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中國(guó)はすでに、世界の「橋梁(きょうりょう)大國(guó)」だ。橋梁建設(shè)の第一人者である徐恭義氏は、苦労話を交えながら、中國(guó)における橋づくりの“進(jìn)化”を語(yǔ)った。寫真は趙州橋。
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中國(guó)では長(zhǎng)い歴史を通じて多くの橋梁(きょうりょう)が架設(shè)されてきた。そして近代的な橋梁建設(shè)では出遅れたが、現(xiàn)在はすでに世界の「橋梁大國(guó)」であり、同時(shí)に「橋梁強(qiáng)國(guó)」だ。大型架橋建設(shè)を手掛ける代表的な中國(guó)企業(yè)の中鉄大橋勘測(cè)設(shè)計(jì)院で技術(shù)分野の副責(zé)任者を務(wù)める徐恭義氏はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、現(xiàn)在に至るまでの中國(guó)における橋梁建設(shè)の歴史を紹介した。以下は、徐氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■中國(guó)に歴史的な橋は多いが、近代の橋の架設(shè)は「本質(zhì)的」に異なっていた
中國(guó)における橋梁建設(shè)の歴史は長(zhǎng)い。河北省にある趙州橋は隋代だった西暦605年に完成した、中國(guó)に現(xiàn)存する最古の石造アーチ橋だ。西洋で同様の橋が架けられたのは、趙州橋の完成から約700年後だった。現(xiàn)代的な橋梁構(gòu)造のうちの何種類かは、中國(guó)の歴史的な橋に、その原型を見(jiàn)ることができる。
しかしながら、現(xiàn)在の橋は機(jī)能、素材、構(gòu)造のどれをとっても、歴史的な橋とは本質(zhì)的に異なる。歐米では工業(yè)革命により鉄やセメント、さらには鉄筋コンクリートなどの素材が出現(xiàn)したことも関係して、現(xiàn)代的橋梁の技術(shù)が進(jìn)歩した。
また、現(xiàn)代において橋は、人が通行するだけでなく、列車や自動(dòng)車などの重量物が高速で通過(guò)しても安定しており、安全が保たれねばならない。施工技術(shù)も大きく変化し、また計(jì)算理論や設(shè)計(jì)の手法もレベルが大幅に向上した。
■清代からの夢(mèng)「長(zhǎng)江を越える橋」の建設(shè)に成功
長(zhǎng)江をまたぐ橋梁を架設(shè)し、中國(guó)を南北に縦斷する鉄道を貫通させることは、中國(guó)人にとって長(zhǎng)年の夢(mèng)であり、清朝期には3回、中華民國(guó)期には2回にわたり架橋の提案があった。しかし政府の財(cái)政や戦亂、さらには技術(shù)力の問(wèn)題があり、いずれも棚上げとなった。
湖北省武漢で、長(zhǎng)江を越える初めての橋梁建設(shè)計(jì)畫が本格化したのは、中華人民共和國(guó)成立翌年の1950年だった?,F(xiàn)地調(diào)査や設(shè)計(jì)を擔(dān)當(dāng)したチームが中央政府に設(shè)計(jì)案を提出したのは3年後だった。中央政府は、中國(guó)に大型橋梁建設(shè)の経験がなかったことから、設(shè)計(jì)図をソ連に持參して審査を受けるように要求した。一方で、ソ連側(cè)も専門家チームを武漢に派遣した。ソ連の専門家は武漢で技術(shù)指導(dǎo)を行い、中國(guó)側(cè)専門家と議論も行った。
そのような経緯により、橋の設(shè)計(jì)図は完成した。最終的な設(shè)計(jì)は、中國(guó)人側(cè)が行った。この、長(zhǎng)江を越える初めての武漢長(zhǎng)江大橋が開(kāi)通したのは57年9月25日だった。1階部分は鉄道用で、2階部分は自動(dòng)車道路の、長(zhǎng)さ1670メートルの橋だ。この橋は中國(guó)の南北をつなぐ大動(dòng)脈の一部になり、中國(guó)の経済建設(shè)に大いに貢獻(xiàn)した。
長(zhǎng)江を越える3本目の橋になった南京長(zhǎng)江大橋は、地質(zhì)などの関係で、求められる技術(shù)レベルが高かった。當(dāng)初はソ連の支援を受ける計(jì)畫だったが、ソ連との関係が悪化したため、中國(guó)は自力で建設(shè)を進(jìn)めることになった。外國(guó)の専門家は、中國(guó)が南京で長(zhǎng)江大橋を獨(dú)力で建設(shè)することは不可能と斷言していた。しかし中國(guó)は架橋を成功させた。この橋が完成した1968年は、中國(guó)が獨(dú)自に超大型橋梁を建設(shè)した、新たな紀(jì)元となった。
■それでもなお、歐米に學(xué)ぶことは多い
中國(guó)の橋梁建設(shè)技術(shù)は急速に進(jìn)歩した。たとえば200年ごろには橋腳と橋腳の間のスパンを400メートルに伸ばすことが可能であるかどうか疑問(wèn)視する人が極めて多かった。しかし現(xiàn)在ではスパンが1000メートルを超える橋も珍しくなくなった。
中國(guó)では大スパンつり橋、斜張橋、アーチ橋、高速鉄道橋梁などさまざまな橋が建設(shè)されてきたが、橋の規(guī)模、數(shù)が多さ、スパンの長(zhǎng)さ、積載可能重量の大きさ、建設(shè)期間の短縮などで、いずれも世界をリードしている。2020年の國(guó)際橋梁大會(huì)(IBC)では、中國(guó)が建設(shè)した橋梁が六つの大賞を受賞した。このことは、中國(guó)が橋梁建設(shè)についての理念や技術(shù)、設(shè)備、素材、補(bǔ)修維持の理念、計(jì)測(cè)と検査技術(shù)のいずれでも長(zhǎng)足の進(jìn)歩を遂げ、そのことを世界が認(rèn)めたことを物語(yǔ)っている。
とはいえ、「中國(guó)が歐米などから學(xué)ぶことはなくなった」というわけではない。歐米などでは中國(guó)より半世紀(jì)早く、大型の橋梁建設(shè)が始まった。その結(jié)果、老朽化した橋や現(xiàn)在の交通ニーズを満たせなくなった橋も多く出現(xiàn)している。
そのため、歐米では橋梁の補(bǔ)修、補(bǔ)強(qiáng)、輸送能力の増強(qiáng)、解體、再建などが盛んに行われている。そして、新たな技術(shù)が投入され、実踐によって中國(guó)に先行して経験が蓄積されつつある。中國(guó)は今後も、橋梁関連について歐米などから學(xué)び、參考にしていくことになる。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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