【東西文明比較互鑑】秦漢とローマ(6)宗教と國家

潘 岳    2022年1月1日(土) 22時(shí)10分

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西ローマ帝國最後の150年間、國教はキリスト教だった。夕日の下、かつての帝國の輝きを放つ古代ローマの遺跡。(寫真提供:潘岳)

「神の國」と「地の國」

西ローマ帝國最後の150年間、國教はキリスト教だった。

中東パレスチナで生まれた原始キリスト教は「漁夫と農(nóng)民」の素樸な宗教だった。こうした最下層の貧民は、はじめからローマ各屬州の眼中になかった層であり、多くのキリスト教徒にとってもローマは意識の外だった。彼らは「神の國」に屬する同胞であって、「俗世の國」に屬する公民ではなかった。したがって、兵役も公職に就くことも拒否した。決してローマの神々をまつらず、皇帝像に跪くこともなかった。

ローマ固有の多神教は厳格な道徳律をもっておらず(22)、ローマ社會の墮落に歯止めをかけることができなかった。國家は最下層の貧民をまったく顧みず、孤老の世話にしても、貧困者の苦しみを聞くにしても、疫病で亡くなった人の埋葬にしても、全身全霊で取り組んだのはキリスト教徒だけだった。やがて平民のみならず、追い求める理想が多少なりともあったエリート層もキリストを信じるようになった。

規(guī)律が厳格ではっきりしていたキリスト教は、辺境の都市と蠻族の支配地域で定著し、軍隊(duì)と宮廷のなかでも大量の信者を獲得していった。こうして日ごとに強(qiáng)大な存在となる「無形の國家」をローマ體內(nèi)で徐々に形成していったのである。

ローマの執(zhí)政官は當(dāng)初、こうした強(qiáng)力な組織力と思想的求心力に恐怖を感じ、300年にわたって信徒を虐殺、迫害し続けた。しかし、コンスタンティヌス帝が懐柔策に転じ、313年にキリスト教を公認(rèn)した。そして392年、テオドシウス1世が正式にキリスト教を國教にしたのである。

「國教」にした理由について、下層民と兵士の支持を得るためという説がある。一神教は皇帝権力の絶対化に有利だったという説もある。しかし、いずれにしてもローマ皇帝の期待は現(xiàn)実のものにはならなかった。

コンスタンティヌスのキリスト教の公認(rèn)から40年後(354年)、あるローマ官僚の家庭に1人の子供が生まれた。この子供はローマのエリート養(yǎng)成モデルに沿って教育された(23)。彼は最初に『聖書』を読んだとき、文體の貧弱さを理由に「キケロの優(yōu)美な筆致と比べると、まったく足元にもおよばない」(24)といって批判した。

30歳になると彼は宮廷スポークスマンとして皇帝を稱揚(yáng)し、政策の宣伝につとめ、周囲からは「ギリシャ?ローマ古典文明の火を受け継ぐ者」とみられた。ところが、主君の覚えめでたい人生も、自由な思想も、そして何不自由ない境遇や放埓な私生活も、心の奧底の空洞を埋めることはできなかった。こうして再び『聖書』を手にしたとき、彼は言葉では言い表せない「神の啓示の瞬間」を経験することになる。このとき「彼」はもっとも偉大なキリスト教神學(xué)者アウグスティヌスになった。アウグスティヌスはキリスト教の原始的な教義を壯大な神學(xué)體系へと発展させた。原罪論、教會の恩寵論、予定論、自由意志論といった思想はキリスト教哲學(xué)を集大成するものである。

410年、西ゴート人がローマを侵攻?陥落させた。これは外來のキリスト教を信仰した「報(bào)い」ではないか―そういう聲がローマでおこった。アウグスティヌスは激怒にかられて『神の國』を書き、これに反論すると同時(shí)にローマ文明を徹底的に否定した。彼はローマを指弾して次のようにいう。ローマは一度も正義を?qū)g現(xiàn)したことがなく、「人民のもの」(25)であったこともない、したがって共和國ではなく「大きな盜賊団」(26)に過ぎなかった、と。彼は「愛國とはすなわち栄譽(yù)である」という創(chuàng)成期ローマ戦士の精神さえも否定し、あらゆる栄譽(yù)は神に帰すべきだと考えた(27)。

アウグスティヌスは最後にこう締めくくっている。ローマの陥落は自業(yè)自得であり、キリスト教徒の最後の望みは神の國である。

「國家の悪」と「國家の善」

中國人の考え方からすると次のような疑問が出てくる。いくら駄目だといってもローマは母國である。その腐敗を憎むなら、制度を改革し精神を刷新すべきではないのか。異民族の侵入に際しては率先して祖國を守るべきではないのか。どうして改革の責(zé)務(wù)を果たす前から母國をあっさりと捨て、踏みにじることができるのか、と。結(jié)局のところ、ローマによって國教の地位に押し上げられたとはいえ、キリスト教にとってローマ國家の命運(yùn)は常に他人事だったのである。

この點(diǎn)もまた、漢とローマとの違いである。一方で漢朝儒家政治の倫理道徳は「鰥寡〔頼る人がいないやもめ〕孤獨(dú)〔孤獨(dú)者〕は誰もがその身を養(yǎng)う所がある」を?yàn)檎弑緛恧瘟x務(wù)とした。もう一方で、漢朝法家の末端統(tǒng)治もまた「國家は正義のない盜賊団」などという認(rèn)識をもったことがなかった。

一神教がローマのように発展するのは中國では難しい。儒家思想は天理〔客観的道徳規(guī)範(fàn)〕と人倫〔人の行動規(guī)範(fàn)〕をカバーしている。したがって、儒家は「鬼神を敬してこれを遠(yuǎn)ざく〔神霊を決して蔑ろにはしないが遠(yuǎn)ざける?!赫撜Z』〕」態(tài)度をとり、人文と理性を立國の基本とし、中華文明を「宗教を基盤としない古代文明」にしたのである。あらゆる外來宗教は、中國伝來後に狂信性と排他性を脫ぎ捨て、國家の秩序と協(xié)調(diào)し共存しなければならなかった。ローマにキリスト教が入ってきたのと同じ時(shí)期、仏教が中國に伝來した。しかし、中國は仏教に対して、ローマがキリスト教に対してとったような軽はずみな態(tài)度―虐殺と弾圧で応えるかと思えば一転して全面的に受け入れる―をとらず、逆に「禪宗」を生み出したのである。

キリスト教の神の國は現(xiàn)世を離れても存在することができる。しかし、中國の天道〔天地自然の道理〕は現(xiàn)世において実現(xiàn)しなければ存在しないに等しい。儒家思想と國家意識は早くから一つに融合していたのである。儒家思想の浸透がベースにあって、中國化した宗教は例外なく「國家の価値」に深い共感を抱いた。道教には「天下太平に致る」という理想があった。仏教もまた、國家統(tǒng)治に優(yōu)れた為政者の業(yè)績は高僧の功徳に勝るとも劣らないと考えた。哲學(xué)の分野ではどうだろうか。キリスト教以前のギリシャ哲學(xué)には個(gè)體の概念と同時(shí)に全體〔個(gè)體を超越して存在する普遍的な真〕の概念もあった。しかし、神の権威が一切を抑え込んだ中世の1000年間を経て、西洋哲學(xué)は「個(gè)人主義」と「反全體主義」に固執(zhí)するようになった。中華文明はこのような「神の権威の抑圧」を経験したことがない。したがって、中國哲學(xué)には個(gè)への執(zhí)著がなく、それよりも全體の秩序に多くの関心を注いだ。

西洋近代の政治思想に「國家を悪とみなす消極的自由」というものがある。遡れば、これは「神の國」と「地の國」を分離するキリスト教の考えに端を発する。キリスト教は「ローマ國家」を悪とみなした。しかし、宗教改革ではカトリック教會もまた悪とみなされ攻撃された。神以外は「衆(zhòng)生みな罪人」の俗世にあって、どんな組織であれそれが「人」の手によってつくられた以上、他者を?qū)ГY格をもたない。ロックは私有財(cái)産保護(hù)のための「小さな政府」を、ルソーは公共意識に基づく「社會契約政府」を、そしてアダム?スミスは「夜警」政府〔夜警國家〕を主張した。これらはすべて「國家の悪」に対する警戒から出たものだ。

他方、中華文明は「國家の善」を信用した。儒家は人間の本質(zhì)は善でもあり悪でもあると信じたが、「賢を見ては斉しからんことを思い〔優(yōu)れた人をみれば同じようになろうと思う?!赫撜Z』〕」さえすれば、いつでも自己変革を通じてよりよい國家をつくりあげることができると考えた。儒法並立を確立して以降の漢朝の隆盛は、當(dāng)時(shí)の人々の記憶と憧憬を通じて「すばらしい國」をつくるという信念に変わり、歴代王朝によって後世へと引き継がれていったのである。

(脇屋克仁訳)

(22)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P53。

(23)アウグスティヌス著、周士良訳『懺悔録』商務(wù)印書館、1996年、P40。

(24)アウグスティヌス著、周士良訳『懺悔録』商務(wù)印書館、1996年、P41。

(25)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P76~P77。

(26)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P144。

(27)アウグスティヌス著、王暁朝訳『上帝之城』人民出版社、2006年、P201。

※本記事は、「東西文明比較互鑑 秦―南北時(shí)代編」の「秦漢とローマ(6)宗教と國家」から転載したものです。

■筆者プロフィール:潘 岳

1960年4月、江蘇省南京生まれ。歴史學(xué)博士。國務(wù)院僑務(wù)弁公室主任(大臣クラス)。中國共産黨第17、19回全國代表大會代表、中國共産黨第19期中央委員會候補(bǔ)委員。
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