潘 岳 2021年12月23日(木) 18時40分
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今日、東洋と西洋は再び相互理解の岐路に立っている。古代ギリシャの神殿建築などの遺跡は、西洋社會の精神的なふるさとだ。(寫真提供:潘岳)
似通った歴史的狀況で異なる結(jié)果
今日、東洋と西洋は再び相互理解の岐路に立っている。
現(xiàn)代文明の中には古代文明の精神的な遺伝子が含まれている。歐米と古代ギリシャ?ローマ文明、イスラム世界とアラブ文明、イランとペルシャ文明、ロシアと東方正教會文明、イスラエルとユダヤ文明、東アジア國家と中華文明のように、さまざまな関係がさまざまな遺伝子をつなぎ合わせ、さまざまな道に変化してきた。
現(xiàn)代の歐米文明は自分たちの政治秩序について、古代ギリシャ?ローマ文明、キリスト教文明、工業(yè)文明のエッセンスを一體化させたものだと考えている。このうち最大の源は古代ギリシャ文明だ。一方、中日韓を代表とする東アジア文明は中華文明の遺産の上に打ち立てられている。中華文明の強(qiáng)固な形態(tài)は秦?漢で確立し、変化の鍵は戦國時代にあった。
紀(jì)元前5~前3世紀(jì)、中國の戦國時代と古代ギリシャは似通った歴史的狀況に直面していた。共に內(nèi)部で甚だしい戦亂に陥り、戦亂の中で統(tǒng)一の動きが現(xiàn)れた。また、統(tǒng)一運(yùn)動の積極的な勢力は共に中心的國家ではなく、軍事的に強(qiáng)大な周辺國だった。多くの知識人が統(tǒng)一運(yùn)動のために奔走し、大量の哲學(xué)、政治、道徳の命題を提起した。
しかし、統(tǒng)一運(yùn)動の結(jié)果は異なっていた。ギリシャではアレクサンドロス大王の帝國が成立し、わずか7年で分裂した。その後、3大後継者が王國內(nèi)で100年間爭い、一つずつローマにのみ込まれた。一方、中國の戦國時代は「大一統(tǒng)」の秦王朝を形成した。14年後に崩壊したが、すぐにまた大一統(tǒng)の漢王朝が興った。秦漢の制度は歴代王朝に受け継がれ、2000年余り続いた。
似通った歴史的條件の下で異なる結(jié)果が現(xiàn)れたのは、文明の本質(zhì)的な性質(zhì)が異なっていたからだ。
「天下」全體にこだわる中國
湖北省雲(yún)夢県で1975年12月、秦代の法律を記した竹簡群「睡虎地秦簡」が出土した。法家の竹簡の山からは意外にも儒家精神のあふれた官吏養(yǎng)成教材「為吏之道」が見つかった?!笇埶驻摔筏浦倚拧⒒谶^して重ぬることなく、和平にして怨みなく、下を慈みて陵すことなかれ。上を敬して犯すことなく、諌を聴きて塞ぐことなかれ」。これは決して特別な例ではない。王家臺秦簡、岳麓書院蔵秦簡、北京大學(xué)蔵秦簡にも似通った文言があり、秦朝後期にはもう完全に儒家を排斥していなかったことを示している。
秦國だけでなく、ほかの六國も同様だった。秦國に限られていたと一般的に考えられている法家制度と丁寧な農(nóng)業(yè)は、実際には魏國の発明だった。自由でまとまりがなかったと一般的に考えられている楚國は、秦國より早く「県制度」を?qū)g行していた。商業(yè)が発達(dá)していたと一般的に考えられている斉國は、その宰相?管仲の著書と伝えられる『管子』の中に秦と似通った「保甲〔行政の末端組織〕の連座」の要素も含んでいた。
儒家と法家を織り交ぜ、刑罰と徳化を共に用いることが戦國時代末期の全體的な潮流だったことが分かる。各國の政治観念の基準(zhǔn)線は「一つの天下」だった。誰も小さな地域を分けて統(tǒng)治することに甘んじず、完全な天下を奪取しようとした。統(tǒng)一が必要なのかどうかを爭ったのではなく、誰が統(tǒng)一するかを爭った。「天下」全體に対する執(zhí)著は、中國の歴代政治家集団の最も獨特な部分だ。
思想家たちもそうだった。人々は百家爭鳴の「爭」だけを重視し、往々にしてその「融」を軽視する。數(shù)十年にわたって次々と出土してきた戦國時代の竹簡と帛書〔絹に書かれた文書〕は、「諸家雑糅〔入り交じる〕」だった史実を証明している。郭店楚墓竹簡からは儒家と道家を同列に扱っていたことが見て取れる。上海博物館蔵戦國楚竹書からは儒家と墨家を同列に扱っていたことが見て取れる。馬王堆帛書からは道家と法家を同列に扱っていたことが見て取れる?!笍浴工?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=孔子'>孔子と孟子の獨占ではなく、「道」は老子と荘子の専有ではなく、「法」は商鞅と韓非の獨り占めではなかった。諸子百家の思想的融合の根本理念とは「統(tǒng)一的な秩序」の確立だ。儒家は「一に定まる」という禮楽〔社會秩序を保つ禮と人心を感化する楽〕の道徳秩序を強(qiáng)調(diào)し、法家は「同文同軌〔文字と車輪の幅の統(tǒng)一〕」の権力?法律秩序を強(qiáng)調(diào)し、墨家は「尚同〔人々が一つの価値基準(zhǔn)に従うことで社會を繁栄させる〕」「一を執(zhí)る」という社會階層秩序を強(qiáng)調(diào)した。極端に自由を強(qiáng)調(diào)する道家も同じで、老子の「小國寡民」の上には「天下」と「天下王」もある。荘子も「萬物多しと雖も其の治は一なり」と強(qiáng)調(diào)した。
戦國時代は思想?制度の鍛錬の場になっていた。秦國の法家は大一統(tǒng)の基礎(chǔ)となる政権で貢獻(xiàn)した。魯國の儒家は大一統(tǒng)の道徳秩序で貢獻(xiàn)した。楚國の道家は自由な精神で貢獻(xiàn)した。斉國は道家と法家を結(jié)び付け、無為にして治まる「黃老の術(shù)」と、市場によって富を調(diào)節(jié)する「管子の學(xué)」を生み出した。魏?韓は合従連衡外交の戦略學(xué)で貢獻(xiàn)した。趙?燕は騎兵と歩兵を合わせた軍事制度で貢獻(xiàn)した。最終的な結(jié)果こそが漢朝だ。
大一統(tǒng)は秦が天下を併呑したのではなく、天下が秦を吸収したのだ。
※本記事は、「東西文明比較互鑑 秦―南北時代編」の「戦國時代とギリシャ(1)東西文明の起源と相違」から転載したものです。
■筆者プロフィール:潘 岳
1960年4月、江蘇省南京生まれ。歴史學(xué)博士。國務(wù)院僑務(wù)弁公室主任(大臣クラス)。中國共産黨第17、19回全國代表大會代表、中國共産黨第19期中央委員會候補(bǔ)委員。 著書:東西文明比較互鑑 秦―南北時代編 購入はこちら
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