中國新聞社 2022年1月27日(木) 20時50分
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宋代の沈沒船「南海1號」の引き上げを詳しく知る広東省文物考古研究員の崔勇副院長が取材に応じた。寫真は「南海1號」や海のシルクロードをテーマとする「広東海のシルクロード博物館」。
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海底や湖底に眠っていた文化財を引き上げて研究する水中考古學(xué)という學(xué)問分野がある。中國での水中考古學(xué)の最大級の成果とされるのが、1987年に発見されて約20年後の2007年に船體の引き上げに成功した宋代の沈沒船「南海1號」だ。その全過程を知る広東省文物考古研究員の崔勇副院長がこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、「南海1號」にまつわるさまざまなエピソードを披露した。以下は、崔副院長の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■「海の盜掘者」にしてやられたことが、水中考古學(xué)に取り組むきっかけに
かつて、歐米人の「海の盜掘者」が南シナ海海域で沈沒船から清代康熙年間(1661-1722年)の陶磁器を多く引き上げ、オークションにかけて飛び切りの高値で売りさばく事件があった。このことが中國の考古學(xué)界や政府を刺激した。
1987年には中國國家博物館水中考古學(xué)研究センターが発足した。ちょうどその時期に、英國の海洋探査?サルベージ會社と當(dāng)時の広州サルベージ局が、広東省陽江市沖合いの南シナ海で沈船を発見した。その際に引き上げられた247點の中には、金のネックレスや銀塊もあった。
英國の會社は、その海域で沈沒した東インド會社所屬の商船を探していたのだが、海底から引き上げられたものはその商船の積み荷リストとは違っていた。そこで中國側(cè)は英國側(cè)に引き上げを中止させた。発見された大型商船は「南海1號」と名付けられた。
■まずは日本に教えてもらった、次に小さなプロジェクトで実力錬成
「南海1號」を調(diào)査し引き上げるために、中國水中考古學(xué)界は多くを「學(xué)習(xí)」せねばならなかった。まず若手研究者をオランダと日本に派遣して水中考古學(xué)を?qū)Wばせた。日本からは専門家を招いて講義などをしていただいた。
1989年には國家文物局とオーストラリアのアデレード大學(xué)が共同で、中國初の水中考古學(xué)訓(xùn)練班を組織した。全國から11人が選ばれて訓(xùn)練を受けたが、私もその一人だ。
1989年11月には日本と共同調(diào)査隊を結(jié)成して南海1號の初の全面調(diào)査を行った。しかしその結(jié)果、「南海1號」の引き上げなどの條件はまだ整っていないと結(jié)論づけざるをえなかった。もっと小さなプロジェクトから始めるべきとの判斷だった。
その後、遼寧省葫蘆島市の沖合いで元代(1279-1368年)の沈船が見つかったり、西沙諸島でも沈船が見つかった。それらの調(diào)査研究に取り組むことで、中國の水中考古學(xué)の実力は次第に向上していった。
■困難を乗り越えて船體の引き上げに成功、発見した積み荷は18萬點以上
改めて「南海1號」の引き上げに著手するまで、學(xué)習(xí)や経験のための約10年を費やしたことになる。調(diào)査再開の手始めに、まずGPSを利用して正確な位置を特定した。そして4年をかけて、調(diào)査と試掘を繰り返した。その結(jié)果、船全體の保存狀態(tài)は良好で、積み荷も多いことが分かった。
しかし一方で、船體の上に泥が分厚く堆積していることが分かった。海底で活動すれば周囲の水はひどく濁る。水中考古學(xué)の調(diào)査にとってかなり劣悪な環(huán)境だ。
船の積み荷も文化財だが、それらを引き上げるだけではだめだ。それでは水中考古學(xué)の進歩の芽を摘んでしまう。南海1號が泥に半ば埋まった形で橫たわる海底は、水深約25メートルだった。最終的に広州サルベージ局の技術(shù)者の呉建成氏が、ケーソンという巨大な箱を使って沈船全體を引き上げる方法を考案した。これが突破口だった。
しかし実際には大きな困難が伴った。ケーソンは長さが33メートル、幅は14メートルもあり、500トン以上の重量だ。正確な位置に沈めるのは実に難しかった。いったん水中に沈めたら、位置の調(diào)整はほとんど困難だ。とにかく正確な位置におろさねばならない。しかし最後には、一気に成功させることができた。
「南海1號」の船體引き揚げが行われたのは2007年だった。同時に、広東省陽江市內(nèi)では広東海のシルクロード博物館が建設(shè)された?!改虾?號」は同博物館の水晶宮と呼ばれる施設(shè)に安置された。
「南海1號」については3Dレーザーなど最新の技術(shù)を使って、大きさについてはミリ単位まで計測された。水中から発見された文化財は18萬點を超えた。酒が入った大量の壺、アヒルの卵の塩漬け、羊の頭、ナッツ類、ヤマモモ、穀物類も見つかっている。これらは、水中でないと殘らないものだ。
また、船室にあった泥からは、絹たんぱくが検出された?!改虾?號」は量としてはあまり多くなかったかもしれないが、絹製品も積んでいたと考えられる。
さまざまな情報を総合して、「南海1號」が沈沒したのは1183年前後と特定できた??脊艑W(xué)においては、文化財の年代を判斷するには他の文化財との比較に頼る場合が多いが、正確な年代の判別が極めて難しい場合が多い?!改虾?號」の積み荷は、他の出土品などにとって、年代判斷の基準(zhǔn)を與えてくれたことになる。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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