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メディアは恒大の経営危機で持ち切りだが、広東省にはもう一つ恒大と並ぶ「碧桂園」という巨大不動産企業(yè)がある。しかし、こちらはほぼ無風(fēng)狀態(tài)だ。明暗を分けたものは何っだったのだろうか。寫真は深セン。
メディアは恒大の経営危機で持ち切りだが、広東省にはもう一つ恒大と並ぶ「碧桂園」という巨大不動産企業(yè)がある。しかし、こちらはほぼ無風(fēng)狀態(tài)だ。明暗を分けたものは何っだったのだろうか。
■恒大と碧桂園
「2020年中國房地産(不動産)企業(yè)販売量ランキング」によれば、1位は碧桂園で8613萬平米、2位は恒大で7774萬平米となっている。
また中國長者番付でも、碧桂園の創(chuàng)業(yè)家、楊惠妍家族と、恒大の創(chuàng)業(yè)者、許家印は上位の常連だ。特に許家印はここ5年、アリババの馬雲(yún)、テンセントの馬化騰とトップ爭いを繰り広げていた。
2015~16年は、大連萬林の王健林が長者番付のトップに立った。しかし大連萬林は、海外投資の過剰がたたる。2017年、人民元下落を嫌う當局の融資制限を受け、急失速した。許家印は、その王健林を継ぐ存在だった。
恒大と碧桂園は2017年以降、中國不動産業(yè)界の2トップに立っている。いずれも広東省の創(chuàng)業(yè)企業(yè)で、表面上もよく似ている。しかし、財務(wù)內(nèi)容には大きな差があった。昨年9月、當局は3つのレッドライン(基準)を設(shè)定し、不動産融資の抑制にかかった。その後2021年5月、「焦點研究院」などのレポートによる両者の指標は以下の通り。
基準1 総資産に対する負債比率70%以下…恒大81.0%、碧桂園78.5%
基準2 自己資本に対する負債比率100%以下…恒大118.0%、碧桂園56.3%
基準3 現(xiàn)金に対する短期負債の比率1以上…恒大0.36、碧桂園1.93
恒大は0勝3敗、碧桂園は2勝1敗と大差が付いている。
■碧桂園…楊國強
碧桂園の創(chuàng)業(yè)者、楊國強は1955年、広東省佛山市順徳區(qū)に生まれた。貧しい農(nóng)民で、17歳まで靴も履けなかったという。地方政府の學(xué)費免除と奨學(xué)金により、何とか學(xué)業(yè)を続けられた。1978年、住宅管理事務(wù)所の建設(shè)作業(yè)員に採用された。よほど優(yōu)秀だったらしく、數(shù)年後には「北滘建築工程公司」の経営陣に加わる。そして1980年には建築請負業(yè)を始めた。
1982年、地元の不動産開発のため、同社を中心に「順徳三禾物業(yè)発展有限公司」が設(shè)立された。楊國強は開発プロジェクトの総指揮をとった。これが後の碧桂園となる。
1995年、物件管理にホテル式サービスを?qū)毪筏?。このサービスは評判を呼び、多くの香港人富裕層が碧桂園の物件を購入した。2007年に香港市場へ上場、2008年には全國展開を開始した。2009年、リーマンショック後の経済対策で不動産価格は急上昇、碧桂園はこの年を「品質(zhì)の年」「第二次創(chuàng)業(yè)」と定め、研究開発に注力する。
2011年、マレーシア進出。2012年、パートナー制度を?qū)毪贰⑸鐔Tの士気を高めた。2013年、オーストラリア進出。2015年、中國平安が第2位の株主になり、提攜を強化した。2019年、農(nóng)業(yè)とロボット産業(yè)へ進出。
楊の経歴は、建設(shè)作業(yè)員、請負業(yè)者、開発業(yè)者など不動産業(yè)の全てを経験、初期には土地の取得、企畫?設(shè)計、建設(shè)、物件管理まで自分で行った。その後、成長に伴い有力なパートナーが現(xiàn)れ、碧桂園の発展をサポートした。楊は個人資産をさっさと次女の楊恵妍に譲った。取材を嫌い、本社は順徳から動かそうとしない。個人的には貧困対策に注力し、特に學(xué)校設(shè)立、奨學(xué)金には熱心だ。
■恒大…許家印
恒大の創(chuàng)業(yè)者、許家印は1958年、河南省周口市に生まれた。翌年、母親が病死し、祖母の影響下で育つ。高校卒業(yè)後1975年から2年間、農(nóng)村で働いた。すると1977年、第1回の全國統(tǒng)一大學(xué)入試「高考」が始まり、翌1978年、武漢鋼鉄學(xué)院冶金系に入學(xué)できた。卒業(yè)後は、國家により、河南舞陽鋼鉄公司へ配分され、熱処理ラインを擔(dān)當した。やがて主任に昇進、政府表彰を受けるなど、実力を付けていく。しかし1992年、工場の廃棄物売卻が監(jiān)査の対象となってしまい、これに嫌気がさし、退社を決意した。
1992年、広東省へ移り、深セン中達集団に就職した。1994年、中達集団は広州に子會社を設(shè)立、不動産業(yè)へ進出した。そして初の不動産開発事業(yè)で2億元もの利益を上げた。それを目の當たりにした許は1996年、再び退社を決意、自ら「恒大集団」を立ち上げた。翌1997年はアジア金融危機だったが、恒大は機先を制し、環(huán)境配慮、規(guī)模+ブランド重視の戦略で、どんどん開発を進めた。3年間、懸命に働いた結(jié)果、1999年には広州市不動産企業(yè)トップ10入りを果たす。
2009年、香港市場へ上場。2010年、広州サッカークラブを買収。2012年、恒大サッカースクールを開校。2014年、同校スペイン支部開設(shè)。2018年、電気自動車製造へ進出。やはり慈善事業(yè)に熱心で、貧困地區(qū)に多額の寄付を行っている。
■明暗を分けたもの
表舞臺に出たがらない楊國強、出たがりの許家印の差はあっても、どちらも貧困家庭からのし上がった立志伝中の人物という點でよく似ている。
それがここへきて、はっきり明暗が分かれた。恒大が世界中からたたかれまくっているのに対し、碧桂園はほとんど何も聞こえてこない。數(shù)少ないニュースの1つは、ロボット事業(yè)の今後だった。中國は建設(shè)市場が國內(nèi)総生産の26%もある。しかし、就業(yè)者の高齢化とDX化では遅れが目立つ。碧桂園の産業(yè)進出はこのソリューションのためという。
一方、恒大の電気自動車進出は、市場が拡大中で借金しやすいという理由が透けてみえる。どうも純粋性が違うようだ。やはり、創(chuàng)業(yè)者の個性が両者の明暗を分ける決定打だったと言えそうだ。
■筆者プロフィール:高野悠介
1956年生まれ、早稲田大學(xué)教育學(xué)部卒。ユニー株(現(xiàn)パンパシフィック)青島事務(wù)所長、上海事務(wù)所長を歴任、中國貿(mào)易の経験は四半世紀以上。現(xiàn)在は中國人妻と愛知県駐在。最先端のOMO、共同購入、ライブEコマースなど、中國最新のB2Cビジネスと中國人家族について、ディ-プな情報を提供。著書:2001年「繊維王國上?!箹|京図書出版會、2004年「新?繊維王國青島」東京図書出版會、2007年「中國の人々の中で」新風(fēng)舎、2014年「中國の一族の中で」Amazon Kindle。
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