孔子の教えは現(xiàn)代人類社會(huì)にも有効か?―中國(guó)人學(xué)者が理解のポイントを説く

中國(guó)新聞社    2022年1月11日(火) 13時(shí)0分

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浙江大學(xué)人文高等研究院の講座教授などを務(wù)める劉東氏(寫真)は中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、中國(guó)に伝わる伝統(tǒng)思想が現(xiàn)代社會(huì)にとって有益かどうかについて自らの考えを披露した。

中國(guó)で今、盛んに議論されている問(wèn)題がある。それは、孔子などに始まり歴代の先賢が説き続けてきた理念が、現(xiàn)代にも通用するかということだ。さらには「中國(guó)式の理念」と「西洋の発想」に共通點(diǎn)があるのかも議論の対象だ。浙江大學(xué)人文高等研究院の講座教授などを務(wù)める劉東氏はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、自らの考えを披露した。以下は、劉教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加して再構(gòu)成したものだ。

■孔子が強(qiáng)調(diào)した「理性的認(rèn)識(shí)」は、今も世界に通用する

孔子は、「之(これ)を知るを之を知ると為(な)し、知らざるを知らざると為す。これ、知るなり」と述べている。論語(yǔ)には「子、怪力亂神を語(yǔ)らず」とも書かれている。つまり、孔子は「認(rèn)識(shí)すること」とは何かを、深く考えていた。

孔子の肖像

この「認(rèn)識(shí)本位」という原點(diǎn)を持つのが、中華文明の最大の特徴だ。一方で西洋ではキリスト教を「信じる」伝統(tǒng)が長(zhǎng)いた。しかし、例えば北歐のいくつかの國(guó)では「神なき社會(huì)」が事実上、出現(xiàn)している。代表的な啓蒙思想家の一人であるボルテール(1694-1778年)も、中國(guó)思想の影響を受けて、理性を呼び覚ます必要があると説いた。つまり「宗教なき道徳」を構(gòu)築できることは、人類共通だ。

孔子の考え方では、我々の「理性」や「人生観」は虛妄の上に構(gòu)築されたものでない。また、中國(guó)では近代になってから、両者を切り離す主張が発生したが、それは間違っている?!咐硇浴工取溉松Q」はつながっているものだ。

一方で、孔子以降の多くの儒家の思想は、改めて點(diǎn)検する必要がある。その後の歴史の過(guò)程で儒學(xué)の「ピーク」が何度も発生し、歴史に貢獻(xiàn)したのは事実だが、「理性の自覚」の點(diǎn)ではいずれも、孔子に遠(yuǎn)く及ばない。時(shí)代が下ると、孔子とは大きく異なる主張も発生した。それらは道教や仏教、さらにキリスト教の影響を受けており、しかも完全に時(shí)代遅れの形而上學(xué)だ。今の時(shí)代に世界に向けてそんな思想を説いたら、馬鹿にされるだけだ。

■孔子の「寛容な精神」に始まり「天下大同」を目指す

中國(guó)の儒家は「天下大同」に情熱を傾けた。つまり、完全に平等で、爭(zhēng)いや悪行が存在しない理想社會(huì)だ。そして「天下為公(天下は公のもの)」という考え方も強(qiáng)まった。

孫文の書。孫文も「天下為公」の言葉を重視した

儒家が「天下大同」重視したのは、民を救うことが目的だった。そして彼らは、社會(huì)は徐々に変えていけると期待した?!缸钺幛螌徟小工韦瑜Δ式K末論は受け入れず、「物事は一挙に解決できる」といった非理性的な考えも採(cǎi)用しなかった。

孔子本人は「天下大同」を性急に求めることをしなかった??鬃幼陨恧瑥?qiáng)調(diào)したのは「和して同ぜず」だ。つまり「他者と爭(zhēng)うことはしないが、理念については妥協(xié)しない」だ。言い方を変えれば、自分とは異なる考え方の人がいても、寛容に共存することだ。

■「民族主義」は必要だが、その上にある「人類全體」を見(jiàn)失ってはならない

しかし中國(guó)は近代になると西洋による、続いて日本による強(qiáng)烈な打撃を受け、「民族國(guó)家」の概念を受け入れざるを得なくなった。この「民族主義」は、古代から受け継がれて來(lái)た「天下大同」とは対立する概念だ。中國(guó)近代の思想家や社會(huì)活動(dòng)家、政治家は、この矛盾の解決を迫られた。

清朝末期から政治改革を目指した梁?jiǎn)櫝?873-1929年)は、國(guó)という存在は必要と論じた上で、「國(guó)の保護(hù)の下で、各人が天に與えられた能力を発揮することに盡力して、人類全體の文明に大きな貢獻(xiàn)をする」と説いた。

民族主義とはしょせん、視野に限界のある立場(chǎng)だ。理性を持っているはずの人も、互いが互いを「邪推」することになる。現(xiàn)在は、全世界的な危機(jī)が山積している?;イい诵巴皮工欷?、核戦爭(zhēng)の危機(jī)から脫卻することは難しくなる。環(huán)境や気候変動(dòng)などの危機(jī)も、克服できなくなる。

そのような狀況にあるからこそ、我々は改めて紀(jì)元前の孔子の思想に戻るべきではないだろうか。まず「理性の共有」を?qū)g現(xiàn)させ、次に改めて「天下大同」を目指す。あらゆる國(guó)の上に、人類と言う存在があることを意識(shí)せねばならない。個(gè)別の人物だけが視野に入り、人類という考え方がないようでは、このホモサピエンスという種は、もちろん中國(guó)人を含めて、奈落の底に落ち込んでしまうのではないだろうか。(構(gòu)成/如月隼人

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