(shè)の國(guó)際協(xié)力パートナーである」と述べた。中國(guó)は「一帯一路」を、國(guó)際協(xié)力のプラットフォームであり、國(guó)際公共財(cái)である、と主張している。

今年は有効期限20年の中ロ善隣友好協(xié)力條約締結(jié)20周年にあたる。6月28日、両國(guó)は同條約の期限を延長(zhǎng)するにあたり、共同聲明を出した。同聲明は。両國(guó)元首は、「一帯一路」の提案と「大ユーラシア?パートナーシップ」についての共通の認(rèn)識(shí)を発展させていく、としたうえで、「一帯一路」建設(shè)とユーラシア経済同盟を結(jié)び付けることは、ユーラシア全體の経済の持続的、安定的成長(zhǎng)を確保し、地域経済の一體化を強(qiáng)化し、地域の平和と発展を維持するのに重要な意義を有する、と指摘していた。

ユーラシア経済同盟とは、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンが設(shè)立した経済同盟で、2014年5月29日、カザフスタンの首都アスタナで、創(chuàng)設(shè)條約に調(diào)印している。従って習(xí)近平はその直後に、シルクロード経済ベルトとユーラシア経済同盟を結(jié)び付けることに賛同していたのだ。その後、アルメニアとキルギスが加盟し、モルドバがオブザーバーとして加わった。正式発足は2015年1月。この組織は、商品、サービス、資本、労働力などの自由化を目指していた。

2016年6月、プーチンは、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)加盟國(guó)とユーラシア経済同盟のメンバーを合わせて「大ユーラシア?パートナーシップ」を構(gòu)築するという構(gòu)想を明らかにしている?!复螗姗`ラシア?パートナーシップ」構(gòu)築は2019年6月の中ロ共同聲明にも記されており、今回の共同聲明にも記された。ただ、ロシアの提唱するユーラシア経済同盟は、ヨーロッパ連合(EU)のような組織となることを目指しているのだろうが、メンバー國(guó)も増えず、活発な活動(dòng)をしているとも思われない?!敢粠∫宦贰菇ㄔO(shè)とユーラシア経済同盟を結(jié)び付けることはそう簡(jiǎn)単ではない、と思われる。(主筆?八牧浩行

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