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中國國家文物局は14日、考古學(xué)者が西安市東郊外の灞橋區(qū)江村で、前漢の時代の大規(guī)模な古墳を発見したことを発表した。
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前漢の第3代皇帝?漢文帝劉恒(紀(jì)元前203‐紀(jì)元前157年)は、漢武大帝?劉徹の祖父に當(dāng)たり、政務(wù)に勤勉で、つつましく、親孝行だったことで有名だ。中國國家文物局は14日、考古學(xué)者が西安市東郊外の灞橋區(qū)江村で、前漢の時代の大規(guī)模な古墳を発見したことを発表した。被葬者の身分が確認(rèn)される前から、その古墳は「江村大墓」と呼ばれていたという。継続的な調(diào)査や古墳周辺の一部の外蔵坑における緊急発掘調(diào)査の結(jié)果、被葬者は漢文帝とほぼ確定した。
【その他の寫真】
極めて規(guī)模の大きい帝陵である同古墳の面積は5256平方メートルで、深さは約30メートル。秦漢の時代の最高貴族が使用していた「亞」形の構(gòu)造で、墓室の周囲から外蔵坑110基以上が発見された?,F(xiàn)在すでに発掘された外蔵坑8基からは、陶俑、銅印、銅車馬器、鉄器、陶磁器といった文化財1500點以上が出土した。銅印には「車府」「器府」「中騎千人」「府印」「倉印」「中司空印」といった文字が刻まれており、江村大墓の周囲の外蔵坑は、現(xiàn)世における官庁や政府が文書や財物を保管する「府庫」を模倣していると考えられている。江村大墓の形や構(gòu)造、規(guī)模はいずれも前漢の時代の最高ランクの古墳の規(guī)格にマッチしているほか、周辺に分布している竇皇后陵(北東約800メートル)、薄太后陵(南西約2000メートル)などと合わせて検討した結(jié)果、専門家は漢文帝の帝陵「霸陵」とほぼ結(jié)論付けている。
今回の考古學(xué)発掘作業(yè)により、漢文帝の帝陵の正確な位置が確定した。雙重陵園や帝陵居中、外蔵坑に囲まれている構(gòu)造は、漢高祖長陵、漢恵帝安陵とは明らかな違いがあり、前漢の中?後期の帝王の陵墓制度の基礎(chǔ)を固めており、中國の古代帝王の陵墓制度の研究において極めて重要な意義があるとみられている。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)
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