ボイラー設(shè)置技師から甲冑師へ、趣味が高じて古代の鎧を復(fù)元し続ける男性―中國

人民網(wǎng)日本語版    2021年10月26日(火) 21時(shí)40分

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浙江省海寧市にある「煉鎧堂」という名の鍛冶屋のようなムード漂うアトリエに入ると、鎧兜や剣、鞍などが、部屋いっぱいに並んでおり、歴史ドラマの世界に飛び込んだような気分になる。

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浙江省海寧市にある「煉鎧堂」という名の鍛冶屋のようなムード漂うアトリエに入ると、鎧兜や剣、鞍などが、部屋いっぱいに並んでおり、歴史ドラマの世界に飛び込んだような気分になる。中國新聞社が伝えた。

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この10年ほどの間に、アトリエのオーナーである溫陳華さんは、中國の古代の鎧數(shù)千著を自分の手で復(fù)元してきた。溫さんはもともとはボイラーを設(shè)置する仕事をしていたものの、趣味が高じて鎧を製作する道のプロに転身し、業(yè)界でも指折りの技術(shù)を武器に、SNSのフォロワーは100萬人以上を抱えるようになっている。

「鎧を作ることで、ありきたりの人生を送っているとは感じなくなった」と溫さん。

溫さんは、1970年代に四川省內(nèi)江市のごく普通の家に生まれ、子供の頃は「三國志演義」や「岳飛伝」などの絵本が大好きだったという。中専(専門學(xué)校に相當(dāng))を卒業(yè)後、溫さんはボイラーを設(shè)置する仕事を始めた。そして、暇ができると、トランプや麻雀に興じる同僚たちとは異なり、図書館に行って、鎧に関する様々な資料を読み漁っていたという。

「甲胄は単なる防具ではなく、古代の職人の知恵の結(jié)晶と言える。中國の文明は輝かしく、鎧を復(fù)元することで、中國の文化を良い形でPRできると思う」と話す溫さんは、「歴史上実在した鎧に可能な限り近づけて復(fù)元する」という信念を貫いている。

溫さんによると、鎧は重要な軍事資源であるため、代々の王朝が引き継いだ実物は非常に少なく、実在した鎧を製作するためには、古書の記載や現(xiàn)存する壁畫、彫刻像などを參考にして復(fù)元するしかない。そのため、溫さんは中國各地の博物館や寺を渡り歩いてきた。そしてどこを訪れた場合でも必ず10日から15日間ほど滯在して、彫刻像の鎧を模寫してきた。

2008年、溫さんは宋代の鎧を手始めに復(fù)元に取り掛かった。少しでも実在した鎧に近づけるため、そのデザインから材料、さらに爪の大きさほどの小さな甲片に至るまで、膨大な量の史料を參考にしたほか、上海市や浙江省などの大學(xué)の専門家にも教えを請(qǐng)いたという。

「プロトタイプ鎧」を製作した後、溫さんは、鎧を自ら実際に裝著してみて、「攻撃に耐えられるか」を?qū)g験するという。鎧は防具なので、作った鎧が命を守ることができないなら、花瓶と変わらない」と溫さん。

100回以上の失敗を重ね、約3年にもわたる試行錯(cuò)誤を経て、溫さんは2010年についに1著目となる鎧を完成させた。それをネットに投稿したところ、鎧マニアの間でたちまち注目を集め、なかには8萬元(約144萬円)で買い取りたいという人まで現(xiàn)れたほどだった。

溫さんは現(xiàn)在、業(yè)界內(nèi)では知らぬ人はいないほどの有名人で、ドラマ「長安十二時(shí)辰(The Longest Day in Chang'an)」を始めとするドラマや映畫の制作者からも鎧のオーダーメイドの依頼が入るようになっている。そして近年、漢服文化が流行するにつれて、溫さんが製作した鎧も、「漢服ファッションショー」における「オートクチュール」となり、業(yè)界の垣根を超えて大きな話題となり、中國國內(nèi)外のSNSの検索トレンド入りを果たしている。溫さんは、「昨年、僕が経営する鎧のショップの売上高は年間600萬元(約1億800萬円)を超えた。海外からの注文も多く、こうした業(yè)績にとても驚いているし、嬉しく思う」と語る。

溫さんは、「以前は、自分はありきたりの人生を送っていたため、人生の意義について他の人と話す気にはなれなかった。でも、今は、僕にも存在の価値があると、自信を持って言える」とした。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)

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