Record China 2014年5月26日(月) 16時0分
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25日、臺灣激動の30年を描く映畫「GF*BF」のヤン?ヤーチェ監(jiān)督の公式インタビューがこのほど屆いた。男女3人の愛と葛藤を軸に、戒厳令解除から現(xiàn)在に至る臺灣社會の変化を映し出した作品だ。
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2014年5月25日、臺灣激動の30年を描く映畫「GF*BF」(6月7日公開)のヤン?ヤーチェ(楊雅[吉吉])監(jiān)督の公式インタビューが屆いた。男女3人の愛と葛藤を軸に、戒厳令解除から現(xiàn)在に至る臺灣社會の変化を映し出した作品だ。
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映畫は民主化前夜、1990年に起きた學生運動「野百合學運」も取り上げている。臺灣では今年3月、中國とのサービス貿(mào)易協(xié)定締結(jié)に反対し、大學生らが立法院(日本の國會に相當)を20日以上にわたって占拠したばかり?,F(xiàn)場にしばしば赴き、上映會も開いたというヤン監(jiān)督は「今の情熱、街で闘爭に參加した理由を記憶にとどめてほしい。そうすれば臺灣はさらによくなっていく」と語った。
――主演3人への特別な演出方法はありましたか。
3人はそれぞれ異なる演技の訓練を受けてきました。そのため演技スタイルが違います。もし彼らの好きなように演技させていたら、作品の中で調(diào)和が取れなかったでしょう。リディアン?ヴォーン(鳳小岳)はほかの二人と違い、英國で演技の勉強をしました。英國の演技訓練は非常に綿密なものです。グイ?ルンメイ(桂綸[金美])は內(nèi)向的な性格ですが、演技は外向的だといえます。ジョセフ?チャン(張孝全)ももともと內(nèi)向的ですが、演じてきた役柄によってさらにその傾向が強まったようです。
最初に稽古した時に3人の違いを感じて、いいアイデアを思いつきました。(撮影の)初期に重要なシーンを撮る予定でしたが、彼らには最終版の腳本を渡さなかったのです。役者たちから個別に意見を聞いて、それぞれの意見を他の役者には伝えず、話し合った內(nèi)容に基づいて腳本に手を加えました。わざと最終版に反映させないで、撮影當日までシーンの最終稿を知っているのは一人だけ、ということもたびたびありました。そうすることで撮影がより楽しくなり、役者たちは心を開いて相手の反応を理解しようとするため、表現(xiàn)にばかりにこだわって自分の役を解釈することがなくなりました。すべての役者が相手の演技を目で見て感じ、正直でリアルな反応をするようになったのです。
多くのシーンをこの方法で撮影しました。たとえばリディアン?ヴォーンが高校時代、グイ?ルンメイを見つめながらダンスするシーンがあります。グイ?ルンメイは彼がダンスをすることをまったく知りませんでした。また大學時代、彼らは別れることになるのですが、グイ?ルンメイはジョセフ?チャンの手に彼女の役名を書き、さらに(ジョセフ?チャンが演じた)陳忠良の名前を書きます。実はジョセフ?チャンは撮影前、グイ?ルンメイが自分の手に何を書くのか知りませんでした。撮影の段階になって、ようやく(グイ?ルンメイが演じた)林美寶と陳忠良の名前だと分かります。これはジョセフ?チャンにとても大きな驚きと感動をもたらしました。この驚きと感動こそが、真実の描寫につながりました。これは「GF*BF」を撮影する時に、私がよく用いた手法でした。
――実際に起きた出來事、事件を作品に取り入れるのはなぜですか。
私は?!g際の文化や時空を背景とするストーリーでなければ、感情や力強さに欠けると思っています。だからこそ文化的背景をリアルに描くことが非常に重要です。私が意図したことは、臺灣のこの30年の社會変化を背景に、人々の感情のストーリーを展開することでした。この映畫の物語は約30年にわたります。30年間の感情の変化は、臺灣の人たちの世界観や感情の表し方と密接な関係があります。保守的な時代から混沌とした90年代に入ると、感情のとらえ方に変化が生まれました。今、私たちは愛情、感情、友情に対して少しずつ寛容になり、理解を示すようになってきました。
その変化はこの映畫にとって、非常に重要な要素です。3人の間の感情の変化についていえば、無知で無分別な少年時代から、大學時代、青年時代にはやや激しい感情へと移り変わり、最後には皆が互いの感情に理解を示し、寛容になっていきます。こうした流れはとても重要だと思います。私はその流れを表現(xiàn)するため、実際の歴史的事件を映畫で取り上げることにしたのです。臺灣における30年の変化は、まさに私たちの感情表現(xiàn)の変化だと言えます。
――劇中の音楽について教えて下さい。
音楽はすべてジョン?シンミン(鍾興民)さんにお願いしました。彼は臺灣ポップスにおいてとても重要な編曲家で、彼が編曲した曲は(臺灣の音楽賞)金曲奨を數(shù)多く受賞しています。私のデビュー作も彼に音楽をお願いしました。2作目ですから互いに理解しています。私たちは「映畫音楽という形式にとらわれず、文化を表現(xiàn)したい」と話しました。
臺灣獨特の文化を背景にしている映畫なので、挿入歌には北京語の曲や臺灣語の曲、さらには日本の歌も使っています。多様な音楽を選んだのは、臺灣が文化の混ざり合った場所だからです。日本の植民地だった時代もあり、中華圏でありながらかなり西洋化されていて、音楽のスタイルも西洋的です。臺灣語を話しますが北京語の歌も聴きます。だから臺灣はほかの華人コミュニティーとは少し違い、さまざまな文化や伝統(tǒng)が混ざっていることを、言葉で説明するのではなく、音楽を通じて感じてもらいたいと思いました。
主人公の成長段階――高校、大學、大人になってからと分類し、それぞれの時期の人物の気持ちに合わせて選曲しました。高校時代は荒削り。若さを感じるガレージロック調(diào)のもの。時代は1980年代ですが、現(xiàn)代らしさを感じられる、少し荒っぽい感じのロックです。大學時代はクールで少し冷めた感じの曲。ストーリーに合わせてのことです。大人になってからは、逆に敘情的なものを選びました。
ジョンさんはとても面白い人で、音楽のイメージを語る時、私たち一般人よりも深遠で哲學的な言葉を使います。たとえば「苦海女神龍」の作業(yè)をした時のことです。私たちが選曲した後、ジョンさんが編曲したのですが、彼は映像を見て「この歌は青色にしないとね」と言いました?!袱嗓ΔいΔ长趣扦工??」と尋ねると、彼は「プールサイドにグイ?ルンメイが座り、プールの水が青色。そばにいる人が『苦海女神龍』を歌うと、まるで漂流しているような感覚だ」と言うのです。
昔、おそらく50年くらい前に日本で作られた曲ですが、彼は米國のロードムービーで用いられるようなギターだけの伴奏にしたのです。日本の歌を米國のギタリストが演奏し、臺灣の伝統(tǒng)蕓能である歌仔戲(臺灣オペラ)の女性シンガーが歌うことで、歌が持つ味わいをまったく新しいものに変えてしまいました。録音したばかりの曲を聴いてみると、確かにジョンさんが言った通り、青色のイメージでした。
――ご自身が學生運動に參加したことはありますか。
私は學生時代、あまり先生の言うことを聞かない生徒でした。私が學校に通っていた頃、臺灣には戒厳令が敷かれていました。臺灣社會が自由を得るため、変化しようとしている様子を見てきました。でも私自身が學生運動に參加した経験は、さほど多くありません。中心になって參加するのではなく、傍らで見ているタイプ。壇上で話すようなことはありませんでした。
後に社會に出て、仕事を始めてから少しずつさまざまな意見に觸れ、(社會運動に)參加する回數(shù)が増え、支援するだけでなく自ら聲を上げ、人々に呼びかけるようになりました。ただ、私自身は運動そのものには比較的冷靜に取り組んでいて、すべての情熱を注ぎ込むことはありませんでした。これは戀愛にも當てはまります。自分のすべてを注ぎ込んだものの、後になって後悔したり、信じていたものが実は違っていた、と気づくかもしれないでしょう?やはり私には、冷めたところがあるのだと思います。
――「ひまわり學生運動」についてどう思われますか。
映畫が公開されてから、こんなに早く再び學生運動が起きるとは思ってもいませんでした。撮る前に社會にストレスが大きくなってきているとは感じていました。學生運動に限らず、何か闘爭が増えるのではないか、と懸念していたのです。ひまわり學生運動が起きた20日間余り、私もしばしば現(xiàn)場へ行って映畫を上映したり、學生や市民と話しました。上映活動を通じていろいろな人と出會い、あの場所で起きたことを目の當たりにしました。実際の人生は芝居よりもすごいし、芝居は実際の人生を映し出す鏡のようだと思いました。
たとえば、ある女子學生が學生運動の現(xiàn)場で電話をしながら泣いていました?!弗堠`イフレンドに二股をかけられた」とケンカしていたのです。その姿を見た時、彼女の境遇は林美寶とまったく同じだと感じました。林美寶が沈黙を選んだのに対し、彼女は大聲で口論することを選んだわけです。また、ゲイ向けの出會い系アプリで「ある警官が自分との出會いを求めていると知った」という男子學生もいました。実に面白いと思いました。
今回の學生運動に參加した人々が、この映畫のように當初の志を忘れてしまわないよう願っています。今の情熱、街で闘爭に參加した理由を記憶にとどめておいてほしい。そうすることで、臺灣はさらによくなっていくに違いないと思うからです。
――影響を受けた映畫監(jiān)督は誰でしょう。
その時によって回答は違ってきます。質(zhì)問を聞いて私が思い出したのは國際的な大監(jiān)督ではなく、最初に一緒に仕事をしたイー?ツーイェン(易智言)監(jiān)督でした。グイ?ルンメイのデビュー映畫「藍色夏戀」(02)の監(jiān)督です。彼との付き合いは長く、もう10年以上。彼が頭に浮かんだ理由は、グイ?ルンメイが出ているからです。
私はあまり専門的な訓練を受けたことがありません。映畫の見方もほかの監(jiān)督とは違っていて、たいていただ鑑賞しているような感じ。作品を深く分析することもありません。イー?ツーイェン監(jiān)督からは、撮影技術(shù)だけではなく、映畫を製作する姿勢、仕事に対する姿勢、慎重で真摯な態(tài)度など、たくさんのことを教わりました。監(jiān)督はとても大きな責任を負っている、ということも。
彼とよくお酒を飲みに出かけました。カラオケも好きで、特に「自在」という曲を好んで歌っていました。彼から受けた影響の中で特に大きなものは「映畫を撮る時は自在であれ」というアドバイスです。「厳格と自在の間でバランスが取れるように」と。映畫の撮影や創(chuàng)作活動を行う時、自分が自在でリラックスしていれば、できあがった作品は形にしばられることなく、ロマンチックな雰囲気を醸すものとなります。それでこそ創(chuàng)作であり、本當の自在だというのです。仕事に対する姿勢という點で、イー?ツーイェン監(jiān)督からは多くの影響を受けました。
――監(jiān)督にとって家族とは。
家族は面白い団體です。まず愛を育み、家庭を作り、その後に子供が生まれることもあります。家庭を作ることは、単に血縁関係を作ることではありません。血がつながりにかかわらず、多くの場合は友情をベースにしたパートナーを作ることなのです。家庭は絶えず変化する概念であり、特に臺灣人においてその傾向は顕著です。私にとって家族という概念は、伝統(tǒng)的な一夫一婦のみではありません。では、夫婦以外ではどんな人たちが家庭を作ることができるのでしょうか。
臺灣では多くの人が、多様な家族像を主張しています。同性愛者であれ、異性愛者であれ、また愛情で結(jié)ばれていなくても家族を作ることができます。私なりの言葉で表現(xiàn)するならば、すべての感情の合體なのです。他人だった個々の人間が2人、3人、4人と集まって一つの家族を作る。家庭を築くにはきっとさまざまな出來事が起き、苦労を伴うこともあるでしょう。友情が発展して家庭を作ったり、パートナーとして家族になったりすることもあるかもしれません。
だから家族は私にとって、人生で最も不思議な団體なのです。まず何らかの感情…それは愛とは限りませんが、互いの感情が結(jié)びついて、別の人、別のグループと同じ屋根の下で暮らそうと望むからです。同じ屋根の下に暮らし、互いの気持ちや生活の細々したことを共有する。だから家族は感情を集めた一つの団體といえるのです。昔の臺灣における家庭は、そこから逃げ出したいけれど、捨てられない場所でもありました。これからの家庭は愛があって、家族が一緒に過ごす場所になるでしょう。
――臺灣での公開時、マスコミや観客から受けた印象的な反応を教えて下さい。
上映期間中、監(jiān)督は映畫館へ行って座談會やサイン會を行います。ある日の遅い回でのことです。一人の観客がサインを求めてきたのですが、ひと言も言葉を発することなく、私に「ありがとう」と書いたメモを差し出してきました。背が高く、ハンサムな男子學生でした。彼が泣いているように見えたので、私は言葉を交わしませんでした。メモを見た時、彼が何に禮を言っているのか分からなかったのですが、あの時泣きながら映畫館を出て行った観客は、おそらく映畫の中に自分の姿を見つけたのだと思います。映畫は鏡のように、見る人の人生を映し出しますからね。
臺灣の観客であればきっと、陳忠良の言葉に反応するのではないでしょうか。彼はスーパーマーケットに行った時、林美寶に言います?!哥Rを見たんだ。慘めな顔だった」(=原語の「裡外不是人」は「內(nèi)からも外からも人でなし(と憎まれる)」という慣用句。何かしてあげても、誰も満足してくれない時などに使う)と。つまり精神的に耐えられない狀態(tài)でした。
若い男女が反応するだけでなく、50歳くらいの男性も映畫を見た後、黙ったまま私の手を握りしめ、「登場人物の気持ちがよく分かる」と言ってくれました。これはとても印象深い出來事でした。この映畫は、確かに多くの人たちの心の中にある、一種のやりきれない気持ちを映し出しています。人は皆、心に何らかの弱さを持っているものです。
もう一つ印象深いことと言えば「ひまわり學生運動」です?,F(xiàn)場に行って初めて分かったのですが、多くの學生がこの映畫を見て學生運動に參加したようです。かといって、この作品が偉大な力を持っているわけではありません。彼らの心の中には社會に対する熱い思いがあったのに、それを表に出す機會がなかっただけなのです。私は映畫に描かれた時代が観客を感動させ、街に繰り出させることになるとは思ってもいませんでした。また映畫を見たという學生は、私に「もうすぐ卒業(yè)するのですが、自分も(リディアン?ヴォーン演じた)王心仁のようになってしまうのではないか、と心配です」と語っていました。
――最後に日本の観客にメッセージをお願いします。
この映畫のとても重要なテーマは、すべての人が自由を求めること、自分の感情と心を自由にすることです。私は臺灣の學生運動の歴史に関する書籍以外に、日本の安保闘爭時代の小説を何冊も読みました。村上春樹や村上龍など、多くの日本の作家が學生運動の様子を描いています。闘爭のテーマは臺灣とは違いますが、日本の小説で描かれた學生運動と青春群像は、隨分前の時代のことではありますが、私に大きな啓発を與えてくれました。
「GF*BF」が描くのは単なる一つの事件ではありません。私は「青春の解釈」という點で、日本の小説に大きく影響されました。この映畫をご覧になった皆さんには、日本の小説が私に與えた影響を感じてもらえるのではないでしょうか。日本では長い間、大きな運動が起きていません。社會に対して冷ややかになり、政治に失望しているため、社會問題に無関心になったからだとされています。観客の皆さんには、この映畫からパワーを得て、自分の心や人生が本當に自由なのか、見つめ直してほしい。皆さんの心や愛が自由になるよう願っています。(文/遠海安)
「GF*BF」(2012年、臺灣、原題:女朋友。男朋友)
監(jiān)督:ヤン?ヤーチェ
出演:グイ?ルンメイ(桂綸[金美])、ジョセフ?チャン(張孝全)、リディアン?ヴォーン(鳳小岳)
作品寫真:(c)2012 Atom Cinema Co.,Ltd.,Ocean Deep Films,Central Motion Picture Corporation,Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.
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