<アフリカ支援>埋沒しそうな日本援助の「ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)」―中國(guó)が熱い視線

アジアの窓    2022年2月11日(金) 6時(shí)20分

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東アフリカ?ケニアの國(guó)立ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)(JKUAT)が創(chuàng)立されてほぼ30年。國(guó)立ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大facebookアカウントより。

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東アフリカ?ケニアの國(guó)立ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)(JKUAT)が創(chuàng)立されてほぼ30年。日本が巨額の人?モノ?カネをつぎ込み汗水たらして育成しアフリカでも優(yōu)秀な學(xué)生を輩出するトップ校となった同大學(xué)だが、後からやってきた中國(guó)による援助攻勢(shì)の中で埋沒しそうな雲(yún)行きである。

その他の寫真

◆初めはカレッジからスタート

JICA(國(guó)際協(xié)力機(jī)構(gòu))を通じた日本の大學(xué)設(shè)立に関わる?yún)f(xié)力は1977年11月の事前調(diào)査団の派遣に始まり、2000年4月の協(xié)力終了まで足かけ23年間にも及んだ?!脯F(xiàn)地はかつてサイザル畑(麻ひもの原料)だった用地が広がるだけで、教員はおろか學(xué)生もいなかった。全くのゼロから學(xué)校作りが始まった」と當(dāng)時(shí)を知るJICAのOBは言う。

キャンパス建設(shè)が始まったのは事前調(diào)査の2年後の79年から。英國(guó)からの獨(dú)立運(yùn)動(dòng)を指揮し、ケニア初代大統(tǒng)領(lǐng)となったジョモ?ケニヤッタ氏は、特に農(nóng)業(yè)と工業(yè)を支える技術(shù)者の育成が國(guó)づくりに欠かせないと考えていた。日本は校舎や施設(shè)を建設(shè)?寄贈(zèng)し、日本の大學(xué)から教員を送り込み、逆にケニア人學(xué)生を日本の大學(xué)に受け入れた?!袱胜い胜い扭贰工趣いΕⅴ榨辚维F(xiàn)狀の中で教員を育成しながら大學(xué)を建てていくことがいかに難しいことか。

ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)という名の農(nóng)工専門學(xué)校は1981年に開校にこぎ著けたが、実態(tài)は日本でいう高等技術(shù)専門學(xué)校(高専)レベルで、その正式名稱も「Jomo Kenyatta College of Agriculture and Technology」(JKCAT)にすぎなかった。80年からは技術(shù)協(xié)力による専門家派遣が始まり、81年からは青年海外協(xié)力隊(duì)員も送り込まれ出した。この狀態(tài)が8年間続いた後、89年にケニヤッタ氏の名前を冠する別の國(guó)立ケニヤッタ大學(xué)傘下の「カレッジ」として4年生教育が始まった。ようやく「學(xué)士」號(hào)を出せるようになった。また図書館、実験室、給水施設(shè)なども建てられ、施設(shè)の充実が図られた。

◆多くの日本の大學(xué)が協(xié)力

ケニアには主要な國(guó)公立大學(xué)は7校あった。歴史の古さから言うと、ナイロビ大學(xué)(1970年)、モイ大學(xué)(1984年)、ケニヤッタ大學(xué)(1985年)、エジャートン大學(xué)(1987年)、ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)(1994年)、マセノ大學(xué)(2001年)、マシンデ?ムリロ科學(xué)技術(shù)大學(xué)(2007年)だ。その後私立も含めて増えている。

ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)は94年12月にようやくケニヤッタ大學(xué)の分校から獨(dú)立し「Jomo Kenyatta University of Agriculture and Technology」(JKUAT)として名実ともに誕生した?,F(xiàn)在のJKUATは、この94年を創(chuàng)立の年としている。職業(yè)訓(xùn)練校のような高専レベルの學(xué)校の開校から13年がたっていた。

戦後の日本の経済協(xié)力の分野で第一人者であり続けた國(guó)際開発ジャーナル社の荒木光彌元社長(zhǎng)?主幹は『アフリカに大學(xué)をつくったサムライたち』(ジョモ?ケニヤッタ農(nóng)工大學(xué)物語(yǔ)、2014年)の中で、「さら地に學(xué)校を建て、実験道具を持ち込み、実験農(nóng)場(chǎng)を開墾し、大きな貯水池まで掘り、大學(xué)の教員を育てるために日本に留學(xué)させ、『ディプロマ』『テクニシャン』レベルから學(xué)士、そして博士レベルまでを大勢(shì)育てる大學(xué)になるまで、13年かかった。これはまさに奇跡である」と書いている。

JKUAT立ち上げには日本の多くの大學(xué)が協(xié)力した。工學(xué)部は京都大學(xué)、農(nóng)學(xué)部は岡山大學(xué)が中心となり、教員派遣?留學(xué)生受け入れに応じた。1981年に中堅(jiān)カレッジだったJKUATは徹底した実學(xué)重視の下で著実に成長(zhǎng)した。當(dāng)時(shí)同大學(xué)に派遣された大崎直太山形大學(xué)元教授はケニア駐在記の中で、「日本によるハード面の協(xié)力もさることながら、特筆すべきはソフト面の國(guó)際協(xié)力であった」と強(qiáng)調(diào)している。長(zhǎng)期にわたる國(guó)際協(xié)力の中で、関係した日本人は延べ約450人、大學(xué)數(shù)では51校、投入した資金(ODA=政府開発援助)は約200億円に達(dá)したという。

2000年以降も學(xué)部間國(guó)際交流協(xié)定による研究協(xié)力や研究者?學(xué)生交流が現(xiàn)在に至るまで続いており、JKUATの2000年時(shí)點(diǎn)で3000人弱だった學(xué)生數(shù)は今では4萬(wàn)5000人近くに上っている。ケニア國(guó)內(nèi)の高等教育機(jī)関?研究機(jī)関の主要ポストに「日本留學(xué)組」がおり、強(qiáng)力な日本シンパになっている。また主要産業(yè)の農(nóng)業(yè)分野に有能な人材を提供する一方、電力や通信など基幹産業(yè)へも多くの人材を送り出している。ケニアではトップ校の1つ、理系大學(xué)の中ではアフリカ有數(shù)のレベルを誇るまで育ち上がった。これはやはり「?jìng)I(yè)」だろう。

◆日本、JKUATを土臺(tái)に大學(xué)院大學(xué)支援へ

しかしJICAの対ケニア援助はこれだけでは終わらない。JKUATをケニアの農(nóng)工系有力大學(xué)からアフリカ全土に貢獻(xiàn)する大學(xué)へともう一段押し上げようとしているのが55加盟國(guó)からなるアフリカ連合(AU、2002年設(shè)立)だ。このAUが08年にアフリカ域內(nèi)の社會(huì)開発を擔(dān)う高度人材を育成?確保するため大學(xué)院大學(xué)「汎アフリカ大學(xué)」(PAU)設(shè)立構(gòu)想を打ち出したのだ。アフリカを5つの地域(北部、西部、中部、東部、南部)に分け、それぞれ各地域の対象分野を定め、それぞれホスト國(guó)、ホスト大學(xué)、支援パートナー國(guó)を設(shè)けた。

このうち東部地域(エチオピア、ウガンダ、タンザニア、ソマリアなど)のホスト國(guó)としてはケニアが選ばれ、さらにJKUATがホスト大學(xué)に指名された。そしてAUやケニア政府からの強(qiáng)い要請(qǐng)もあって日本が支援パートナー國(guó)に就任する。育成する高度人材の対象分野は基礎(chǔ)科學(xué)?技術(shù)?イノベーションだ。JKUATの敷地內(nèi)に「汎アフリア大學(xué)基礎(chǔ)?科學(xué)?技術(shù)?イノベーション院」(PAUSTI)が設(shè)置され、12年10月から修士課程が開講された。

日本の援助したJKUATは東アフリカの大學(xué)を代表する「科學(xué)?技術(shù)?イノベーションに強(qiáng)い大學(xué)」に選ばれたわけだ。これはAUやケニア政府の日本への信頼感をはっきりと物語(yǔ)っている。

◆協(xié)力するのは「科學(xué)?技術(shù)?イノベーション」分野

JICAの協(xié)力再開で「アフリカ型イノベーション振興プロジェクト」が14年から始まった。JKUATをベースにAUによる高等教育開発と科學(xué)技術(shù)イノベーションの研究をさらに強(qiáng)化する。協(xié)力期間はフェーズ1が14年6月~20年6月、フェーズ2は20年6月から25年6月まで続く。

日本とJKUATとの永続的な協(xié)力関係を「貴重な資産」として認(rèn)識(shí)し、新たに始まったプロジェクトは20年度末までに累計(jì)で修士245人、博士13人を輩出。21年度3月末時(shí)點(diǎn)の就學(xué)者數(shù)は40カ國(guó)で249人(修士136人、博士113人)となっている。また第7回アフリカ開発會(huì)議(TICAD7、19年、橫浜市)で開始された留學(xué)プログラムにより31人の留學(xué)生が日本に受け入れられている(20年度JICA業(yè)務(wù)実績(jī)?cè)u(píng)価)。

21年6月にはJKUAT農(nóng)學(xué)部棟の引き渡し式典が行われた。日本側(cè)から堀江良一大使、JICAケニア事務(wù)所の巖間創(chuàng)所長(zhǎng)、ケニア側(cè)からジョージ?マゴハ教育長(zhǎng)官、ビクトリア?ワンブイ?ングミJKUAT學(xué)長(zhǎng)らが出席。巖間所長(zhǎng)は「JKUATと日本の長(zhǎng)い協(xié)力の歴史の中で、今回の支援がケニアの人材育成および農(nóng)業(yè)分野の発展に貢獻(xiàn)することを期待する」と述べた。またマゴハ長(zhǎng)官からは、日本による長(zhǎng)い間のJKUATに対する支援に謝意が述べられ、大學(xué)と民間企業(yè)の連攜を含め、両國(guó)の関係がより深化していくことが期待されると語(yǔ)った。

◆すさまじい中國(guó)の援助攻勢(shì)

しかし時(shí)間の経過とともに何事も風(fēng)化していくのは世の常。日本が心血を注いで大學(xué)づくりにかかわった人材の多くは引退し、ケニア側(cè)でも過去の経緯をほとんど知らない大學(xué)関係者が多くなっていることを忘れてはならない。これも現(xiàn)実である。

一方で、目立つものに多くの関心が集まるのは止められない。中でも2003年頃からアフリカに本格的に目を向け始めた中國(guó)の評(píng)判はケニアでもすさまじい。大崎元教授は17年、「數(shù)年前から、ケニアのどこに行っても、中國(guó)への絶賛を聞かせられる」と告白している。「この道路は中國(guó)が作ってくれた」「この建物は中國(guó)の援助だ」「中國(guó)のおかげで空港まで高速道路ができた」などと地元民の中には「中國(guó)絶賛」ムードがまん延している雰囲気だという。

ビジネス以外でも中國(guó)は05年にナイロビ大學(xué)に中國(guó)語(yǔ)教育機(jī)関の孔子學(xué)院を供與し、人的文化交流に乗り出した。12年には地震學(xué)研究センターも寄贈(zèng)している。最近ではJKUATにも接近し、約300ヘクタール(東京ドーム約64個(gè)分)の敷地內(nèi)にいろんな建物が建っているようで、いつの間にか中國(guó)の援助で「植物園」もできた。日本の援助でここまで大きくしてきたJKUATが今に中國(guó)に乗っ取られそうな雲(yún)行きを感じるのはJICA関係者だけではあるまい。

◆中國(guó)には「サステナブル?インフラ」が必要

今や中國(guó)はアフリカにとって最大の貿(mào)易相手國(guó)。売るのも買うのもともに最大だ。アジア?アフリカビジネスのスペシャリスト、AAIC代表パートナーの椿進(jìn)氏によると、「買うのは燃料?鉱物が9割、あとはコーヒー、紅茶、ナッツなどを含む食品関係。売るのは4割弱が機(jī)械?電子機(jī)器?部品などと幅広い。輸出額は10兆円規(guī)模だ」(東洋経済オンライン、21年7月27日)という。

中國(guó)は12年1月、AU本部が置かれているエチオピアの首都アジスアベバでAU本部ビルを完成させた。総工費(fèi)は約2億ドルで、式典に出席した賈慶林(かけいりん)全國(guó)人民政治協(xié)商會(huì)議主席(當(dāng)時(shí))は「新本部ビルは中國(guó)政府と人民からの贈(zèng)り物」と語(yǔ)った。アフリカで人口がナイジェリア(約2億人)、エジプト(約1億人強(qiáng))に次ぐエチオピア(約1億人弱)に住む中國(guó)人は13萬(wàn)人だが、日本人はたったの200人。アフリカ全體で推定100萬(wàn)人の中國(guó)人が住んでいるといわれる。次いで韓國(guó)人の約2萬(wàn)人、日本人は7500人とか。腰掛け的に住んでいる日本人に比べ、海外に骨を埋める覚悟で移住している中國(guó)人は比べものにならない。

日本は1993年にTICADを開始したが、後を追うように中國(guó)は2000年から瓜2つの「中國(guó)?アフリカ協(xié)力フォーラム」(FOCAC)の閣僚級(jí)會(huì)議を始めだした。日本のやることを?qū)gによく見ている。TICADが當(dāng)初5年ごとだったのに対し、FOCACは3年ごと。21年11月には第8回閣僚會(huì)議をセネガルのダカールで開催し、開催回?cái)?shù)で日本を上回った。中國(guó)は同會(huì)議で、アフリカ諸國(guó)に総額400億ドル(18年の會(huì)議では600億ドル)の支援を表明した。19年に開催されたTICAD7において支援総額を明示しなかった日本とは大きな差だ。

「アフリカ人はお金を出してくれる人は原則ウェルカムだ」(椿氏)。それも先進(jìn)國(guó)のようにあまり條件を付けない中國(guó)はありがたい存在。途上國(guó)はとにかくお金が欲しくて飛びつくが、一方でプロジェクトが途中で前に進(jìn)まない問題に直面するケースが増えているのも事実である。日本が受注確実と言われながら中國(guó)にさらわれてしまったインドネシア高速鉄道プロジェクトはその典型だ。

JICA関係者は「中國(guó)と競(jìng)合しても勝てないのは分かっている。日本はメンテナンスも良いし環(huán)境にも配慮するのでどうしても高くなる。しかし中國(guó)のようなやり方をしていると債務(wù)問題などでいずれ途上國(guó)に背中を向けられるのではないか」と懸念する。今援助國(guó)や被援助國(guó)雙方にとって必要なのはサステナブル?インフラストラクチャー(持続可能なインフラ整備)だ。そろそろ中國(guó)はこちらのほうをまねすべきではないだろうか。

■著者プロフィール:長(zhǎng)澤孝昭「アジアの窓」顧問

元時(shí)事通信社ロンドン特派員、元商品経済部長(zhǎng)?,F(xiàn)在、時(shí)事総合研究所客員研究員、日本商品先物取引協(xié)會(huì)理事。

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