中國(guó)新聞社 2021年12月23日(木) 18時(shí)0分
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清華大學(xué)人文學(xué)院の張國(guó)剛客員教授が、中國(guó)文明や、中國(guó)人としての西洋文化を受け入れ方について語(yǔ)った。張教授は中國(guó)史や外交関係史についての権威的存在だ。
中國(guó)では今、自國(guó)文化の特徴や価値、さらに西洋文明と中國(guó)文明の違い、西洋文明を受け入れる際の態(tài)度などに対する関心が高まっている。清華大學(xué)人文學(xué)院の張國(guó)剛客員教授はこのほど、中國(guó)メディアの取材に応じて自らの文明観を語(yǔ)った。張教授の専門(mén)は中國(guó)史や外交関係史だ。ドイツ?ハンブルグ大學(xué)の研究院やトリール大學(xué)の教授を務(wù)めた経験もあり、中國(guó)では専門(mén)分野における権威とみなされている。以下は張教授の言葉の抄訳だ。
■中國(guó)と西洋の交流史は3段階に分けることができる
歐州とアジアの東西文明が初めて交流したのは紀(jì)元前2000年から同1000年のことだった。歐州人がメソポタミアやインドに侵入し、別の一派は中央アジアを経由して中國(guó)北部に達(dá)した。さまざまな文明が交流し、他の文明の要素を取り入れ、融合し、戦爭(zhēng)と平和を繰り返しつつ成長(zhǎng)していった。
中國(guó)では時(shí)代によって、外國(guó)との交流の狀況が違っていた。まず15世紀(jì)以前だ。この時(shí)代、中國(guó)は長(zhǎng)期にわたり経済や科學(xué)で周辺國(guó)家よりも先行していた。西洋との交流でも一貫して主動(dòng)的で強(qiáng)い立場(chǎng)だった。
1500年から1800年は第2の時(shí)期だった。新航路が開(kāi)発され、中國(guó)と西洋の交流の內(nèi)容は宗教、科學(xué)技術(shù)、思想、政治などの面にも広がった。中國(guó)と西洋諸國(guó)は政治面で対等であり、西洋文化が東にもたらされ中國(guó)文化が西にもたらされる互恵の構(gòu)図が保たれた。
1840年に勃発したアヘン戦爭(zhēng)の前後から、中華人民共和國(guó)が成立した1949年まで、中國(guó)は受け身で弱い立場(chǎng)になった。
■中國(guó)文明と西洋文明の違いは大きいが究極の目標(biāo)は同じ
古代ローマ時(shí)代には、地中海周辺の海と陸の交通が円滑になった。歐州と西アジア、南アジア、北アフリカの交流も密接だった。しかし中國(guó)ははるかに遠(yuǎn)く、高山や大砂漠で隔てられていた。西洋文明と密接な交流があったそれぞれの地域の文明にはつながりがあったが、中國(guó)は隔絶されていた。西洋にとって中國(guó)は「真の他者」であり、中國(guó)文明は異質(zhì)な文明だった。
しかし異質(zhì)であることは、共通點(diǎn)がないこととは違う。各文明に共通する特徴とは、人と自然、人と社會(huì)、人と人の関係などの問(wèn)題を解決することだ。また、人と人の利益は衝突したり合致したりする。そこで「統(tǒng)治」が必要になる。
西洋は統(tǒng)治について個(gè)人の権利、自治、自由を強(qiáng)調(diào)する。中國(guó)は集団の利益や集団という概念をより重視し、個(gè)人の権利を制約する。中國(guó)と西洋は人類(lèi)文明の諸要素からの選択で、優(yōu)先事項(xiàng)に違いが出た。ただし究極の目標(biāo)はいずれも、人類(lèi)が生存し発展していく上での問(wèn)題を解決し、生活の質(zhì)を向上させ、人と自然、社會(huì)関係をより調(diào)和あるものにすることだ。
■文明の交流には「好結(jié)果をもたらす誤解」がつきもの
外來(lái)の文明を吸収する際には「好結(jié)果をもたらす誤解」が常に存在する。外來(lái)文明を吸収した場(chǎng)合には創(chuàng)造的な転化が行われ、自らの文明を発展させる。元になった外來(lái)文明とは異なる方向性が生じる場(chǎng)合もある。これが「好結(jié)果をもたらす誤解」だ。
中國(guó)に伝わった仏教では「孝」の要素が極めて重視されるようになった。インドのジャーナは中國(guó)で禪宗になった。元代(1279-1368年)の芝居のある演目は、フランスのボルテールによって「中國(guó)の孤児」という戯曲に作りなおされた。この戯曲が主張した道徳的要求は、當(dāng)時(shí)の歐州社會(huì)の必要性に合致していた。歐州の啓蒙思想家は、中國(guó)の古い歴史記述にカトリックの権威に挑戦するのに有利な証拠を見(jiàn)いだし、それを利用した。
商品も同様だ。明代(1368-1644年)、清代(1644-1912年)には西洋人が中國(guó)の磁器を必要とした。磁器と共に製法も西洋に伝わり、西洋では中國(guó)よりもさらに高品質(zhì)の磁器が作られるようになった。方位磁針は中國(guó)で発明されたものだが、西洋人は方位磁針を航海用コンパスに改良した。清代になると中國(guó)は、西洋から航海用コンパスを?qū)毪筏俊?/p>
文明間の交流は流動(dòng)だ。自らの現(xiàn)実的な必要があって導(dǎo)入し、改造して現(xiàn)地化する。西洋の経験を100%、そのまま受け入れてもだめだ。自分自身が使えるよう改造する必要がある。
■西洋文明だけでは人類(lèi)の問(wèn)題を解決できない、中華文明はバランスを取るのに有効
西洋は世界に先駆けて工業(yè)化した。過(guò)去數(shù)百年、西洋文明は強(qiáng)勢(shì)だった。しかし世界の大多數(shù)の発展途上國(guó)は、今も貧困で遅れている。これは、西洋文明が人類(lèi)の発展についての問(wèn)題を完全には解決できないことを示している。
異なる文明は共存しながら相補(bǔ)するものだ。世界を一つの文明で統(tǒng)一することはできない。西洋世界の外に、非対稱(chēng)な狀態(tài)を打破するための特色ある文明が存在する必要がある。歴史的にも現(xiàn)実的にも、中華文明はバランスを取るのに役立つ。人類(lèi)文明が前進(jìn)するためには、より多くの考え方が必要であり、より大きな包容性が必要だ。
一人よがりになってはならない。西側(cè)にはイデオロギー紛爭(zhēng)やポピュリズムの問(wèn)題を解決する必要がある。中國(guó)には法治化、市場(chǎng)化、國(guó)際化、國(guó)家統(tǒng)治能力の現(xiàn)代化をさらに改善する必要がある。文明の交流や相互參考の意義とは、相互補(bǔ)完や相互均衡がもたらされることだ。(翻訳?編集/如月隼人)
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