コロナ報(bào)道、あまりにバランスを失していないか? ―子供には交通事故と自殺が脅威

長田浩一    2022年2月3日(木) 7時(shí)50分

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交通事故では小學(xué)生以下の子供が毎年數(shù)十人亡くなるし、2019年の10代の死因トップは自殺だった。交通事故や自殺のほうが、新型コロナよりはるかに多くの子供や青少年の命を奪っていることは間違いない。

日本國內(nèi)で初めて新型コロナウイルスの感染者が見つかってから2年。きょうも各メディアにはコロナ関連の情報(bào)があふれている。年明け後のオミクロン株の感染拡大もあって読者、視聴者の関心が高いのだから、それも當(dāng)然かもしれない。それにしても…である。報(bào)道機(jī)関OBとしては、疑問を投げかけざるを得ない。コロナ関係の報(bào)道は、あまりにバランスを失していないだろうか?

◆他の重要ニュースにしわ寄せ?

第一に、ボリュームが多すぎる。新聞は比較的紙面に余裕があることもあってそれほど気にならないが、テレビはひどい。NHKでも、午後7時(shí)のニュースの半分近くをコロナ関係が占めていることが多いし、民放はそれ以上のときもある。テレビニュースは時(shí)間に限りがあるので、特定のテーマに関する報(bào)道が多くなると、その分ほかの重要なニュースがボツになったり、時(shí)間を削られたりする。最近では統(tǒng)計(jì)不正問題やウクライナ危機(jī)などが割を食っているのではないか。

もちろん、東日本大震災(zāi)後の福島第一原発事故(悪くすれば東日本が長期にわたり不毛の地になる可能性があった)のように、國家の存続を危うくするような事案であればこうした報(bào)道も首肯できる。しかし、1月末時(shí)點(diǎn)の新型コロナによる日本國內(nèi)の死者は、2年間の累計(jì)で1萬8800人程度、平均年齢は80歳前後という。一方で、日本では毎年135萬人程度が亡くなっており、感染癥の一種である伝統(tǒng)的な肺炎による死者は7萬~9萬人、不慮の事故による死者は約4萬人に達(dá)する。人間が社會(huì)生活を送る上では様々なリスクが存在しており、コロナだけが突出しているわけではない。コロナ報(bào)道にあれだけの時(shí)間を割くなら、もっと肺炎への注意を促してしかるべきだと思う私は変わり者なのだろうか。

◆子供や青少年の死者が非常に少ない

また、新型コロナは“社會(huì)の寶”である子供や青少年の死者が非常に少ない。厚生労働省のデータによると、1月下旬時(shí)點(diǎn)の累計(jì)の死者は、10代が4人(このうち2人は重い基礎(chǔ)疾患があった。他の2人は不明)、10歳未満はゼロ。一方で、交通事故では小學(xué)生以下の子供が毎年數(shù)十人亡くなるし、2019年の10代の死因トップは自殺だった(政府の自殺対策白書による)。少なくとも、交通事故や自殺のほうが、新型コロナよりはるかに多くの子供や青少年の命を奪っていることは間違いない。報(bào)道に當(dāng)たって留意すべき點(diǎn)だろう。

◆コロナ対策、総合的に判斷を

新型コロナに関する報(bào)道で、「感染癥の専門家」と稱する人たちの意見を金科玉條のごとくありがたがって拝聴する風(fēng)潮がある點(diǎn)も気になる。彼らは新型コロナについて強(qiáng)い危機(jī)感を抱いており、だからこそ「早め早めに強(qiáng)めの対策を!」などと言うのだろう。しかし、こうした感染癥の専門家たちは、コロナ対策で飲食店が廃業(yè)に追い込まれたり、解雇されて生活に困窮する人たちが増えたり、休校や修學(xué)旅行?部活動(dòng)の停止で青少年の貴重な學(xué)びと體験の機(jī)會(huì)が失われたりしても、何もしない。彼らの仕事は感染癥の拡大を防ぐことで、対策のデメリットに思い煩うことではないからだ。

世の中のすべてはバランスの上に成り立っている。専門家が提言するコロナ対策のメリットとデメリットを総合的に判斷し、他の社會(huì)的リスクとも比較考量しながら、的確な著地點(diǎn)を見出すこと。それは第一義的には政治の役割だが、メディアにもそうした機(jī)能が求められる。今のところ、この分野でメディアが十分に貢獻(xiàn)しているとは言い難い。

◆強(qiáng)権的措置を求める記者に違和感

最後に、もう一點(diǎn)指摘したい。新型コロナの感染拡大後、緊急事態(tài)宣言など強(qiáng)権的な対策の実施を政府等に求めるメディア関係者が少なくない。ある地方自治體の記者會(huì)見では、「まん延防止等重點(diǎn)措置の適用をいつ政府に要請(qǐng)するのか」など、當(dāng)局以上に前のめりの質(zhì)問が相次いだという。気持ちは分からないでもないが、なんだかどこかの権威主義的な國にいるような気がする。

やや大仰な言い方になるが、私は長年、國民生活への公権力の介入をできるだけ抑える方向で報(bào)道するのが民主主義國におけるメディアの在るべき姿だと信じてきた。その立場(chǎng)からすると、現(xiàn)場(chǎng)の記者はじめメディア関係者が、私権の制限につながる措置の導(dǎo)入を當(dāng)局に急かすような発言?質(zhì)問をすることには違和感を禁じ得ない。私のような考えは古臭い化石のようなもので、いまは國民の権利より健康を最優(yōu)先するのがメディアの役割だ、と言われるかもしれないが。

■筆者プロフィール:長田浩一

1979年時(shí)事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任?,F(xiàn)在は文章を寄稿したり、地元自治體の市民大學(xué)で講師を務(wù)めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中國との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外國の地は北京空港でした。

※本コラムは筆者の個(gè)人的見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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